明日からちゃんと嫌いになるから
泉は中学でとても優秀な成績だったらしく、父のすすめもあり、地域で一番の私立高校に入学した。ここでトップの成績を維持できれば、指定校推薦を受け、私大医学部にストレートで入学することができるのだ。

高校三年生の一学期まで、泉はその道から外れることなく着実に進んでいるように思えた。それが二学期……進路に関わる一番大事な試験で、急に成績を落としてしまった。

不自然……というほどのものでもなかったから、たまたま運が悪かった、きっと重圧もあったのだろう、そんなふうに六花は解釈して納得した。

別に医者になれずとも、泉は六花のたったひとりの義兄で、これから先も自分たちの関係は変わることはない。そう気楽に捉えていた。

そうして泉は医学部にはいかず、別の大学の別の学部に進んでいったのだが、この件と泉が宮下から籍を抜いた理由は直接関係ないと思っていた。

(結局、全部繋がっていたんだ……はじまりから、なにもかも)

謝罪だけして、泉と別れた帰り道……六花は過去を思い出しながら、そう結論づけた。

父と継母はそれぞれ死に別れたパートナーのことを、今でも想っている。それは知っていた。でも亡くなった人に向ける愛と、今ある愛は別なのだと、夢見がちな六花はそう解釈してしまった。

勤務先の一番偉い人から、結婚してほしいと頼まれたら、おそらく真由美には断ることはできなかった。二人の再婚は幼かった六花の願いを、父がその立場を利用して叶えてしまったものだった。

それに巻き込まれた泉は、相当な被害者だ。

そもそも再婚前から、泉が六花に対して優しかったこと自体「院長先生のお子さんに失礼があってはならない」と真由美に言い聞かせられていた可能性が高い。

その後出来上がったあの家族は……きっと何もかもがニセモノだったのだ。

六花のために真由美は母親役を、泉は兄役を演じ続けてくれた。見返りは金銭的援助だろうが……勝手に医師になる期待まで背負わされていた泉が、本当の意味で恩恵を受けていたとは言い難い。

もし両親が再婚しなかったとしても、優秀な泉なら大学までいく方法はあっただろう。

きわめつけに、その元凶である憎たらしい妹から好意を寄せられたら、逃げ出したくなるのもうなずける。泉の人生は四つ年下のなにも知らない身勝手な子どもに振り回され続けたものだったのだ。

(これじゃ……どうあがいたって好かれようがない……)

自嘲気味に六花は笑う。

もっと早く気づいていれば、なにか変わっていただろうか。考えたって意味がない。やりなおしはできないから、すべて手遅れだった。

最後にできることは、なるべく早くきちんとした形で会社を退職し泉の前から消えることくらい。……そのためには、迫る縁談はしっかり受けて、完全に違う人生を歩みはじめることを、彼に示そうと決意した。


   §


「宮下さん! 金曜日は本当にごめん! ……実は記憶があまりないんだけど、酔っ払って絡んだと聞いてる」

月曜に出社すると、六花は西田から謝罪を受けた。西田はどちらかといえば気の弱い性格だと認識していて、この前の飲み会では酒が入ると気が大きくなるタイプだと知った。

「気にしてません。もう忘れてましたから」

二度と近づきたくない六花がそっけなく伝えると、相手は酒が入っていたときのようなしつこさはなく、落ち込んだ様子で去っていく。

今回のことでひとつ学んだ。この先誰かと結婚するのなら、それより前に必ず相手と飲みに行ったほうがいい。酒が入って人格が変わってしまうような男性は、絶対に嫌だ。

そうやって、ほんの小さな新しい経験からはじまった週は、なんだかいつもと気分が違った。

自暴自棄のぎりぎり一歩手前で、諦めるという考えに切り替えられたせいだろうか? 重かった気持ちを手放して、とても身が軽くなった。


実際には空元気なのかもしれないが、目の前の仕事をちゃんとこなせる自分のことは嫌いじゃない。

今の六花ができること――。

残された時間を使い、泉と一緒にいたいという不純な動機で入ったこの会社に、少しでも貢献し恩返しすること。

当面の目標を定め、六花は日々の業務にこれまで以上に真面目に取り組んでいった。

珍しく、泉のほうから声をかけてきたのは、それから二週間後の午後のことだった。

「宮下さん、この書類……営業サイドのミスが発覚して、明日朝一までに修正お願いできる?」

これまでの泉は、他に頼める人がいる場合、あえて六花に声をかけてこなかった。

六花が担当している業務のリーダーにまず話をして「そちらで割り振って」と、ワンクッション置き、直接の関わりを極力避けていた。
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