おやすみなさい、いい夢を。



一時退院の期間中、
理緒は午前だけ学校に来た。

午後はいないのが少し寂しかったけれど、
それでも――黒板の音や昼休みのざわめきの中に、
また少しずつ“いつもの日常”が戻ってきた気がして、
それだけで嬉しかった。

一度だけ、私たちは学校をサボった。
理緒が「たまにはいいでしょ」と笑って、
渋谷まで出かけた。

人の多さに少し疲れて、
適当に入ったカフェ。
窓際の席で、理緒はカップの縁を指でなぞりながら言った。

「桜さ。そういえば前、医学部気になるって言ってたよね」

「……うん」
不意に話を振られて、少し驚く。

「なんか、日向さん、とか……理緒がいつもお世話になってる先生たち見てて……すごいなって思って」

理緒は静かに笑った。
どこか、少しだけ遠い目をして。

「いいと思うよ。桜なら、きっといいお医者さんになる」

「……理緒は?」

その問いに、理緒は一瞬だけ言葉を止めて、
視線をカップの中に落とした。
ミルクの泡が少しずつ溶けていく。

「……私は、いいよ」
柔らかく、でもどこか決意めいた声だった。

「それより、今が大事」

「……理緒……?」

それ以上は、聞けなかった。
聞いちゃいけない気がした。

外はもう夕方で、
カフェのガラスに映る人の流れが橙色に染まっていた。

帰り際、席を立った理緒がふと振り返って言った。

「頑張ってね。受験勉強。……桜なら、気を抜かなきゃ絶対受かるんだからさ」

その言葉が、まるで他人事みたいに聞こえて。
私は何でそんなこと言うの、って反論したかった。
でも、喉の奥で言葉が止まった。

理緒はいつものように微笑んでいた。
その笑顔が、
どうしてか少しだけ遠くに見えた。








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