愛する祖国の皆様、私のことは忘れてくださって結構です~捨てられた公爵令嬢の手記から始まる、残された者たちの末路~
26.シャンテの手札
こうしてシャンテたちはラバラルを連れて、リンゼット帝国の軍営にまで来たのだ。
全てはバネッサとラバラルを裁くため。
シャンテが手のひらをバネッサに向ける。そこにはバネッサが持っていた毒の小瓶があった。
押収された証拠品を示され、バネッサは絶望に駆られた。ラブラルは一言も発さずにうなだれている。
「申し開きはありますか?」
「わ、私は悪くない! こいつに、こいつに騙されていただけよ!」
見苦しくもわめくバネッサに場の全員が白ける。
トルカーナ四世とベルモンドの症状、エスカリーナを襲っていた毒が同一であり、現物の毒も持っているというのに。
バネッサはすがる気持ちでシャンテのそばに控えるガノーラ辺境伯に目を向けた。
彼はバネッサに指輪を贈った親レイデフォン派の重鎮である。
「あなたは、あなたは私を信じてくれるでしょう!? 私は無実よ!」
「……私が前国王トルカーナ四世の葬儀の時、どうしていたか覚えておりますか」
「えっ……?」
バネッサは記憶の底からガノーラ辺境伯の様子を思い出そうとする。
しかし、思い出せない。確かに見ていたはずだと思うのだが、思い出せなかった。
「やはり覚えておられないのですな。当然ながらあの場では皆、悲嘆の涙を流していた……。前国王の葬儀で泣かぬ者がおられましょうか?」
「そうよ! そうよ、私も泣いていたわ!」
「ならどうしてトルカーナ四世陛下を、あの御方を害したかもしれぬ輩と手を結んだのです!」
ガノーラ辺境伯が吠えた。
「エスカリーナは貴族の独立心と力が強い。正直、この場に揃った面々の何人かは顔も合わせたくないほどです。ですがトルカーナ四世はそんな国内を長年に渡って見事にまとめ上げてきた……!」
彼の目には涙が浮かび、悔しがっていた。
「ベルモンド陛下は僭越ながら、まだ先王には遥か及ばぬ。私もそう思い、国を思って独自に動いてきました。そのそもそもの原因はエスカリーナ王族の短命ゆえ。国がこうなったのも、全部レイデフォンのせいではないのですか!」
「そ、それは……っ! そんな、私にそんなことを……」
「毒を渡された時になぜ、それを糾弾して明らかにしなかったのか! そうすれば王妃様は永遠にエスカリーナの母となれたでしょうに……あなたは全てを裏切った!」
ガノーラ辺境伯とそれに近しい貴族全員がバネッサを憎悪と軽蔑の目で見ていた。
知らなかった。先王のトルカーナ四世がそこまで貴族の間で支持を受けていたなんて。
だが、それは当然だったのだ。
トルカーナ四世に反発していたベルモンドとバネッサは、彼が集めていた信頼と尊敬を軽視してしまっていた。
ガノーラ辺境伯がシャンテの前に膝をつく。
「シャンテ姫殿下。陛下が昏睡状態である以上、貴方こそトルカーナ四世の血を引く王国の正統なる継承者です。どうか、ご決断を」
「ガノーラ辺境伯、あなたの策謀は色々と聞いています。ですが屋敷は質素で、領民にも慈悲をもって接しているようですね」
シャンテの眼差しと物腰は柔らかく、見るもの全てを包むかのようであった。
生まれながらの王の血。さきほどまでの苛烈さとはまるで違った。
「あなたの親レイデフォンの姿勢の結果はこうなりましたが、あなたの真心は疑いません」
なんだ、この光景は。
バネッサは自分抜きで進む話に身がすくんだ。
もう並ぶ者たちはバネッサのことを終わった人間として見ている。
「やめて、やめてよ……! 私はまだ――そう、あなたなんか陛下の予備にすぎないわ!」
「あなたこそ、お兄様なしで何ができるのです?」
「ラバラル、あなたも何か言いなさいよ! レイデフォンの軍は動くのでしょう!?」
バネッサに言われ、ラバラルがラーゼを仰ぎ見た。
その顔に絶望と媚びへつらいが貼り付いているのを見て、バネッサはさらに戦慄する。
「殿下、黒龍の申し子にして強き御方よ。このような形での拝謁となり、誠に申し訳なく――」
「挨拶はよい。本題に入れ」
「様々な誤解が重なりましたが、私の行動は本国政府も知るところ。偶然と神の悪戯でエスカリーナに疑心を募らせたのは私の不徳。ですが、私ごときを殿下の御前に引き出して何になりましょう」
「一理ある」
