あの町の言葉、この町のわたし

第3話 誤解と涙、すれ違う想い

圭介先輩からのお茶の誘いを、菜月はついに受けることにした。

「今日、圭介先輩と会うがやて」

朝、鏡の前で髪を整えながら菜月がつぶやいた。

「ついに決心したのね」未来が複雑な表情で言った。

「うん。ちゃんと話してみようと思って」

「そう…頑張ってね」

未来の声は少し寂しげだった。

◆駅前のカフェで◆

「お待たせしました」

圭介が笑顔で席に座った。菜月も緊張しながら向かい合う。

「今日は時間を作っていただき、ありがとうございます」

「こちらこそ」

二人はコーヒーを注文した。最初は和やかな雰囲気。

「文化祭の和菓子、本当に美味しかったです」

「ありがとうございます」

「あの、菜月さん」圭介が真剣な表情になった。

「はい?」

「実は、お願いがあるんです」

「お願い?」

「今度、学会で方言についての発表をすることになりまして…」

菜月の胸に嫌な予感が走った。

「菜月さんの福井弁を、実例として紹介させていただけませんか?」

「えっと…」

「もちろん、菜月さんにも同席していただいて、実際に方言で話していただければと」

菜月は困惑した。また「研究材料」として扱われるのか。

「あの、圭介先輩」

「はい」

「私のこと、どう思ってるんですか?」

圭介が戸惑った表情を見せた。

「どうとは?」

「研究対象?それとも…」

菜月が言いかけた時、圭介の携帯が鳴った。

「すみません、ちょっと失礼します」

圭介は電話に出て、少し離れた場所で話し始めた。

菜月は一人テーブルに残された。胸がもやもやする。


「すみません、教授からの電話で」

「はい」

「それで、学会の件ですが…」

「あの、圭介先輩」菜月が意を決して言った。

「私、先輩のこと好きやったがやけど、やっぱり私のこと、研究材料としか見てないんやろ?」

福井弁が早口で出てしまった。感情が高ぶると、どうしても方言が強く出る。

圭介の表情が変わった。

「え?今、なんと?」

「だから、私のこと研究材料としか…」

「その前に、『好きやった』と言いましたか?」

菜月の顔が真っ赤になった。つい言ってしまった。

「あ…その…」

「『やった』というのは過去形ですよね?つまり、もう好きではないと」

「え?」

菜月は混乱した。確かに「好きやった」と言ったけれど、福井弁では現在形でも「やった」を使うことがある。

「違うがやて!」

慌てた菜月の声がさらに大きくなり、早口になった。

「そんな怒らなくても…」

「怒ってないやて!」

福井弁の早口は、怒っているように聞こえてしまう。圭介は菜月が怒っていると勘違いした。

「すみません、僕が鈍感でした」

「そうやなくて!」

「『そうやなくて』?やはり僕の対応に問題があったんですね」

「違うがやって!」

菜月の声がさらに早く、強くなる。周りの客が振り返り始めた。

「菜月さん、落ち着いてください」

「落ち着いとるやて!」

完全にすれ違っている。菜月は必死に説明しようとするが、早口の福井弁は圭介には怒っているようにしか聞こえない。

「すみません、僕は確かに学術的な興味もありました。でも、それだけじゃ…」

「私はそういうことやなくて!」

「分かりました」圭介が立ち上がった。「僕の考えが甘かったです。申し訳ありませんでした」

「待って、圭介先輩!」

でも圭介はカフェを出て行ってしまった。

残された菜月は、呆然としていた。

◆カフェの外で◆

「何があったがやて…」

菜月は涙が溢れそうになった。ちゃんと伝えたかったのに、全部うまくいかなかった。

携帯が鳴った。さくらからだった。

「もしもし、菜月ちゃん?」

「さくらちゃん…」声が震えている。

「どうしたの?泣いてる?」

「圭介先輩と、大きな誤解を…」

「今どこ?」

「駅前のカフェ」

「すぐ行く!」



10分後、さくらが息を切らして到着した。

「菜月ちゃん!」

「さくらちゃん…」

二人はカフェを出て、近くの公園のベンチに座った。

「何があったの?」

菜月は今日の出来事を話した。学会での発表の依頼、自分の気持ちを伝えようとしたこと、そして早口の福井弁で誤解されてしまったこと。

「『好きやった』って言ったら、過去形だと思われて…」

「ああ、福井弁では現在形でも『やった』って使うのね」

「そうやて。でも圭介先輩は過去形だと思って…」

「それで誤解が広がったんだ」

菜月は泣き出した。

「私、ちゃんと伝えられんかった。早口になって、怒ってるみたいに聞こえたって…」

さくらが菜月を抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫だから」

「でも、圭介先輩はもう私のこと嫌いになったかも…」

「そんなことないよ。誤解なら解ければいい」

「どうやって?」

