失恋したので復讐します
「千尋ちゃんごめんね。大丈夫だった?」
 昴流がやって来て、心配そうに千尋を見た。
「は、はい、驚きましたけどなんともないです」
「いつもは穏やかで人に迷惑をかけるような人じゃないんだけどね」
 昴流が戸惑ったような目で、ソファ席の方を見ている。
「常連さんなんですか? かなり酔っていたみたいですけど……もしかしたらつらいことがあったのかもしれないですね」
 ショックでどうしようもない気持ちになってアルコールに頼ってしまう。
 千尋も身に覚えがある。
(この席でたくさん泣いちゃったし)
 方向が違うだけで千尋もかなり迷惑をかけたのだった。
 思い出していると穂高が戻ってきた。
「相川君、あの人大丈夫だった?」
 穂高は驚いたような表情を浮かべ、それからあきれたようにため息をついた。
「迷惑行為をした相手を気遣うなんて、相変わらずお人よしだな」
「昴流さんがいつもは穏やかな人だと言ってたから、よほどのことがあったんじゃないかと思って」
 穂高が「そうかもしれないな」と相づちを打った。
「連れがトイレに行っている間にふらふらしたみたいだ。しっかり見張っているように言ってきた」
「それなら安心だね」
「向こうはいいけど、山岸さんはもう少し警戒心を持ったら? さっきみたいに触られる前にはっきり拒否した方がいい」
 頼りない態度の千尋にイライラしているのだろうか。穂高はどことなく不機嫌そうに見える。
「うん。次からは気をつける。あんなふうに声をかけられるのは初めてだったからびっくりしちゃったんだ」
 自慢じゃないが二十九歳の今まで、ナンパされた経験はゼロだ。
「これからは気をつけた方がいいよ。千尋ちゃんすごくかわいいからね」
 昴流が話に入ってきた。
「え……本当ですか?」
 千尋は熱を持った頬を押さえた。褒められることへの耐性がないため、『かわいい』のひと言が強烈な威力を持って心に突き刺さる。
「うん。おしゃれになってあか抜けたよ。頬のラインもすっきりしたよね。穂高もそう思ってるよな?」
 笑顔の昴流が、穂高に話を振った。
「……まあ」
 仏頂面の穂高はそれでも否定せずうなずいてくれた。
(よかった……効果が出てるんだ)
「あ、そろそろ帰らないと」
 少し飲んで帰るつもりが、気づけば二時間も経っていた。
 アウロラは居心地がよくてつい長居してしまう。
 昴流と穂高に挨拶をして席を立つ。
「千尋ちゃんまた来てね」
「はい。相川君もお疲れさま」
 ひとりで出入口の方に向かおうとすると、穂高も続いて立ち上がった。
「遅いから駅まで送る」
「え? 大丈夫だけど」
 駅まで十分もかからないし、人通りも多い道だ。今までだってひとりで帰っている。
「千尋ちゃん、穂高がこう言ってるし最近は物騒だから送ってもらいな」
「そうなんですね。わかりました」
 昴流に言われて、千尋は素直にうなずいた。
 穂高と一緒に店を出る。午後十一時。外はすっかり暗いが、立ち並ぶ店の明かりで見通しはいいし人通りも多い。
(これといって危ない雰囲気はないけどな)
「コート着なくて寒くない?」
「あ、忘れてた」
 寒さを忘れるなんて、思ったよりも酔っ払っているのかもしれない。
 手にしていたコートを羽織りながら、穂高の様子をうかがう。
 黒いウールのチェスターコートを羽織った彼は真っすぐ前を見つめていた。
 店内では不機嫌そうに見えたけれど、今はそうでもないように見える。
(相川君って考えが見えない人だよね)
 同僚には素っ気なくて、上司には毒舌。クールな人なのかと思えば、こんなふうにわざわざ千尋を送ってくれる優しさがある。
 かなり仲よくなったと思う今でもわからない。
「復讐は順調みたいだな」
 穂高が千尋に目を向けて言った。
「復讐?」
 思わず問い返すと、穂高の目がすっと細くなる。
「まさか忘れたんじゃないよな?」
「ま、まさか。違うこと考えてたから……でもそんなに順調じゃないよね。社内コンペのアイデアだってまとまってないし。辻浦君をぎゃふんと言わせるにはまだまだだよ」
「……ぎゃふんって」
「え、変だった?」
「いや、言葉選びが古風でかわいいなって」
 穂高がくすくす笑っている。千尋は恥ずかしくなって穂高から目を逸(そ)らす。
「お母さんがよく言っていたから移っちゃったみたいで。もしかしておばさんっぽい?」
「そんなことないって。痛い目見せてやるとか言うよりずっと山岸さんらしい」
「私らしい? 相川君の中で私ってどんな人になってるのかな。考えると不安になるよ」
「どうして不安に? 山岸さんの評価はかなり高いって昼間も言ったのに」
 穂高が意外そうに眉を上げる。
「あれは励ましてくれたってのもあるでしょ?」
「励ますにしても、俺はお世辞なんて言わない」
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