愛する祖国の皆様、私のことは忘れてくださって結構です~捨てられた公爵令嬢の手記から始まる、残された者たちの末路~

15.手を汚してでも

 数日後、バネッサはラバラルを招いて会談を行っていた。

「やっぱり、あの女……っ!!」

 彼女の手元にはクロエの調査報告書が握られている。
 この報告書はラバラルが用意したものであった。

 バネッサの手の者ではすぐ結果が出そうになかったのを、ラバラルが用立ててくれたのだ。

「王妃様のご要望は満たせましたか?」
「……ええ、褒めてあげるわ」
「光栄に存じます」

 報告書によるとクロエはもう随分と前から、滞在していると思われたエスカリーナ王国の療養先から姿を消しているようだった。

 国内にいないのだから、トルカーナ四世の葬式に来なかったのも道理だ。
 しかも今、クロエがいるのはリンゼット帝国だという。

 レイデフォン王国の宿敵の国だ。そんな国にクロエがいる。

「表向きは治療のためって。そんなことを信じられると思う?」

 エスカリーナ王国よりも遥かに巨大な帝国である。

 医療も進んでおり、筋道はもっともらしく見える。
 エスカリーナの老貴族が帝国から医者を招くのもあることだ。

「クロエ様は元々病弱であられたとか。病状が思ったよりも悪化されたのでは?」

 王太子の婚約者としての働きから婚約破棄。
 そのストレスは察するに余りある。病状が悪化しても何の不思議もない。

「違うわよ、そんなはずはないわ! 治療だけのためなんて、あるもんですか!」
「ほう……王妃様は違う見解を持っていると」
「もちろんよ。偶然じゃあないわ」
「その辺りは王妃様のほうがお詳しいでしょうね」

 クロエは恐らくずっと前から帝国と繋がっている。

 しかも痕跡まで消えており、今帝国のどこにいるのかまでは不明。
 報告書に書いてるあるのはそこまでだった。

(考えるのよ。あの女の魂胆を……先回りして、考えないと!)

 他の公務ではバネッサはこんなに頭を働かせない。
 だけど、クロエだけは特別だ。彼女はベルモンドの元婚約者で、バネッサの義姉。

(そうよ、あの女が本気を出したら私の地位だって危ないわ)

 ここ最近の出来事を思い出し、バネッサの胸が苛立ちで埋め尽くされる。
 何もかもが悪い方向に向かっているのだ。

 楽しいはずの夜会には監視役を置かれ、贈り物を満足に愛でることもできない。
 今、バネッサの指にはサファイアの指輪がはめられている。

 この綺麗なサファイアの指輪とも今日でお別れだ。
 久し振りにお気に入りになったと思ったら、取り上げられてしまうなんて。

「王妃様、ここはやはり国内をまとめるしかないのでは」
「わかってるわよ。でもこの国の貴族は私の言うことなんて聞かない……っ」
「……王妃様はお優しすぎるのです」

 爽やかな笑顔でラバラルが言う。思わずバネッサはきょとんとなった。
 そんなことを言われたのは初めてだ。

「王妃様は高貴な血を引いていながら、庶民の憧れでもある。お忘れですか? ベルモンド様とご結婚された時のエスカリーナの沸きようを」
「ええ……そうね、あれは……国民全部が祝福してくれたわ」
「私も色々な国を知っておりますが、あれこそ君臣一体というもの。理想的な王家と民の関係であると思います」

 くすぐったくなるような持ち上げ方であるが、バネッサの自尊心が満たされていく。
 ここ数か月、ベルモンドでは得られなかった満足感だ。

「あなたのように全員が物分かり良ければいいのにね」
「貴国の貴族にとっても妬ましいのでしょう。あなたの成功がね」
「でも、だったらどうすればいいのよ? 夜会以外で団結なんて……」
「失礼ながら王妃たる者、時には慈悲以外の武器も必要かと」

 ラバラルが衣の内側から細い口の小瓶を取り出した。
 桃色の鳥のような、優美なデザインである。バネッサがじっと小瓶を見つめる。

「これはなによ」
「毒ですよ」
「なっ、あなた……!?」
「ご心配なく。致死性ではございません。ごくありふれたアルコールから精製した、ほとんどの国で合法的な代物です。酒は人を毒するでしょう? あれと同じようなものです」
「でも、だからって……これをどうしろと?」
「簡単なことですよ。王妃様に逆らった従順でない人間には天罰を。そうすれば、自然と国内の異論もまとまっていくでしょう」

 バネッサが手を震わせながら小瓶を手に取る。
 小瓶の中では害ある液体が揺れていた。

「これまで国内の貴族を処断して、威厳を示されたことは?」
「……ないわ。陛下は国内の均衡を重んじておられるから」
「差し出がましながら、甘い顔をされるから目下の貴族もつけ上がるのです。あなたがた王家の隣にはレイデフォンがいるというのに」
「そ、そうね……」

 バネッサの心に毒が忍び寄り、広がっていく。
 そうだ、今までなぜ我慢させられてきたのだろうか。

(私はもう王妃なのよ! 私が我慢する必要なんてないわ!)

 三年前はもっと自由で誰にも従わなかった。
 先代国王、義姉、敵対する派閥……そのどれもをバネッサは打ち倒し、乗り越えたのだ。

 それが今はどうだろうか。顔色を窺い、そのために舐められているのだ。
 凄みを帯びた目でバネッサは小瓶とラバラルを行き来させる。

「この毒は本当に安全なのでしょうね?」
「ええ、人を殺す力がない代わりに検出もされません。数日間、二日酔いのような症状が出るだけですよ。食べ物、飲み物、化粧品にも……数滴ほど粘膜に浸透させれば効果は数時間後に出ます」

 王妃の名前を使い、贈り物に仕込めば毒を含ませるのは可能だろう。
 だが、そこまで踏み込んでいいのだろうか。

 バネッサは小瓶を両手で持ちながら、ぶるぶると震えていた。
 迷う余地はなかった。クロエが動く前に結果を出さなくては。

 バネッサは欲望のままに毒を使うことに決めた。

 ――それから数日後、数人の貴族が謎の体調不良に襲われる事件が起きる。
 新種の病という話もあれば、毒を盛られたという噂もあった。

 しかし当の貴族が数日で回復したこともあり、大した騒ぎにはならなかった。
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