一途すぎて捨てられた令嬢、辺境で溺愛されて家族も未来も手に入れました
薄曇りの空の下、カノンティアを乗せた黒い馬車は、王都から遠く離れた街道を進んでいた。
舗装の途切れた石畳の上で、車輪が軋むたびに重苦しい音が響く。
道の両脇には、冬を待たずして枯れ果てた草原と、影を潜めるように沈黙する森。
霧に包まれた山影が遠くに浮かび、風が枝を揺らしては、ざわりと冷たい音を立てて通り過ぎていく。

その光景は、彼女の心そのものだった。
色を失い、温度を失い、ただ終わりへ向かうだけの世界。

――これが、追放の旅。

公爵家の紋章が刻まれた黒塗りの馬車には、護衛がわずか三人。
本来ならば、貴族令嬢の移動には少なくとも十人の騎士が伴うはずだった。
だが、今回ばかりは違う。
王命によって追放が決まった令嬢に、誰も惜しむ者はいなかった。

父は形ばかりの形式を整えただけで、最低限の護衛をつけ、無表情のまま送り出した。
――まるで「途中でどうなろうと知ったことではない」と言わんばかりに。

カノンティアは薄い毛布を肩に掛け、窓越しに流れる景色を見つめていた。
外の空気は冷たく、息を吐けば白く曇る。
風に揺れる木々の影が、まるで彼女の運命を嘲笑うように揺れている。
背筋を伸ばして座っていても、胸の奥は重く沈み、何かに押し潰されそうだった。

(もう、戻る場所はないのね……)

静かな呟きは、馬車の中に吸い込まれるように消えた。
王都での屈辱、家族の冷たい目。
婚約破棄の夜、嘲りの拍手を浴びたあの瞬間が、今でも脳裏に焼きついて離れない。

そのとき――。

馬が甲高くいななき、車体が激しく跳ねた。

「な、何事ですの!?」

「お嬢様!馬賊です!伏せてください!」

御者の叫びが響いた直後、鋭い金属音が外で連続した。
剣と剣がぶつかり、誰かの悲鳴が上がる。
地面に倒れる音、血の匂いが風に混ざった。
馬車の周囲が一瞬にして修羅場に変わる。

「いやぁ……こりゃあ上玉だな」

扉が乱暴に開かれ、汚れた靴のつま先が馬車の床を踏みつける。
黒ずんだ革鎧に身を包んだ男が立っていた。
血に濡れた刃を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべている。
背後には十数名の盗賊が列をなし、刃を光らせていた。

「王都の落とし物を拾うとは運がいいぜ。どうだ、嬢ちゃん? その綺麗な顔、俺たちの慰みにしてやってもいい」

下卑た笑い声が、空気を穢すように広がる。
カノンティアは、背筋を正した。
恐怖に震える心を押し殺し、ゆっくりと顎を上げる。

「……わたくしに触れたら、ただでは済みませんわ」

「へぇ、口が減らねぇな」

盗賊がナイフを掲げ、馬車の中に足を踏み入れる。

その瞬間――。

「……その手を離せ」

低く鋭い声が、霧を切り裂くように響いた。
次の瞬間、盗賊の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
鈍い音とともに男の身体が転がり、土煙が上がった。

「な、なんだ!?」

「後ろだ!」

黒い外套をまとった男が、霧の中から現れた。
風に揺れる栗色の髪。
腰の剣はすでに抜かれ、刃に付いた血が冷たい光を反射している。

「王都の令嬢を狙うとは……命が惜しくないようだな」

「貴様は何者だ!」

怒鳴り声が飛ぶが、次の瞬間には男の姿が霞のように消えた。
金属音が重なり、閃光のような剣撃が一閃。
数人の盗賊が膝をつき、次々と倒れていく。
その剣筋は、舞のように美しく、そして容赦がなかった。

残った者たちは怯え、互いに顔を見合わせる。

「ひ、引け!こいつ、ただ者じゃねぇ!」

蜘蛛の子を散らすように逃げていく盗賊たちを、男は追わなかった。
静かに剣を鞘に納め、息を整えると、馬車の中を覗き込んだ。

「……お怪我はありませんか、カノンティア様」

その声を聞いた瞬間、カノンティアの心臓が跳ねた。
見覚えのある、落ち着いた声。
そして、懐かしい瞳。

「……あなた、まさか……」

男はわずかに笑みを浮かべた。

「覚えていてくださったのですね。ユリウス・ヴァン・レーヴェン――レーヴェン子爵家の次男です」

「ユリウス……!」

その名を口にした瞬間、幼い日の記憶が蘇る。
孤独だった日々、誰も寄り添ってくれなかったあの時、
泥だらけになって自分を庇ってくれた少年の姿。

かつては華奢で頼りなかった彼が、今は堂々と剣を携え、彼女を救い出している――
その変化に、胸の奥が熱くなる。

「どうして……あなたがここに?」

「噂を聞いたのです。アークライト公爵令嬢が追放された、と」

ユリウスは血の付いた剣を拭い、彼女の前に膝をつく。

「放っておけませんでした。あなたがどんなに遠くへ行こうと……俺は、見捨てることなどできない」

その真っ直ぐな視線に、カノンティアは息を飲んだ。
誰も彼女を見ようとしなかった。
誰も、その心の痛みに寄り添ってくれなかった。
けれど、彼だけは違った。

「この先は危険です。辺境には盗賊団も魔物も出る。俺が同行します」

「そんな……あなたに迷惑を――」

「迷惑じゃありません」

彼はその言葉を遮るようにきっぱりと言った。

「子供の頃から、あなたは俺の光でした。気高くて、誰よりも優しくて……。だからこそ、今こうして傍に立てることが、夢のようなんです。――どうか、この命を使わせてください。あなたを護るために。」

カノンティアは言葉を失い、視線を落とした。
風が頬を撫で、髪が揺れる。
心の奥で何かが、そっと溶けていくようだった。

「……では、お願いするわ。ユリウス」

彼は静かに頷く。

「ええ。必ずあなたを守ります。命に代えても」

馬車の周囲には、いつの間にか霧が濃く立ち込めていた。
白く霞む空の向こう、遠くで雷が鳴る。
その音は、これから始まる運命の幕開けを告げる鐘のようだった。

――かつて失ったものを、取り戻すために。
そして、愛を「重い」と嘲ったすべてに報いるために。

カノンティアの瞳は、静かな炎を宿していた。
その光は、かつての令嬢のものではなく、
“復讐を誓う女”のものだった。
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