溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い
 コンコンコン
 
 智弘がノックに返事をすると、静かに扉が開いた。その先には、智弘の会社の部下であり、かつて美咲を巡って火花を散らした恋敵でもある向井が立っていた。
 向井は部屋に入るなり、扉の陰で一度だけ小さく息を吐いた。そして、覚悟を決めたように振り返った。その顔には隠しきれない気まずさと、皮肉な笑みが混在している。
 
「恋敵を結婚式に呼ぶなんて正気ですか?」
 
 向井は挑発的にそう言った。しかしそんな言葉とは裏腹に、ネクタイを直す向井の指先が微かに震えているのを、智弘は見逃さなかった。だが、それを指摘することなく穏やかな表情で笑った。

「恋敵だからこそ、だろう」

 その言葉に向井は顔を顰める。

「もしかして『ちょっと待ったー!』ってやつ、やってほしいんですか?期待されているなら、今から喉の調子を整えますけど」
「だとしたら、俺悪趣味すぎないですか?」
「それと同等なことはやっていると思ってくださいね」

 言葉の端々には棘があるが、その響きにはかつてのような鋭い敵意はない。

 数カ月前、美咲を巡って正面からぶつかり合ったあの日から、2人の関係は少しずつ変化していた。
 
 仕事の後に、どちらからともなく誘って始まった密会。話す内容は美咲への惚気話のみだが、それを要求するのは向井であり、険しい顔をしながらも最後には「先輩が幸せそうなら良かったです」の一言で終わるのだ。
 智弘としても、惚気先が増えるのは大歓迎であった。智弘にとって向井は、自分の愛の深さを確認する鏡のような存在であり、美咲の魅力を誰よりも理解する同志でもあった。

 向井は、想い人の幸せの確認のため。
 智弘は、愛情の深さの確認のため。

 そんな利害の一致から、美咲の知らないところで密会が定期的に行われていたのだった。
 
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