貴女だけが、私を愚かな男にした 〜硬派な彼の秘めた熱情〜

 あの、初めて会話を交わした夏の夕暮れを思い出す。

 あのときは、ナンパから守ってもらったお礼に代金を出しただけだった。

 その本がこうして明人に大切にされることで、新たな意味を持つようになる。

 クリーム色のしっとりした紙に、「夜明けの詩(うた)」の題字が飾り文字で綴られている。

「夜明けの詩……」

 明人が何度も眺めたであろう、美しい文字列の詰まった詩集。

 ほっそりとした題字を、詩乃は愛おしげに指でなぞった。

 愛しいひとが、肌身離さず持ち歩いているこの一冊。

 明けゆく空に光る星が瞬くように、明人と詩乃、ふたりの名がきらりと入っているように見えた。

「これから、ふたりで一緒に生活するんだね」

「ええ」

 ぱたんと本を閉じて、詩乃は笑顔で大好きな明人の顔を見上げた。

 この真新しい部屋に、これからふたりの思い出が積もっていく。

 なんでもない詩集が、お守りのような一冊になる。

 習慣で淹れていたお茶が、彼のために作る安らぎの味になる。

 笑って身につけたエプロンが、これからは明人の作業着になる。

 そして傍らには、いつもこの愛しいひとがいるのだ。

「明日からは、手料理を作ってあなたの帰りを待ちます」

「楽しみ」

 触れるだけのキスを交わしてから、ふたりは手を繋いで外へ赴いた。

 今夜は、この家から一番近いお店で簡単な食事を取ろう。

 きっとこれも、忘れられない思い出の一部になるはずだ。

(了)
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