ガラスの魔法、偽りの花嫁

第15章 孤独な決断

 その夜も、屋敷の寝室には冷たい沈黙が漂っていた。
 透真と同じ屋根の下にいながら、心はどこまでも遠い。
 ガラスの瓶に映る自分の姿を見つめながら、玲奈は思った。

(このままここにいたら……私は壊れてしまう)

 胸を締めつける孤独と疑念。
 美咲の囁きは棘のように心に刺さり続けていた。



 翌朝、玲奈は父の執務室を訪ねた。

「お父さま……しばらく、実家に戻りたいのです」

 父は驚いた表情を浮かべ、そして重いため息をついた。
「玲奈……政略結婚は家を守るためのものだ。簡単に離れることはできない」

「わかっています。でも、私は……」
 玲奈の声が震える。
「私にはもう、透真さんの隣に立つ自信がありません」

 父はしばらく黙したまま、やがて頷いた。
「……少しの間なら構わない。だが軽はずみな行動は慎め。噂はすぐに広がる」

 その言葉は許可というよりも、忠告だった。



 数日後。
 玲奈は屋敷を離れる決意を固めた。
 少しの荷をまとめ、香水の瓶を手に取る。
 その香りが最後の迷いを引き止めるように胸を揺らす。

(本当は、透真さんの言葉を信じたかった……)

 けれど、疑念に覆われた心は、もはや耐えられなかった。



 その頃、透真は別の会議室で役員たちと話し合いをしていた。
 報告を聞く耳はあっても、頭の中は玲奈のことで占められていた。

(あの夜の言葉……彼女に届かなかったのか)

 苛立ちを押し殺し、会議を終えた透真は屋敷に戻った。
 しかし、そこに玲奈の姿はなかった。

「奥様は……実家に戻られました」

 侍女の報告に、透真の心臓が大きく揺れた。

「勝手に……?」
 低く呟いた声には、怒りとも焦りともつかない震えが混じっていた。



 夜。
 玲奈は実家の自室で、静かにベッドに腰を下ろしていた。
 窓の外には懐かしい庭園が広がっている。
 幼い頃から慣れ親しんだ場所なのに、心は安らがなかった。

(私は逃げただけ……? それとも、これでよかったの……?)

 答えは見つからない。
 ただ、胸に残る香りの記憶が、眠りを遠ざけていた。



 一方、透真は夜の執務室で机を叩いた。
 グラスの赤ワインが揺れ、零れ落ちる。

(……俺が突き放したからだ。彼女を遠ざけたせいで)

 怒りと後悔に揺れる心。
 その奥底で、ある決意が芽生え始めていた。
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