溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い
「先輩、ごめんなさい。俺、嘘つきました」
彼はゆっくりと立ち上がり、私の正面に立つ。その動きの1つ1つが鮮明に映る。私が身じろぎ1つ出来ない中、彼は深く息を吸い込んだ。
「最初から、けじめをつけるつもりはありませんでした。1日でも先輩を櫻谷様から奪いたくて、あわよくば先輩が振り向いてくれたら嬉しいなって。…ずるい考えでした」
彼の言葉に息を呑む。『ずるい考え』と自分の口で言いながらも、滲み出るのは純粋な略奪心。それを突き付けられた今、私のちょっとした言動が今後を大きく変えることは明らかだった。
「でも、今日一緒に過ごして分かったんです。先輩が本当に求めているのは、こういう普通の日常じゃないですか?櫻谷様には、俺のような『普通』は用意できない」
そうでしょう?、という言葉と共に向井君は笑い、強い眼差しで訴えかける。
「俺じゃ、ダメですか。俺は本当の意味で、先輩の隣に立つことができます。気軽に、想いのままに、愛し愛されることができるんですよ」
夕焼けが彼の顔を赤く照らす。言葉の1つ1つがあまりにも純粋で、あまりにも重い。
きっと、かつての私ならその言葉で揺らいだだろう。
でも、もう違う。劣等感を感じる必要が無いと、他でもない智弘が教えてくれたから。
「ありがとう、向井くん。でも、やっぱり断らせて」
「っ、どうしてですか!?」
彼は、初めて見せる取り乱した表情で私に詰め寄る。明らかに繕えなくなった、向井君の素の姿がそこにはあった。
一瞬怯みかけるも、ぐっと堪える。そして、
「向井くん。私は、智弘のことが好きなの」
私から伝えるべき最も大切なことを、はっきりと口にした。
迷いのない言葉に、向井くんは愕然とした顔をした。そして、その顔はすぐに悔しさに歪む。