失恋したので復讐します
 彼女が言っていた通り、ディスプレイされているメイク用品はどれも美しく目移りしてしまうほどだったが、今日はBAに相談するつもりで来ている。
「すみません……」
 ドキドキしながら声をかけて、カウンセリングをお願いした。
 肌の診断をしてもらい基礎化粧品をラインで購入。アイシャドウなどは肌の色になじむと勧められたスモーキーなラベンダーカラーのものを選んだ。
 今まで自分に合う色について深く考えたことなんてなかったが、客観的に自分を見つめるという行為は新鮮で大切なことだと感じた。
 人にはそれぞれにパーソナルカラーがあるそうで、千尋は自分の肌がブルーベースの夏というタイプだと[T90]知った。
 くすみカラーやパステルカラーが似合うカテゴリーのようだ。
 BAの口ぶりでは、千尋の年代の女性なら多くの人が知っている知識のようだった。
 それなのにまったく知らなかった自分は、本当に自分を磨くことに関して無頓着だったのだと実感する。自分の容姿にあまり自信がない千尋は、おしゃれをしても無駄だと思い込んでいる節があったからかもしれない。
 啓人を見返す目的で始めた自分磨きだが、思ったよりも楽しくて熱中している。
 百科店を出ると午後八時前。辺りはすっかり暗くなっていた。
 用は済んだし後は帰宅するだけだが、千尋は駅に向かわずに方向転換した。
 なんとなくこのまま帰るのがもったいない気がしてきたのだ。
(相川君のバーに行ってみようかな)
 計画が進んでいることを報告したい。
 彼の勤務日がいつか聞きそびれてしまったので、今日いるかはわからないが、不在でもひとりでのんびりお酒を楽しめばいい。

 ひと駅分を歩き『アウロラ』に到着すると、木製の扉を開き中に入る。
 まだ客が入っていないようで、ラウンジミュージックの音が大きく聞こえる。
「いらっしゃいませ」
 客が自分だけという状況に戸惑っていると、店の奥から穂高がやって来た。
「こんばんは」
 穂高のひと声に、千尋はほっとした笑みを浮かべて、前回座った席に向かう。穂高はカウンターの中に入ると、彼にしては珍しく戸惑った様子で千尋を見つめた。
「一瞬誰だかわからなかった。今日来るとは思わなかったし」
 このバーは職場からは地下鉄でひと駅。徒歩でも二十分程度で着くが、千尋のアパートから来たら一時間弱かかる。
 だから休日にわざわざ顔を出すとは思わなかったのかもしれない。
「近くで買い物をした帰りなんだ」
「買い物?」
「うん。外見を変えた方がいいって相川君もアドバイスしてくれたでしょう? 今日はヘアサロンに行って、化粧品を買ってきたの」
 そう言いながら手提げ袋を足もとにしまう。
「早速がんばってるな……見違えたよ」
「本当?」
「ああ。さっきも言ったけど、ぱっと見でわからなかった。別人かって思うくらいの変化」
「別人って、そんなに変わったかな?」
 カールした髪を手で触れながら聞くと、穂高は感心した様子でうなずいた。
「すごく似合ってる。綺麗になったよ」
「そ、そうなのかな?」
 穂高の声がいつものような淡々としたものではなく、熱が入っているような気がして、なんだか恥ずかしくなる。千尋は落ち着きなく視線をさまよわせた。
 なにしろ褒められるのに慣れていないから、褒め言葉をクールに流せず過剰に反応してしまう。
(綺麗って、相川君のことだからお世辞じゃないよね?)
 調子がいいお世辞なんて言わないタイプの人だ。
 自分でも結構似合うと思っているのだし、少しは自信を持ってもいいのかもしれない。
(……うれしいな)
 ついにやけてしまった瞬間、穂高と目が合った。彼は目を細めて微笑んだ。
「これくらいで驚いてたら、これから大変そうだよな」
「大変?」
「この先は褒められる機会が増えるだろうから、いちいち反応してたらきりがない」
 彼は千尋が褒められると確信しているようだった。
「本当にそうなるといいんだけどな」
「なるって。俺がそう言うんだから間違いない」
「……相川君って、自信家だよね」
 彼があまりに迷いなく言うものだから、乗せられて千尋までその気になりそうだ。
(私って単純……でもくよくよしているよりはいいと思おう)
「今日は食事は済ませて来てるよな?」
「あ、忘れてた」
 穂高が残念なものを見るような目で千尋を見つめた。
「うちは、ちゃんとした食事は出せないって言ったはずだけど?」
「うん、聞いた。でもあまりおなかがすいてないから大丈夫」
「空腹で飲むと悪酔いするだろ? 適当になにか用意するか……」
 穂高は仕方ないなと言いながらも、野菜スティックと生ハムとカナッペを出してくれた。
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