宿命の王女と身代わりの託宣 -龍の託宣4-
 この女には何も届いていない。焼け付く思いも、失ってしまったものも、重ねてきた罪も何もかも。すべてお前のために、血肉を削り犠牲を払ってきたというのに――

 瞬間、ミヒャエルの内から憎悪が膨れ上がった。制御の効かない熱が右腕を支配して、(けが)れた(あか)がさらに奥へと毒を巡らせる。その邪悪な波動は抑え込む手にも伝わって、カイに苦悶(くもん)の色がにじみ出た。

「何事だ」

 低く重い声が響く。ゆっくりとした足取りで現れたディートリヒ王に、騒ぎに集まっていた者たちが一斉に膝をついた。ミヒャエルを取り押さえるカイとふたりの女性騎士だけが、王に顔を真っすぐ向ける。

「この者が王妃殿下のお命を狙うため、庭に潜んでおりました。王、どうぞ断罪を」

 カイが(よど)みなく迫る。王妃に刃を向けるなど、今すぐ切り捨てられてもおかしくはない由々しき事態だ。

 誰もが押し黙り、王の言葉を静かに待った。そんな中、この場にそぐわしくないほどのゆったりとした所作で、イジドーラは王の前で臣下の礼を取る。

「今宵はわたくしのための(うたげ)(もよお)される日。そのようなめでたき日を、血で(けが)すこと無きようお願い申し上げます」

 王から返答が得られないまま、イジドーラは両膝を地につけた。豪奢(ごうしゃ)なドレスが汚れるのも(いと)わずに、両手をそろえ王の立つ足元で平伏する。

「わたくしはこの者の吹く笛の()に、かつて心を救われたことがございます。王、どうかわたくしに免じて、この者に慈悲を――」

 イジドーラは(ひたい)を擦り付けんばかりに頭を下げた。その細い背を、ミヒャエルは真後ろでただ見つめていた。

 目の前でイジドーラが乞うている。この命を守るため、気高き身を伏してまで。

「あの笛が……わたしのものだと、貴女(あなた)は知っておられたのか……」

 抵抗を見せていた体から力が抜けた。その頬を熱き涙が静かに伝う。抜け殻になったように、ミヒャエルは呆然と王妃の背中を見続けた。

「すべてそなたの(のぞ)むままに」

 静かな声音で王は王妃の手を取った。優雅に立ち上がり、引かれるままその腕に身を預ける。

「その者の処遇は追って申し渡す。今宵は牢にて見張るがよい」

 次いで、人道的配慮と医師の手配を申し付けると、ディートリヒ王は王妃を連れて静かに歩き出した。


 一度も振り返ることなく遠ざかり、イジドーラの姿はやがて小さく見えなくなった。

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