クズ男の本気愛
堪忍袋の緒が切れる
あまり広いとは言えないキッチンにはコンロが二つあり、左には味噌汁が入った小さな鍋がある。その右手にフライパンを置いて火をつけると同時に、玄関の開く音がした。あ、帰ってきたか、と私は心で呟く。
時刻は十九時。いい頃だ。
「ただいまー! めっちゃいい匂いがするー!」
仕事終わりの大輔が満面の笑みで部屋に入ってきたので、私は微笑んだ。すっかり『ただいま』が普通になってしまっている。
「おかえり。もうちょっとしたら生姜焼きが出来る」
「最高! 璃子の生姜焼き、うまいんだよなーちょっと手を洗ってくるわ」
嬉しそうに大輔が笑ったので、私も嬉しくなる。温まったフライパンに玉ねぎを投入し、それを炒め始めた。生姜焼きなんて比較的簡単に出来るものなのに、彼はいつでも美味しそうに頬張ってくれるからありがたい。
私は鼻歌を歌いながら料理を続ける。
「璃子ー?」
「何?」
「ハンドソープ無くなりそう」
「下の棚に入ってるから」
「んー後でやっといて」
そんな声が聞こえて、むっとする。今、私は手が離せないんだからやってくれればいいのに。
「ちょっとした手間じゃん、今やっといてよ」
「でも璃子の家じゃん」
当然のように言ってくる大輔に、はあとため息をついた。そりゃ私の家だけど、鍵を渡した途端ほとんど住みついてしまったくせに。
同期の宇野大輔と付き合いだして三ヵ月になる。ノリがいい相手で、向こうからの告白で交際がスタートした。その告白もどちらかと言えばロマンチックなものではなく、ノリと思い付きで言った、という感じだった。
でも私は元々大輔に好意を持っていたし、嬉しかったので受け入れた。大輔は明るくて友達も多く、いつもみんなの輪の中心にいるような人で、一緒にいて本当に楽しい存在だったから。
すぐに半同棲生活がスタートし、大輔は週の半分はこうして『ただいま』と私の家に帰ってくる。料理を美味しいと言って食べてくれるのは本当に嬉しいけれど、相手は一切料理もしないし食費を入れてくれるわけでもないので、そういうおおざっぱなところはちょっと気になる。ああやって、ハンドソープの詰め替えもやってくれないし。
まあ、元々大輔が気遣いなんてできない人間だって知ってたんだけど……。
ちらりと後ろを見ると、大輔はソファに座ってテレビをつけていた。私は口を尖らせて言う。
「ご飯出来るよ」
「んー」
「ほら、よそってくれる?」
そう言うと、仕方ない、とばかりに嫌そうに立ち上がる。毎回、言わないと動いてくれない。全く、子供じゃないんだから。
私は出来上がった料理を二人分、ローテーブルに運んで大輔の隣に座る。料理のために結んでいた髪をほどき、肩までの黒髪が揺れた。やっと手を合わせ、大輔はすぐさま箸を手に取って嬉しそうにかぶりついた。
「うまい!」
ぱあっと目を輝かせて言うその顔を見て、気になっていた小さな部分は忘れてしまう自分は単純だな、と思った。大輔のこういう子供みたいな顔は憎めないし、いつでも正直なのは友達が多い理由もわかる。
「よかった」
「璃子の生姜焼き美味いわー。あ、次ハンバーグ作ってな!」
「もう、子供メニューじゃん」
「チーズ乗せて!」
「あはは、子供じゃん」
笑いながら幸せな夕食を取る。大輔のお皿はすぐに空になってしまい、食べ終わるとそのままソファにダイブして寝転がった。私はまだ必死に箸を運んでいる。
「なーなー璃子? 次の休み、どこいくー?」
「え、今週?」
「そうそう。体動かしたくねえ?」
スマホをいじりながら笑ってそう言ったが、私は唸った。実は、私はそんなに体を動かすのは好きじゃない。それに先週、彼と遠出したばかりなのだ。
「今週は家の掃除とかゆっくりしたいかな、って」
「えー家?」
「先週も出かけてて、ちょっと散らかってるし」
「なんだよーどっか行こうと思ったのに」
むっとした大輔に、こちらも困る。大輔は体力もあるし遊ぶのが好きだけれど、私は大輔ほど体力はないし、家でゆっくりするのも好きなのだ。まったり過ごす週末だってほしい。
「またその次に出かけようか」
「ノリわるー」
「そんな言い方しなくていいでしょ」
「はいはい。次ねーんじゃ、他の友達誘って今週は出かけるわ」
大輔はそう言ってすぐに誰かに連絡を取り始めた。友達が多い大輔は、私と出掛けられないとわかると他の誰かを見つけてくる。私はそんなに友達が多くはないので、彼の交友関係の広さには憧れるが、多分自分なら疲れてしまいそう。友達は深く狭く、のタイプなのだ。
しばらくして夕飯を終え、二人分の食器を洗い終える。ようやくすべてが終わり、ほっと一息つくために大輔の隣に座り込む。彼はスマホ何やら操作していた。
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