溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い
 智弘に手を引かれたまま、私たちは水槽の並ぶ通路を歩き始めた。
 先ほどの出来事について、彼は一切触れない。それが、どことなく怖かった。

 12年前、彼は間違いなく私を選んでくれた。誰に言われたわけでもなく、彼自身の意思で私に言葉を贈ってくれた。それを理解しつつも、自己肯定感の低さが邪魔をして、彼からの愛情を素直に受け止められずにいた。
 
 それは今日に至るまで私のことを苦しめ続けていた。

(私が不安に思っていることをすぐに察して言葉をかけてくれた)

 愛されているはず。いや、愛されている。
 でも、それは私だって同じこと。私だって、智弘のことを大切に思っている。
 
 私は水槽の中の魚たちに視線を向けた。深い青に包まれた水の世界は、外の喧騒とは隔絶された静寂に満ちている。

「ねぇ、」
 
 私の声はやけに響いた。端的な呼びかけにピタリと足を止めた智弘は、一向に振り向く気配がない。

「さっきはありがとう。…いつ出て行こうか迷ってたんだよね」
 
 素直にお礼を伝えると、繋いでいる手にわずかに力が入った。不思議に思っていると、彼はゆっくりと振り返った。
 その表情は、苦虫を嚙み潰したようなものだった。

「な、に?」
「美咲は…俺があの2人に絡まれているのを見て何とも思わなかったのか?」

 静かな通路には、私たち2人だけ。相変わらず浮世離れした雰囲気をしていることに加え、審判にかけられたような緊張感が走る。

「何ともって、」
「……」
「……分からないよ」
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