キスは契約違反です!! ~年下御曹司と期間限定ルームシェア~

 今日一日、問題なく仕事を終えた――と思う。
 いつも通りの一日だったはずなのにひどく疲れていて、自分の部署に戻った私は、デスクに肘をついて両手で頭を支えた。

 クライアントとの打ち合わせが定時過ぎまでかかったので、帰宅している社員も多い。私も、疲労感的には帰宅したかったけれど、クライアントにヒアリングした要望をまとめておきたい。それに――あのマンションはもう、私が帰れる場所じゃない。

 ぎゅ、とくちびるを噛んで、ノートパソコンに向き直る。キーボードに指先をのせたところで、――ふっ、と淡い影が差し掛かった。

 振り返ると同時に、「先輩」と呼ばれた。

 如月くんだった。手には、個包装のチョコを持っている。

「打ち合わせ、お疲れさまでした」

 柔らかな笑顔で、チョコを差し出してくれる。背が高くて、骨っぽい指先をした如月くんだけど、ふわふわの髪質や、眦をくしゃっとして笑うところが、まるで子犬みたいだと思う。

 一度それを言ったら彼は不本意そうだったので、それ以降は口を噤んでいるけれど。

「ありがとう」

 チョコを受け取って、ノートパソコンに向き直ろうとした。そうしたら、

「残業ですか?」

 如月くんが、デスクに片手をついて画面を覗き込んでくる。
 にわかに近づいた距離に、ぎょっとした。

「そう……東雲(しののめ)リゾート様の、改装案件。ヒアリングした内容をまとめておきたくて」

 画面を見つめながら、そう答える。「ふうん、」と相槌を打った如月くんが、手を伸ばしてノートパソコンを閉じたから面食らう。

「ちょっ……、」

 抗議の眼差しで振り返れば、

「それって、絶対今日やらないといけないことですか?」

 私は咄嗟に答えに窮した。
 打ち合わせ内容は、アプリで書き起こして議事録に残してある。必ずしも、今日中にやっておかなきゃいけないことじゃない。

「……違うけど」

 でも、だって、――現実世界に帰りたくなくて。
 泣きたい気持ちが込み上げたとき、「じゃあ!」と如月くんが声のトーンを上げた。

「ご飯、行きましょう。帰れるときに帰っとかなきゃ」

 は、と戸惑う私に、如月くんは笑う。

「明日でいいことは明日やればいい。帰れるときには帰らなきゃ――って、俺に教えてくれたのは先輩でしょ?」
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