俺様パイロットは容赦なく愛を囁き偽り妻のすべてを奪う
* * *

 あと二時間ほどで、今日の勤務は終わる。

 今月の翔さんは、国内線のフライトを担当している。今日は北海道(ほっかいどう)から羽田までの便に乗っているはずで、珍しく私と彼の帰宅時間が重なる。だから、あのカフェで待ち合わせて一緒に帰ろうと約束していた。

 休憩に入り、夕ご飯はどうしようかと悩む。
 帰りに外食をするのもいい。

 でもここのところ一緒に過ごす時間があまりとれなかったから、買い物をしてふたりでキッチンに立つのも捨てがたい。
 明日はお互いに休みだけど、自宅でゆっくりしようか。それとも、ずっと気になっていた映画に誘おうか。
 大好きな彼といられるというだけで、自然と頬が緩んだ。

『メーデー、メーデー、メーデー。アプローチ、こちらRAJ34』

 業務に戻って、しばらくした頃。パイロットから緊急事態のコールが入り、瞬時に緊張が走った。

 デスクの上で手をぐっと握る。私がこの声を聞き間違えるはずがない。

『RAJ34、アプローチです。どうぞ』

 わずかに語尾が震えてしまったが、ここで怯むわけにはいかない。小さく息を吐き出し、落ち着くように自身に言い聞かせた。

『こちらRAJ34。エンジントラブル発生。エンジンからの出火を確認。緊急着陸を要請』

 最悪な事態にひゅっと息をのむ。そして、間違いなく翔さんの声だと確信した。

『りょ、了解』

 続けて指示を出そうとしたが、さっきよりも声が震えてしまったため一旦区切る。

『RAJ34、搭乗者数と、ざ、残存燃料を要求します』

 動揺を見せてはいけない。
 こういう事態になったときの訓練は何度も行っているし、実際に対応した経験もある。そのときは落ち着いて機体を導き、事なきを得た。

 パイロットだって、不測の事態に直面した際の訓練は十分受けている。
 無線を通して聞こえてきた翔さんの声は、ピンチの真っただ中にいるにもかかわらず普段と変わらない。
 大丈夫だと自身に言い聞かせながら、両手を握り合わせた。
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