愛する祖国の皆様、私のことは忘れてくださって結構です~捨てられた公爵令嬢の手記から始まる、残された者たちの末路~

12.外交会談

 王宮の一角には別荘のような、ラフなコテージがある。
 とはいえ内装は指折りに豪華で外壁も要塞並みに分厚い。

 王宮そのものよりも華やかな紅と金で飾り立てられたこの建物は、非公式の外交会合を行うためのものだ。

 ベルモンドが護衛を伴って到着すると、すでに相手方の外交団は着席していた。

「申し訳ない。お待たせしてしまったかな?」
「いいえ、お気になさらず。貴国の素晴らしい水で紅茶を楽しんでおりました」

 ターバンを巻き、ゆったりとした衣服の外交官のラバラルがにこやかに応じる。

 彼はベルモンドよりも幾分か年上であったが、充分に若い。
 涼やかな金色の瞳に顎髭が特徴的な好青年である。

 そしてラバラルが率いるのがレイデフォン王国の外交団だ。
 レイデフォン王国はエスカリーナ王国の西にある大国であり、歴史的にも関係が深い。

 さらにはバネッサが生まれ育った国でもあり、結婚を後押しした国でもある。
 つまりベルモンドとバネッサの両方にとって大恩ある国だった。

(国の規模は十倍も違うがな)

 目の前のラバラルもそこそこの地位だが、大臣などではない。
 それでもベルモンド自ら饗応したほうが良いほどに差がある。

 ベルモンドはにこやかに会話を切り出した。

「我が国には水はありますが、紅茶はまだまだで。貴国は今、茶葉に力を入れておられるとか?」
「よくご存じで。ちょうど最高級の茶葉を持ってきたのですが、いかがですか?」
「頂戴いたしましょう」

 レイドフォンの紫髪の外交官が優雅な所作で茶を淹れる。
 ベルモンドは毒見を通してから紅茶を楽しんだ。

 豊かな春を思わせる爽やかな紅茶は、疲れた頭をすっと癒してくれる。
 こうして和やかな雰囲気で始まった会合は徐々に本題へと移っていく。

 ラバラルが笑顔のままに、声のトーンをわずかに上げた。

「そろそろ例の案件、いかがでしょうかね?」
「貴国との同盟ですね。ぜひとも進めたいところではあるのですが……」

 エスカリーナ王国はこれまでどの国とも同盟関係を築いてこなかった。
 石炭があったのと山に囲まれて守るのは容易だったからだ。

 しかし、それは同時にどの国とも上手く付き合わなければならないことを意味する。
 トルカーナ四世やクロエが可能だったことだ。

(リンゼット帝国がもし動いてきたら……)

 帝国は最近、近隣諸国への干渉を増大させている。
 不思議なことにエスカリーナ王国にはまだ何も手を出してきていないが――干渉が始まるのも時間の問題だろう。そうなるとますます中立政策は難しくなる。

 だったら――借りを返す意味でもレイデフォン王国との同盟は悪いことではない。

(まとまらない国内もレイデフォン王国の後ろ盾があれば……!)

 昨日の夜会の事件も中立政策が招いたと言っていい。
 エスカリーナの貴族の中には、王家よりも他国に恩義を感じる者さえいる。

 ラバラルが紅茶を飲みながら目を細めた。

「先日動いたリンゼットの軍は複数の砦を落としたとか。市民の反発もないようです」
「なんと。快進撃ですね」
「ええ、進撃はそこで止めたようですが。手が付けられませんね」

 リンゼットを牽制する意味でもレイデフォン王国との同盟は必要だろう。

 それはレイデフォンもだ。エスカリーナを失いたくはあるまい。
 ラバラルの瞳孔が蛇のように絞られ、にこやかな笑みが広がる。

「陛下、ご懸念があるのでしょう?」
「……お恥ずかしながら。貴国との同盟の価値を認められない貴族は少なくないのです」
「そうでしょうね。貴国は伝統的に気高く中立であられた。我々を信用しきれないという声は充分に理解できます」

 図星を突かれ、ベルモンドは頷くしかない。
 バネッサもレイデフォン王国との関係強化には大賛成だ。

 しかし、当然ながらそのことにも反発は多い。レイデフォン王国との同盟前に国内が分裂してしまっては、意味がない。

 昨日の事件も言うなれば、その類なのだから。
 レイデフォンの外交官がじっと笑顔でベルモンドを見つめる。

「噂程度ではございますが、昨夜も一騒動あったとか」
「……!」

 ベルモンドが腰を浮かしそうになる。
 早い。ラバラルはベルモンドが思うよりも遥かに情報に通じている。

「酒に酔った上での、ちょっとした口論ですよ。騒動とはいささか大げさですね」
「そうですか、お酒もほどほどが一番と申します。酒乱の気がある者には困ったものですねぇ」
「まさに。は、はは……」

 背筋を伝わる冷や汗、戻ってきた頭痛をこらえながらベルモンドが応じる。
 ラバラルの瞳から値踏みされているのをベルモンドは感じ取っていた。

「レイデフォンとしても今回の同盟、なるべく早く締結したいと思っています」
「それはもちろん! ただ、国論をまとめるのに――」

 ベルモンドの言葉をラバラルが遮る。

「それはいつですかな? ベルモンド様が仰られてから、もう半年も経過しております」
「…………」

 父が死んでから推進してきた同盟話。これはベルモンドにとって目玉政策になるはずだった。だが、国内の対立は収まる気配がない。

 むしろ中立政策を捨てるということで賛否両論、激しく火花が散ってしまっている。

 バネッサはそれを夜会でなんとかしようと躍起になっているが逆効果なうえ、財政も苦しくなってきた。
 本当は無礼な、と相手方に言い返したい。

(だが俺が強気に出たとして、レイデフォンと疎遠になったら……どうなる?)

 ごくりと唾を飲み込んでベルモンドは思考する。
 そうなったら間違いなくバネッサは激怒するだろう。彼女の取り巻きもベルモンドを糾弾するに違いない。

 そうなったらますます国内は荒れる。いよいよ収拾がつかなくなってしまう。

「……近いうちに必ず」
「切にお願いいたしますよ。ここまで当方もベルモンド様とバネッサ様に期待をかけてきたのですから」



 ベルモンドが帰ってから、ラバラルは腹心である紫髪のデューンを見やった。

「あの国王様は優柔不断で困ったものだ」
「大使殿の能力には遠く及ばないのも致し方ないかと」

 デューンの言葉にラバラルが肩を揺らす。

「まぁ、お坊ちゃんなのは間違いない。俺たちと違って苦労知らずだ」

 ラバラルは唇を歪めて笑った。
 ラバラルもデューンも、この外交団の全員が選りすぐりの精鋭だ。

 毒蛇の巣の中の生き残り。
 生まれてから満たされていた凡人の王様とは生き抜いてきた環境が違う。

「少々気がかりが。昨夜の騒動が思ったよりも大事になっていないようです」
「うむ、国王様もまぁ……落ち着いていたな」

 ラバラルが顎に手を当てる。

 漏れ伝わる昨夜の騒動は、それなりに面倒な処理を要すはず。
 それがどうやら丸く収まっているようで、腑に落ちない。

「あの国王様にそこまでの才覚があるとは思えんが。ふむ……」
「ブレーンを増やしたのでしょうか」
「可能性はある。そろそろ手段を選んではいられない頃合いだ。少し、エスカリーナの貴族に茶を振る舞うか」

 それは符号であった。レイデフォンの高位外交官のみ通じる符号。
 ――毒を使う、の意である。

「どういう手札が増えたのか。反応を見てみよう」
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