宿命の王女と身代わりの託宣 -龍の託宣4-
 息ができなくて、エラは男の手首を掴んではずそうとした。苦し気なエラを前に、男は血走らせた目に狂気の色を宿らせる。

「おとなしく従っていればやさしくしてやったものを……」
「離し……て……」

 酸欠で意識が飛びそうになったその時、締め付けられていた首が開放された。咳込んで、あえぐように空気を求める。壁に背を預けたまま、エラはその場にしゃがみこんだ。

 鈍い音がして、目の前にいた男がよろめいた。涙の浮かぶ瞳で見上げると、細身の青年がさらに一発、男の腹に拳をめり込ませる姿が目に映る。
 いつの間にいたのか、その青年は非力そうな体でひょいと男を(かつ)ぎ上げた。そのまま床に転がすように、部屋の奥へと投げ捨てる。

「はい、有罪(ギルティ)

 心なしかうれしそうに言ってから、青年はいまだ座り込んでいるエラを振り返った。

(仮面……?)

 青年は目だけを覆う仮面をかぶっている。仮面舞踏会ならまだしも、今日はデビュタントのための白の夜会だ。傷を持つ者が仮面をつけることはあるにはあるが、そんな人物は社交界でも話題のひととなる。記憶にない青年を前にして、エラは咄嗟に立ち上がった。
 警戒するように距離を開けようとするが、ふらついてエラはたたらを踏んだ。仮面の青年が、そこをすかさず支えてくる。

「大丈夫ですか? お嬢さん」

 耳元で囁かれ、エラは驚きにその胸を押した。肩と腰に回されていた手は、拍子抜けするほどあっさりと離れていく。その動きの流れのまま、仮面の青年は優雅に礼を取った。

「これは失礼を。レディに断りもなく触れるなど不躾(ぶしつけ)な行いをいたしました。ですが今回ばかりはお許しを」
「……あなたは?」
「エル、とでもお呼びください、勇敢なお嬢さん。この招かれざるブ男は、近衛の騎士にでも引き渡しておきましょう」

 気を失ったまま床に転がる男を、エルと名乗った青年は冷たい視線で見下ろした。怪しげな人物だが、物腰からするにこの青年も貴族のひとりに違いない。そう結論づけてエラは背筋を正した。

「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

 警戒は解かないまま頭を下げる。そんなエラに仮面の青年は笑みを漏らした。

「このままここにいて、よくない噂が立つのもお困りでしょう? あとのことはどうぞわたしにお任せを」

 頷いて足早に部屋を出る。エラは周囲に誰もいないことを確かめて、急いで夜会の会場に戻っていった。

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