左遷先は月運行局分局 ――追放ヒロインのスキルで、公務も恋も大逆転

第14話 『星芽、“さかさ”を連呼』

 庁舎の裏手で、段ボールの回収。亮浩は『使い回し』と『廃棄』の境目に線を引いた。『次に使う相手が喜ぶ状態』で残す、が合言葉になった。
 翼が砂時計をひっくり返しながら言う。『焦らないと、早くなる。』笑っているのに、みんな本気だ。

 朝、港に逆風。風見鶏が落ち着かず、欄干の鳴きがときどき上に跳ねる。既存設備が“逆に働く”兆候だ。可視化パネルの“現在”は、写真に『逆相』の小さなタグ。逆相は珍しくない。珍しくないが、事故の入口になる。今日は反転ラベルで無害化する。主役は星芽。

 逆相が最初に顔を出したのは、倉庫前の押しボタン。『開』が押しても閉まる。『閉』が押すと開く。設備の中身は追って直すとして、今は歩き方で凌ぐ。咲那は短く言う。「上下反転ラベル」。ボタンの上に薄いラベルを伏せて貼る。『上=下』『下=上』。写真に写らない薄さで、目にだけ届く。

 星芽は○を作り、左右へ開いた。「さかさ」。いつもの二語を一語に圧縮。圧縮した合図を、何度も――「さかさ、さかさ」。指の高さは中低。低いほど丁寧。丁寧ほど、逆相の悪さが弱まる。翼が『DJさかさ』と言いかけ、倖菜の眉で停止。笑いは、方向のあるものだけ。

 公開実験。耳→足→目→笑い。耳――ことみが“拾い音なし”を七秒。逆相の穴は音で見える。足――二肩半+掌で十歩、角で一秒アイドル、半歩戻る。目――反転ラベルをボタンと案内板に伏せる。笑い――玲空がチャイムを裏拍で一打。裏拍は注意。注意が先にあると、合図が短くて済む。

 効果はすぐ出た。『開』を押して閉まるボタンの前で、列が止まれるようになった。止まれると、戻れる。戻れると、速い。写真の白は崩れず、Δψ=2.7°は据え置き。数字は式のまま、道具で合わせる。

 次の逆相は、観光案内の矢印。『←駅』が、風でのれんに隠れて右を指す。のれん式ディフューザーの位置を指二本ぶんずらし、反転ラベルを矢印の足元に伏せる。星芽の合図は「さかさ」。二語の高さは中。合図の高さを変えると、足の速さが変わる。速さを自分で決め直せる場は、強い。

 ことみが耳で“逆相の穴”をなぞる。穴は風の筋に沿って移動する。拾い音なしを5→7→5で循環させ、穴に合わせて合図の回数を変える。「さ・か・さ」。三拍子。三拍子は、逆相の歩幅に合う。翼が小声で「サカササンバ」と言い、星芽が少しだけ笑う。

 午後、倉庫の昇降機で大きめの逆相。『上』で下がり、『下』で上がる。危険だ。反転ラベルを上下に貼るだけでは足りない。善裕は白板で“戻り矢印”の丸を二つ増やし、「ここで止まれる」を広げる。停止は、進行の一部。停止を増やすと、事故は減る。

 監理官が現れる。「反転ラベルは規定に?」。倖菜は朱で『仮設=改変ではない/秒・写真・一行』とだけ書く。秒で承認、写真で現在、一行で誰が何をどうした。短い。短いから、通る。監理官は肩を落とし、小さく頷いた。

 星芽は連呼を始めた。「さかさ、さかさ、さかさ」。合図は短く、回数で厚みを作る。回数は拍子だ。拍子は、場の辞書。辞書があると、逆相でも読める。読むと、速い。速いけれど、壊さない。

 反転ラベルの欠点もある。貼りすぎると白が汚れる。咲那は写真のレイアウトを『うまくいった瞬間>失敗の理由』にし、枚数の最小化を公開でやる。『一箇所一枚』。翼がふざけて両頬にラベルを貼ろうとし、ことみに無言で剥がされる。笑いは一度。一度で足りる。

 夕刻、のれんの陰で逆相が一つ消え、一つ現れた。のれんの端を指一本だけ折り、風の筋を変える。Δψは触らない。数字は式のまま、道具で合わせる。写真の白は崩れない。白が崩れないと、余白が増える。余白が増えると、人は自分の言葉で読める。