「エスカリーナは前国王の薨去以来、国が乱れておりました。リンゼット帝国もエスカリーナを憂いておられたのでは? 私もそうです――罪を犯したかもしれませんが、それは大局あってのこと」
ラバラルは淀みなく、一流の役者かと思うほど流暢に答えた。
「私をここに引き出したのは、エスカリーナの策略です。今、ここで私に断を下せば本国政府も黙ってはおりません。エスカリーナとレイデフォンの話に、貴国を巻き込むつもりです!」
「貴様の言葉は正論だ。認めよう。で、隣の女について貴様はどうすべきだと思う?」
バネッサに周囲からの視線が集まる。
「……王妃様の是非はエスカリーナが決めるべきこと。私めには何も」
「ちょっと! あなたひとりだけ助かろうってつもり!? 私を見捨てるの!?」
「このように思慮も言葉も足りない女。この女のせいで国が乱れるなら、いかようにもなさるべきかと」
「毒蛇らしい。産んだ後のことは知らん振りか」
ラーゼが執務机から立ち上がる。バネッサは息を飲んで、口を閉じた。
迂闊に喋れば殺される。ラーゼの佇まいには殺気が満ちていた。
「俺も貴様のことなど、どうでも良い」
「……!! で、では!」
「シャンテ姫よ。その前に手札を見せよ。お前はどんな条件を持って俺の前に現れた?」
「エスカリーナ王国は国王たるベルモンド王の危篤と未曾有の国難に至り、ひとつの結論を出しました」
シャンテとエスカリーナの貴族の全員がラーゼへと膝をついた。
「エスカリーナ王国はリンゼット帝国の領邦となります。国内の立て直しにどうか貴国の御力をお借りできないでしょうか?」
バネッサはその言葉に耳を疑った。
それは……つまり、どういうことだ? エスカリーナがどうなると言ったのか。
まさか、そんな決断が……。
「シャンテ姫よ。エスカリーナ王家は国を捨てると言うのか」
「国内が乱れたままのほうが、よほど国を捨てることになります。戦争で荒廃させるのもこれまでの王に面目が立ちません。それに、我が兄も内心はその心積もりだったかと」
馬鹿な、馬鹿な。そんなことバネッサは聞いていない。
あり得ない。シャンテは全てをベルモンドに押し付けて物事を進めようとしていた。
「一戦も交えず国を差し出すとはな……大胆な女だ」
ラーゼの口角がわずかに吊り上がる。
バネッサは初めて、ラーゼの怒り以外の感情を見た気がした。
「良かろう。貴国の申し出、受けよう」
「ありがたき幸せ」
「我がほうからは顧問団を出す。まずは貴国の申し出が真か……確かめよう。真なら同胞の苦境は救わねばならん。資金を援助しよう」
そこでラーゼは少しの間、考えてから言葉を発した。
「当面の間、エスカリーナの王家と貴族の領地などはそのままとする。この場にいない貴族や領民の心を落ち着かせ、反乱を起こさせるな」
「寛大な処置に感謝いたします」
シャンテとラーゼのやり取りをラバラルは呆然と聞いていた。
「馬鹿な……そんな選択を取るのなら、我が国にどうして下らなかった?」
「あなたが我々を追い詰めなければ、このような選択は取りません」
シャンテがぴしゃりと言って、ラバラルが黙った。
「さて、そうなると後はこやつらの処遇か」
ラーゼの瞳が再び危険な赤色を帯びた。
全てはバネッサとラバラルを裁くため。
シャンテが手のひらをバネッサに向ける。そこにはバネッサが持っていた毒の小瓶があった。
押収された証拠品を示され、バネッサは絶望に駆られた。ラブラルは一言も発さずにうなだれている。
「申し開きはありますか?」
「わ、私は悪くない! こいつに、こいつに騙されていただけよ!」
見苦しくもわめくバネッサに場の全員が白ける。
トルカーナ四世とベルモンドの症状、エスカリーナを襲っていた毒が同一であり、現物の毒も持っているというのに。
バネッサはすがる気持ちでシャンテのそばに控えるガノーラ辺境伯に目を向けた。
彼はバネッサに指輪を贈った親レイデフォン派の重鎮である。
「あなたは、あなたは私を信じてくれるでしょう!? 私は無実よ!」
「……私が前国王トルカーナ四世の葬儀の時、どうしていたか覚えておりますか」
「えっ……?」
バネッサは記憶の底からガノーラ辺境伯の様子を思い出そうとする。
しかし、思い出せない。確かに見ていたはずだと思うのだが、思い出せなかった。
