溺れるほどの愛は深くて重く、そして甘い
「で、改めて聞きますけど、俺をここに呼び出した理由は何ですか?式直前の新郎がこんなところで油を売っていては花嫁が悲しみますよ」

 視線を向けられた智弘は少しの間の後、噛み締めるように言葉を紡いだ。

  「ありがとう」

 その言葉は、部屋に柔らかく響いた。向井は、目を真ん丸にして驚くしかない。

「……それだけ、ですか」
「ああ、これ以上の言葉は蛇足になってしまう」

 その感謝は、何に向けての感謝なのか。美咲を諦めてくれたことか、それとも彼女を愛してくれたことか、はたまた会社を辞めなかったことか。
 感謝の矛先は、ここに居る2人にしか分からない。それを証明するかのように、永遠かと思われる静寂を破ったのは向井の小さな笑い声だった。

「もう執着するな、とか言われると思ってました」

 向井の言葉に、今度は智弘が笑う番だった。その笑いは、緊張に満ちた控室の空気を柔らかく解いていく。

「何を言う。君はもう美咲に執着していないだろう」

 その言葉に、向井はピクリと肩を揺らした。そして、再度深々とため息を吐く。
 それらの一連の反応は、意図せず肯定を表していた。
< 84 / 86 >

この作品をシェア

pagetop