「ちゃんと説明すればいいのよ。落ち着いて、ゆっくりと」

さくらの優しい言葉に、菜月は少し落ち着いた。

「ありがとう、さくらちゃん」

「どういたしまして」

さくらは菜月の涙を拭いながら、自分の気持ちを押し殺していた。本当は、圭介先輩と距離ができることは嬉しい。でも、菜月が泣いているのを見るのは辛い。

◆その夜、寮にて◆

「ただいま」

重い足取りで帰ってきた菜月を、未来が迎えた。

「お帰り。デート、どうだった?」

菜月の泣き腫らした目を見て、未来は驚いた。

「どうしたの?」

菜月は今日の出来事を全部話した。

「そんなことが…」

「私、どうすればいいやろ?」

未来は複雑な気持ちだった。菜月と圭介先輩の関係が壊れるのは、正直嬉しくないわけじゃない。でも、菜月がこんなに傷ついているのは見ていられない。

「明日、もう一度ちゃんと話してみたら?」

「でも、圭介先輩はもう私のこと…」

「大丈夫よ。誤解なら解ける」

「ほんまに?」

「本当よ」

未来が菜月の手を握った。

「私がついてるから」

「ありがとう、未来ちゃん」

◆翌日の大学で◆

菜月は圭介を探した。でも、姿が見えない。

授業にも来ていない。もしかして、避けられている?

「佳乃ちゃん、圭介先輩見なかった?」

昼休み、食堂で佳乃に聞いた。

「圭介先輩?見てないけど…何かあったの?」

「実は…」

菜月が事情を説明すると、佳乃は首を横に振った。

「それは完全に誤解やね。福井弁って早口やと怒ってるように聞こえるんよね」

「そうながやて」

「私も北海道弁で似たような経験あるから、分かる」

「どうしたらいいやろ?」

「メールとか、文字で伝えたら?口頭だと誤解されるなら、書いて伝えればええやん」

「なるほど!」



菜月は勇気を出して、圭介にメールを送った。

『圭介先輩へ

昨日は本当にすみませんでした。
私、ちゃんと説明できなくて、誤解させてしまいました。

「好きやった」は福井弁では現在形でも使います。
だから、「もう好きじゃない」という意味じゃなくて、
「今も好きです」という意味でした。

それから、早口で話したのは、緊張して感情的になったからで、
怒っていたわけじゃありません。
福井弁は早口になると、怒っているように聞こえるみたいで…

本当にごめんなさい。
もう一度、ちゃんとお話できませんか?

今度は落ち着いて、ゆっくり話します。

村瀬菜月』

送信ボタンを押す時、手が震えた。



一時間待っても、二時間待っても、返信が来ない。

「既読にもならんやて…」

菜月は不安になった。

◆お茶部で◆

「菜月ちゃん、元気ないね」麻美部長が心配そうに言った。

「ちょっと、複雑なことがあって…」

「恋愛のこと?」真由がにやりと笑った。

「バレてる?」

「バレバレよ」

さくらが菜月の隣に座った。

「返信、まだ来ないの?」

「うん…」

「きっと来るよ。圭介先輩だって、冷静になれば分かるはず」



圭介からだった。メールではなく、電話。

「もしもし?」

「菜月さん、お電話いいですか?」

圭介の声は少し申し訳なさそうだった。

「はい」

「メール、読みました。僕の方こそ、すみませんでした」

「いえ、私が…」

「菜月さんの気持ち、誤解していました。福井弁の『やった』が現在形でも使われるなんて、知りませんでした」

「そうながやて」

「それから、早口になったのが怒っているからだと思ってしまって」

「私も、落ち着いて話せばよかったやて」

「もう一度、会っていただけませんか?今度は僕が菜月さんの話をちゃんと聞きます」

菜月の胸がドキドキした。

「はい」

「ありがとうございます。明日、都合はいかがですか?」

「大丈夫です」

電話を切った後、お茶部のみんなが菜月を見ていた。

「良かったじゃない」麻美部長が微笑んだ。

「うん」

でも、さくらだけは複雑な表情を浮かべていた。

◆その夜、寮にて◆

「未来ちゃん、圭介先輩から電話があったやて」

「そう…良かったじゃない」

未来も複雑な気持ちだった。

「明日、もう一度会うことになった」

「そう…」

「未来ちゃん、どうしたん?元気ないやろ?」

「ううん、大丈夫」

でも未来の声は寂しげだった。

菜月は未来の様子が気になったが、明日のことを考えると胸がいっぱいで、それ以上聞けなかった。

その夜、三人の女性がそれぞれの部屋で複雑な想いを抱えていた。

菜月は明日の再会に期待と不安を感じながら、
さくらは菜月への想いと圭介先輩への複雑な感情に揺れながら、
未来は菜月の幸せを願いながらも、自分の気持ちに苦しんでいた。

恋は、思った以上に複雑で、切なく、そして甘酸っぱい。

明日は一体、どんな展開が待っているのだろうか。
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