溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い

　無事に終業時刻を迎えたが、どうやら智弘は取引先との打ち合わせが長引いているらしい。そのまま会食へ移行したため、タクシーか電車で帰宅してほしいとの連絡が入った。

「『承知しました。慌てなくていいよ』っと」

　返信をしてから、片付けに取り掛かる。今日も、そんなに残業せずに済んで良かった。ほっと息をつきながらも、どうやって帰ろうか考える。智弘はタクシーで帰ってほしそうではあったが、私は少し考えてから電車を選んだ。理由は単純で、久々に電車に乗りたかっただけ。
　定時近くに上がれたせいか、駅に向かう人が多い。帰宅ラッシュに遭遇したのなんて、何年振りだろう。若干の懐かしさと、ワクワク感が抑えきれない。
　
　駅のホームは、予想通り多くの帰宅客でごった返していた。スマホで運行状況を確認し、最寄りの電車を待っていると、不意に背後から声をかけられた。

「先輩、お疲れ様です！」

　聞き覚えのある明るく張りのある声に、思わず振り返る。そこに立っていたのは、数か月前に智弘の強烈な牽制の対象となった後輩＿＿向井君だった。

「向井君！？びっくりした…お疲れ様」
「お疲れ様です！先輩が電車なんて珍しいですね」
「うん、今日はたまたま。向井君はいつも電車なの？」
「はい！あ、そうだ。先輩、昼間の急なヘルプ、本当にありがとうございました！」

　向井くんは心から感謝している様子で、私を見る瞳はキラキラと輝いていた。その純粋な敬意の眼差しは、私にとっては眩しすぎる。

「いいのいいの。気にしないで。ほら、電車来たよ」
　
　電車が到着し、私たちは並んで乗り込んだ。