貴女だけが、私を愚かな男にした 〜硬派な彼の秘めた熱情〜
「早瀬さん、また大口顧客捕まえたって」
「今月も文句なしのナンバーワンだよ」
数字を上げれば上げるほど、羨望や憧れの眼差しも集まった。
少なくとも部長は、優秀な駒である詩乃を贔屓するようになった。
ぶっちぎりの数字を出せば、悪意ある連中も悔しさに歯軋りしつつ黙るしかない。
売上。売上を保てば、邪魔されずに仕事が出来る。
手帳にびっしり記録をとった顧客管理表。
いつしか、顧客たちの名前に、
「この人はいくらで何を買ってくれる」
こんな印象が、透けて見えるようになっていた。
「この案件を通せば、二百万円……」
ある大口顧客の元に訪問する前、詩乃は無意識に考えた。
過労で霞む目を瞬いて、顧客管理表をじっと眺める。
この人がうんと言ってくれれば、今月はもう二百万円売上が増える。
この人は、二百万円——
「違う!」
はっとした。恐ろしかった。泣きたくなった。
自分を通じて、誰かの悩みを解決出来るのが嬉しかったはずなのに。
心からその人のためを考えて、喜んでもらうのが嬉しかったはずなのに。
一所懸命やった仕事が会社のためになり、結果的にお金にもなるのが嬉しかったはずなのに。
「わたしがやりたいのは、こんなことじゃない……」
辛い涙が流れた。自分の中の何かが、壊れてしまったような。
新卒から四年間勤めた会社は、引き継ぎだけしてあっさりと辞めた。
これ以上、自分を見失いたくなかった。