おやすみなさい、いい夢を。
「……エントランスまでは送ってく」
そう言って、日向さんはいつもの調子で歩き出した。
その背中が、やけに遠く見えた。
一歩、二歩。
気づいたら、私はその背中に手を伸ばしていた。
袖を掴むつもりだったのに、
気づけばそのまま――背中に腕を回していた。
「……中野さん?」
低く戸惑う声。
それでも、すぐには離れられなかった。
「……すみません。
しばらく、このままで……いいですか」
声が震えていた。
言葉を選ぶ余裕なんて、もうなかった。
理緒のことも、現実も、全部怖くて、
誰かにすがるようにしなきゃ、
自分が壊れてしまいそうで。
日向さんは、すぐには何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと肩越しに息を吐いて、
ほんのわずかに体を傾ける。
「……少しだけだ」
それだけを言って、動かない。
背中越しに感じる体温が、
寒さで強張っていた指先を少しずつ溶かしていく。
静かな病棟の廊下に、
遠くで機械の電子音だけが響いていた。
それが現実の音であることが、
やけに残酷に思えた。