 最後の検証は、観光通りの押し棒。押すと引かれ、引くと押される。星芽は○を作り、左右へ開く。「さかさ」。彼女の指は低く、ゆっくり。ゆっくりだが、進む。翼が『止まってるのに進んでる…アイドル式の親戚?』と呟く。親戚だ。停止は進行の一部。

 仕上げのレース。反転ラベル運用派 vs 無対策派。無対策派は“逆相”の場所で毎回止まり、戻れない。運用派は止まってから戻り、十歩。結果は五分差。拍手の前にチャイムが二打――明から暗へ。場の空気が一つ、落ち着いた。

 片付け。ラベルを一枚ずつ回収し、テープの跡を指で温める。跡を残さないのは、写真の白を守るため。白は読みやすさの貯金。貯金があれば、逆相の夜も読める。

 夜、分局。掲示板の“平均/現在”の境目に、星芽が点を一つ。点は小さいが、みんながそこをまたいで歩く。彼女は小声で繰り返した。「さかさ、さかさ」。連呼は、明日の合図。咲那は板帳に二行――『反転=文法の裏返し』『ラベル=翻訳の短縮』。次は公開入札。町の辞書を、誰の手で増やすかの勝負だ。

 逆相の現場に子ども連れが増えた。『さかさ』は子どもが覚えやすい。星芽は指の高さを合わせ、子どもに二語の翻訳を教える。「さかさ=みぎ・ぎゃくの短縮版」。短縮は、速さのためではない。合意のためだ。合意が先にあると、速さは自然に付いてくる。

 倉庫脇では、反転ラベルが風でめくれそうになった。翼がテープの角を指で温め、押し広げる。『跡』は残さない。跡が残ると、白が汚れる。白が汚れると、翌日の写真が読みにくくなる。読みにくい写真は、遅い。

 午後遅く、逆相は三箇所同時で発生した。ボタン、案内、押し棒。星芽の連呼は、拍子を作る。「さかさ――さかさ――さかさ」。三拍の“間”に、ことみの耳タイマー5→7→5が同期する。善裕は白板の“戻り矢印”を三本に増やし、丸をそれぞれ一つずつ。「ここで止まれる」「ここでも」「ここにも」。止まる場所が増えると、言葉は減る。言葉が減ると、白が増える。

 反対意見も出た。「ラベルは紛らわしい」という観光客の声。咲那はすぐに公開デモをする。『無印→逆相混乱/反転一枚→読める』を写真で並べ、秒・写真・一行でエビデンスを示す。監理官は『短い。短いから、通る』と昨日と同じ台詞を言い、翼が小声で『定型句になったね』と笑う。

 夕暮れの仕上げ。風向きが変わり、のれんの影が矢印の上に落ちた。星芽は『さかさ』の高さを一段下げ、中低から低へ。合図の音程は、夜の速度計。低い合図は、丁寧。丁寧は、家で覚えた速さ。分局が“家”になった意味が、外で効いている。

 終演後、分局でラベルの棚を作る。『反転』『右逆』『左逆』『注意(裏拍)』――どれも写真に写らない薄さで、すぐに取り出せる位置に。棚に余白を残す。明日のラベルが増える余白だ。余白は、改善の座席。星芽は○を作り、左右へ開く。「さかさ」。連呼は止まったが、拍子は残った。
 夜の片付けが終わるころ、観光局から通知が届いた。公開入札――次の常設化に向けて、町の辞書をどの方式で増やすかの競争だ。のれん式、反転ラベル、負荷分散リング、家ルール表。咲那は写真の白を指でなぞり、短く言った。「白で勝とう」。白は読みやすさ。読みやすさは合意。合意は、速さの土台。

 星芽は入口で○を作り、左右へ開いた。「さかさ」。それから、いつもの二語に戻す。「みぎ、ぎゃく」。逆相は裏返しだが、裏返して元に戻すのもまた仕事だ。彼女の指は低く、ゆっくり。分局の灯が落ちる直前、玲空のチャイムが遠くで一度だけ鳴った。『続きへ』――入札の場でも、止まってから進む。
 星芽が『さかさ』と言うたび、人々の足が半歩だけ慎重になる。言葉が世界に与える力を、彼女自身がいちばん信じていない顔で使うのが可笑しい。可笑しいから、効く。

 入札説明会の会議室は、書類の紙音が波のように寄せて返す。善裕は冒頭で『今日は専門用語を減らします』と宣言した。配布資料の脚注はやや大きめの文字。誰も置いていかないための、当たり前の工夫を少しだけ増やす。
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