失恋したので復讐します
(こんなふうに声をかけてもらうのは初めて)
 うれしくて頬が緩んでしまう。
 でも誘ってもらえたのに断った残念だった。
(無理にでも行けばよかったかな)
 少し後悔しながらオフィスビルを出る。
 駅までの道を歩いていると、背後から声をかけられた。
「山岸さん」
「相川君?」
 ビジネスバッグを手にした穂高が、千尋の隣に並んだ。
「お疲れさま。相川君直帰じゃなかったの?」
 たしかスケジュールでは打ち合わせに向かって、そのまま帰社しないとなっていた。
「持ち帰るものがあったんで、一瞬だけ寄ってきたところ」
「そうなんだ。今日はバイトなの?」
「いや休み。もしかして寄るつもりだった?」
「ううん。明日から実家に帰省するから、今日は飲まないようにしようと思って。ジムに寄ってから帰るよ」
「ジムには寄るんだ」
「うん。連休の前に少し運動しておきたいのと、ロッカーに置いてある着替えを持って帰りたくて」
「同じこと考えてた」
「じゃあ相川君も今から行く感じ? 一緒の時間に行くの初めてじゃない?」
 スポーツジムに入会してから千尋は週に二回から三回通うようにしている。穂高も定期的に通っているようだが、初回に一緒になっただけで後はそれぞれのタイミングで通っているので、ジムでは意外と見かけないのだ。
「たしかに」
「私はダイエットプログラムだけど、相川君はどんなメニューなの?」
「俺は筋トレとかてきとー」
「ふーん。今日は相川君がトレーニングしているところが見られるんだ。楽しみだな」
「筋トレを見るのが?」
 あきれた様子の穂高とジムに向かった。

 千尋はジムで着替えをしてから、いくつかの筋トレマシンをこなして、ランニングマシンに移動した。すると上背筋を鍛(きた)えるマシンで、もくもくと筋トレ中の穂高を見つけた。
(相川君って、意外と逞しいんだ)
 長袖を着ている姿ばかり見ているので気づいていなかったが、筋肉がしっかり盛り上がった二の腕は千尋の倍以上ありそうだ。
 すらりとした印象なので意外だった。
 彼はしばらくすると、千尋の隣のランニングマシンに移動してきた。
 千尋に気づくと「お疲れ」と目を細める。
「お疲れさま」
 彼はかなりの負荷をかけて走り始めた。千尋も負けずに走り出す。
「……相川君って運動神経いいでしょ?」
 さまになったフォームが絵になる。ほとんど乱れない呼吸は千尋とは大違い。
「それなりかな?」
 短い返事が返ってきた。もっと話しかけたかったが、穂高の横顔が真剣に見えたので口を閉ざす。
(思ったよりずっとストイックにがんばってるんだ)
 昴流に進められ流れで入会したので、あまりやる気がないのだと思っていたが、そうでもないらしい。
(私もがんばろう)
 息を切らしながらひたすら走る。ときどき視界に入る穂高の横顔はきりりとしていて美しい。
(相川君ってかっこいいよね。気も使ってくれるし面倒見もいいし)
 啓人に別れを突きつけられてどん底だった千尋がこうして立ち直れたのは、彼がいたからだ。
 会社では毒舌だと言われ、冷たいと敬遠されているけれど、実際はそんなことはない。
(すごく優しい人……って、私なにを考えてるんだろう)
 千尋はぶんぶんと頭を横に振った。
 さっきから穂高のことを考えてばかりだ。本人が知ったらきっとあきれてしまうだろう。
(真面目にやらないと)
 千尋は無心になってへとへとになるまで前を向き走り続けたのだった。

 運動後にシャワーを浴びた千尋は、緊張しながらヘルスメーターの上に乗った。
 ダイエットメニューを始めてまだ日が経っていない。体重の減少なんてほとんどないだろうとわかっているが、どうしても期待してしまう。
(ええと、五二キロ? やった二キロ減ってる!)
 表示された数字を見て、千尋はぱあっと笑顔になった。
 目標まではまだまだ遠いが、効果が数字に表れるのはとてもうれしい。
 上機嫌で荷物をまとめて、女性用ロッカールームを出た。
「相川君!」
 ラウンジで待ってくれていた穂高に声をかける。
 スマホを見ていた彼が声に気づき顔を上げる。
「待たせてごめんね」
 彼に向かって歩きながら声をかける。そのときどんと背中を押された。
「ひえっ!」
 間抜けな声を出して倒れる千尋を、逞しい腕が抱き留めた。
「大丈夫か?」
 顔を上げると穂高が千尋を心配そうに見つめている。
「う、うん……」
 いつになく距離が近いせいか、ドクンと心臓が大きく跳ねる。
(な、なんか恥ずかしい)
 千尋が慌てていると、穂高が厳しい目を千尋の背後に向ける。
「気をつけてください。下手したら怪我するところでしたよ」
「あ、すみません。前を見てなくて」
< 42 / 64 >

この作品をシェア

pagetop