おやすみなさい、いい夢を。
助手席の窓に雨粒が滑っていく。
ワイパーの一定のリズムがやけに大きく響いて、静かなピアノの音と共に車内の沈黙を埋めていた。
「……あの、こないだは……すみませんでした」
勇気を振り絞って口を開く。
「『恋人はいますか』なんて……変なこと、聞いちゃって」
ハンドルを握る日向さんは、一瞬だけ首をかしげて、それから小さく息を吐いた。
「……? あぁ……別に。興味本位だろ、どうせ。よく聞かれるから」
前を見据えたまま、少し間を置いて続ける。
「働き始めてからは、研修医の頃に一年ほど付き合った彼女がいたきりだ。……それ以来ずっといない」
「……そう、なんですか」
驚きに、思わず声が小さくなる。
(……意外。日向さんみたいに素敵な人なら、ずっと誰かが隣にいるんだと思ってたのに)
日向さんは苦笑を浮かべ、低く自嘲気味に言った。
「意外だろうが、これでも俺は……大分束縛気質だよ。
度が過ぎてるのは分かってるけど、じゃあどこに線を引けばいいのかって、いまだに分かってない」
ハンドルを握る指先に力がこもるのが、視界の端に見えた。
「……男のいる飲み会には行ってほしくない。
そもそも他の男と連絡なんか取るな、笑顔で会話するな――……付き合った相手にそう言って困らせたことが何度あるって話だ」
思わず、胸の奥がざわついた。
「……嘘ですよね?」
口をついて出た言葉に、彼は少しだけ苦笑し、明確な否定を返さなかった。
その代わり、静かに言った。
「……君は、こんな風な男に引っかからないでくれよ。見極める目を持ってくれ。いい子なんだから」
その声音が、優しいのか寂しいのか分からなくて。
雨音が一層強く響く中、胸が締めつけられるように熱くなった。