溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い

　家に着いても尚、私の胸中はざわついていた。彼の言葉が脳内で反芻し、苦しさは増すばかり。
　幸いにも、智弘はまだ帰っていない。その事実に少し安堵しつつも、やはり彼のいない空間は広すぎて寂しい。そんな気持ちを紛らわすかのように、静かな部屋の中で私はようやく深く息を吐くことができた。

　（＿＿裏切れない）

　私が智弘以外の男性とプライベートで会うことは、彼との関係に対する明白な裏切り行為だ。それだけはしてはならないし、したくない。

　それに、この期に及んでも私は向井君の身も案じていた。彼は仕事面では、会社にとても貢献してくれている。業務上での問題は一切ないのだ。そんな彼に対して御曹司である智弘が一度不快感を示せば、向井くんの会社での立場は一瞬で崩れ去るだろう。彼の将来を、私への気持ちで巡り巡って潰すような真似はしたくなかった。
　お節介だとしても、能力に対する正当な評価はされるべきだと私は思う。
　
　スマホのバイブレーションが鳴った。ロック画面に表示された名前は、予想通り向井くん。

「はー…」
　
　見たくない一心でスマホをテーブルに伏せる。微かに残る胸の痛みを押し殺していると、程なくして玄関の鍵が開く音が響いた。

「ただいま、美咲」

　智弘が帰ってきた。きっと、駅から家に帰る間に連絡があったのだろう。色々考えていたせいで気づかなかったらしい。チャイムを鳴らしてくれれば良いのにと思うものの、きっと彼なりの配慮だろう。

「おかえりなさい、智弘」

　私は慌てて立ち上がり、笑顔を作って彼を迎える。その笑顔が、完璧な秘書としての笑顔なのか、それとも愛する恋人としての笑顔なのか、自分でも判別がつかない。ただ、彼を安心させたい……いや、私が安心したかった。

　智弘はいつものように私の頬にキスを落とそうとしたものの、急に動きを止め、私の顔をじっと見つめた。そして、

「どうした？何かあったか？」

　優しく尋ねられた言葉に、私は息を呑んだ。