明日からちゃんと嫌いになるから
「もしかすると……正樹さんは私に、この縁談を断ってほしいんですか?」
さっき彼が口にしたのは、正樹自身の思うことだったのかもしれない。年が近く落ち着いた大人の女性が理想で、六花のことがまったく好みではなく、がっかりしているとか?
でも立場上、正樹のほうから「好みではなかった」などという理由で断ることはできないだろう。
だから六花から断りを入れてくれたらと思っている。……そもそもそのつもりでこの席に現れたのかもしれない。……と、そんな推測をした。
だとしたら一大事だ。また知らずに被害者を出してしまうところだった。
「父に言いつけたりしませんから、正直に話してください。お願いします。もし、少しでも私のことが気に入らないのなら、私のわがままで破談にすればいいんですから」
「いや、そんなことはありません!」
正樹はすぐさま「しまった」という顔をして、否定してくる。
「いいんですよ。ご無理なさらずとも、はっきりおっしゃっていただいて」
無理強いはするものではない。これ以上自分たち親子に振り回される、気の毒な人をつくるわけにはいかないから。
「本当に違うんです。六花さんとの縁談は、私にとっても相原の家にとっても、これ以上ないほどありがたいお話です」
「本当ですか?」
六花はつい疑いの眼差しを向けた。すると正樹は、また苦笑して言う。
「本当です。理事長から目にかけていただき、これほど光栄なこともありません」
「では前向きということで、父にもそう報告してよろしいでしょうか? 本当に間違いありませんね?」
「はい。もちろんです。……とはいえ、焦る必要もありません。まずはお互いを知るところからはじめましょう」
正樹の提案は、六花にとっても好ましいものだ。
「ぜひ、そうしていただけたら」
それから六花と正樹は、近々改めて会おうという話をして、庭を一周してから家族のもとに戻ることとなった。
ここは結婚披露宴会場としても人気で、日柄も天気のよいこの日は、宴の一部が外で行われている。遠くに、色打ち掛けを羽織った花嫁の姿もある。
(私も遠くない未来に……)
そのときは、名前も知らないあの花嫁のように、幸せな笑みを浮かべていられるといい。……そんなことを、ぼんやり考えていると、敷いてあった飛び石に草履の先を引っかけてしまう。
「危ない!」
身体が傾いでよろけてしまったが、偶然気づいた正樹がそれを支えてくれる。
「ありがとうございます。おかげで転ばずにすみました」
六花はすぐに体勢を立て直す。足は痛めていないし、鼻緒も切れていない。大丈夫そうだ。
「大事なくてなによりです、じゃあ行きましょう」
そう言って正樹は先に歩き出す。その背中を見ながら瞬きをすると、子どもの頃の雪の日の残像がかすめていった。
――手を繋いで歩いてくれる人は、今の六花にはもういない。
§
タクシーを使って、この日は実家に戻ってきた。今日のお見合いについて両親と話さなければならないのがひとつ。
料亭の施設内で着付けとヘアメイクを整えてもらっていたので、ちゃんとした姿を祖母にも見てもらいたかったのがもうひとつの理由だ。
六花の振り袖姿を見た祖母は「いいじゃない」と、短い言葉で褒めてくれた。それに祖母自身も着物姿をしていて「写真でも撮ろうか」と誘ってくれる。
祖母の家はレトロな写真スタジオとしても使えそうだ。日が沈む前に戻ってきたので、真由美も誘って縁側で撮影会をした。
それから母屋に移動して、自分の部屋で洋服に着替えると、横で振り袖を畳んでくれていた真由美がなにげなく話しかけてくる。
「本当にこの振り袖、よく似合っていたわ。相原さんも褒めてくださったんじゃない?」
「……どうだったかな?」
正樹の父親が、六花のことを「綺麗なお嬢さんで」とか「正樹は果報者だ」などと……三、四回は言っていたと記憶している。でも、正樹は六花の振り袖を含めた見かけについて、一言も口にしていなかったはず。
「あら、まあ……確かに寡黙な人だったものね。でも本当によく似合ってる。……泉も、すごく褒めてるわ」
「いっちゃん……?」
本人が不在なのに……? どうして急に泉が出てくるのか……。問いかけると、真由美は自分のスマホを取り出した。
「ほら」
見せてくれたのは、トークアプリの画面だ。いつのまにか真由美は泉に、さっき撮った写真を送りつけていたらしい。
『見て、見て! 六花ちゃんかわいいでしょう? 素敵でしょう?』
真由美からのメッセージのあとに、泉の返信がある。
『六花によく似合ってる。ぐっと大人びて綺麗だ』
確かに褒めてくれている。でも……。
「これ、お義母さんが言わせてるよ」
六花は苦笑いした。そして「綺麗だ」なんて言葉に、不本意にもドキドキさせられた。
さっき彼が口にしたのは、正樹自身の思うことだったのかもしれない。年が近く落ち着いた大人の女性が理想で、六花のことがまったく好みではなく、がっかりしているとか?
でも立場上、正樹のほうから「好みではなかった」などという理由で断ることはできないだろう。
だから六花から断りを入れてくれたらと思っている。……そもそもそのつもりでこの席に現れたのかもしれない。……と、そんな推測をした。
だとしたら一大事だ。また知らずに被害者を出してしまうところだった。
「父に言いつけたりしませんから、正直に話してください。お願いします。もし、少しでも私のことが気に入らないのなら、私のわがままで破談にすればいいんですから」
「いや、そんなことはありません!」
正樹はすぐさま「しまった」という顔をして、否定してくる。
「いいんですよ。ご無理なさらずとも、はっきりおっしゃっていただいて」
無理強いはするものではない。これ以上自分たち親子に振り回される、気の毒な人をつくるわけにはいかないから。
「本当に違うんです。六花さんとの縁談は、私にとっても相原の家にとっても、これ以上ないほどありがたいお話です」
「本当ですか?」
六花はつい疑いの眼差しを向けた。すると正樹は、また苦笑して言う。
「本当です。理事長から目にかけていただき、これほど光栄なこともありません」
「では前向きということで、父にもそう報告してよろしいでしょうか? 本当に間違いありませんね?」
「はい。もちろんです。……とはいえ、焦る必要もありません。まずはお互いを知るところからはじめましょう」
正樹の提案は、六花にとっても好ましいものだ。
「ぜひ、そうしていただけたら」
それから六花と正樹は、近々改めて会おうという話をして、庭を一周してから家族のもとに戻ることとなった。
ここは結婚披露宴会場としても人気で、日柄も天気のよいこの日は、宴の一部が外で行われている。遠くに、色打ち掛けを羽織った花嫁の姿もある。
(私も遠くない未来に……)
そのときは、名前も知らないあの花嫁のように、幸せな笑みを浮かべていられるといい。……そんなことを、ぼんやり考えていると、敷いてあった飛び石に草履の先を引っかけてしまう。
「危ない!」
身体が傾いでよろけてしまったが、偶然気づいた正樹がそれを支えてくれる。
「ありがとうございます。おかげで転ばずにすみました」
六花はすぐに体勢を立て直す。足は痛めていないし、鼻緒も切れていない。大丈夫そうだ。
「大事なくてなによりです、じゃあ行きましょう」
そう言って正樹は先に歩き出す。その背中を見ながら瞬きをすると、子どもの頃の雪の日の残像がかすめていった。
――手を繋いで歩いてくれる人は、今の六花にはもういない。
§
タクシーを使って、この日は実家に戻ってきた。今日のお見合いについて両親と話さなければならないのがひとつ。
料亭の施設内で着付けとヘアメイクを整えてもらっていたので、ちゃんとした姿を祖母にも見てもらいたかったのがもうひとつの理由だ。
六花の振り袖姿を見た祖母は「いいじゃない」と、短い言葉で褒めてくれた。それに祖母自身も着物姿をしていて「写真でも撮ろうか」と誘ってくれる。
祖母の家はレトロな写真スタジオとしても使えそうだ。日が沈む前に戻ってきたので、真由美も誘って縁側で撮影会をした。
それから母屋に移動して、自分の部屋で洋服に着替えると、横で振り袖を畳んでくれていた真由美がなにげなく話しかけてくる。
「本当にこの振り袖、よく似合っていたわ。相原さんも褒めてくださったんじゃない?」
「……どうだったかな?」
正樹の父親が、六花のことを「綺麗なお嬢さんで」とか「正樹は果報者だ」などと……三、四回は言っていたと記憶している。でも、正樹は六花の振り袖を含めた見かけについて、一言も口にしていなかったはず。
「あら、まあ……確かに寡黙な人だったものね。でも本当によく似合ってる。……泉も、すごく褒めてるわ」
「いっちゃん……?」
本人が不在なのに……? どうして急に泉が出てくるのか……。問いかけると、真由美は自分のスマホを取り出した。
「ほら」
見せてくれたのは、トークアプリの画面だ。いつのまにか真由美は泉に、さっき撮った写真を送りつけていたらしい。
『見て、見て! 六花ちゃんかわいいでしょう? 素敵でしょう?』
真由美からのメッセージのあとに、泉の返信がある。
『六花によく似合ってる。ぐっと大人びて綺麗だ』
確かに褒めてくれている。でも……。
「これ、お義母さんが言わせてるよ」
六花は苦笑いした。そして「綺麗だ」なんて言葉に、不本意にもドキドキさせられた。