「やはり覚えておられないのですな。当然ながらあの場では皆、悲嘆の涙を流していた……。前国王の葬儀で泣かぬ者がおられましょうか?」
「そうよ! そうよ、私も泣いていたわ!」
「ならどうしてトルカーナ四世陛下を、あの御方を害したかもしれぬ輩と手を結んだのです!」
ガノーラ辺境伯が吠えた。
「エスカリーナは貴族の独立心と力が強い。正直、この場に揃った面々の何人かは顔も合わせたくないほどです。ですがトルカーナ四世はそんな国内を長年に渡って見事にまとめ上げてきた……!」
彼の目には涙が浮かび、悔しがっていた。
「ベルモンド陛下は僭越ながら、まだ先王には遥か及ばぬ。私もそう思い、国を思って独自に動いてきました。そのそもそもの原因はエスカリーナ王族の短命ゆえ。国がこうなったのも、全部レイデフォンのせいではないのですか!」
「そ、それは……っ! そんな、私にそんなことを……」
「毒を渡された時になぜ、それを糾弾して明らかにしなかったのか! そうすれば王妃様は永遠にエスカリーナの母となれたでしょうに……あなたは全てを裏切った!」
ガノーラ辺境伯とそれに近しい貴族全員がバネッサを憎悪と軽蔑の目で見ていた。
知らなかった。先王のトルカーナ四世がそこまで貴族の間で支持を受けていたなんて。
だが、それは当然だったのだ。
トルカーナ四世に反発していたベルモンドとバネッサは、彼が集めていた信頼と尊敬を軽視してしまっていた。
ガノーラ辺境伯がシャンテの前に膝をつく。
「シャンテ姫殿下。陛下が昏睡状態である以上、貴方こそトルカーナ四世の血を引く王国の正統なる継承者です。どうか、ご決断を」
「ガノーラ辺境伯、あなたの策謀は色々と聞いています。ですが屋敷は質素で、領民にも慈悲をもって接しているようですね」
シャンテの眼差しと物腰は柔らかく、見るもの全てを包むかのようであった。
生まれながらの王の血。さきほどまでの苛烈さとはまるで違った。
「あなたの親レイデフォンの姿勢の結果はこうなりましたが、あなたの真心は疑いません」
なんだ、この光景は。
バネッサは自分抜きで進む話に身がすくんだ。
もう並ぶ者たちはバネッサのことを終わった人間として見ている。
「やめて、やめてよ……! 私はまだ――そう、あなたなんか陛下の予備にすぎないわ!」
「あなたこそ、お兄様なしで何ができるのです?」
「ラバラル、あなたも何か言いなさいよ! レイデフォンの軍は動くのでしょう!?」
バネッサに言われ、ラバラルがラーゼを仰ぎ見た。
その顔に絶望と媚びへつらいが貼り付いているのを見て、バネッサはさらに戦慄する。
「殿下、黒龍の申し子にして強き御方よ。このような形での拝謁となり、誠に申し訳なく――」
「挨拶はよい。本題に入れ」
「様々な誤解が重なりましたが、私の行動は本国政府も知るところ。偶然と神の悪戯でエスカリーナに疑心を募らせたのは私の不徳。ですが、私ごときを殿下の御前に引き出して何になりましょう」
「一理ある」
「エスカリーナは前国王の薨去以来、国が乱れておりました。リンゼット帝国もエスカリーナを憂いておられたのでは? 私もそうです――罪を犯したかもしれませんが、それは大局あってのこと」
ラバラルは淀みなく、一流の役者かと思うほど流暢に答えた。
「私をここに引き出したのは、エスカリーナの策略です。今、ここで私に断を下せば本国政府も黙ってはおりません。エスカリーナとレイデフォンの話に、貴国を巻き込むつもりです!」
「貴様の言葉は正論だ。認めよう。で、隣の女について貴様はどうすべきだと思う?」
バネッサに周囲からの視線が集まる。
「……王妃様の是非はエスカリーナが決めるべきこと。私めには何も」
「ちょっと! あなたひとりだけ助かろうってつもり!? 私を見捨てるの!?」
「このように思慮も言葉も足りない女。この女のせいで国が乱れるなら、いかようにもなさるべきかと」
「毒蛇らしい。産んだ後のことは知らん振りか」
ラーゼが執務机から立ち上がる。バネッサは息を飲んで、口を閉じた。
迂闊に喋れば殺される。ラーゼの佇まいには殺気が満ちていた。
「俺も貴様のことなど、どうでも良い」
「……!! で、では!」
「シャンテ姫よ。その前に手札を見せよ。お前はどんな条件を持って俺の前に現れた?」
「エスカリーナ王国は国王たるベルモンド王の危篤と未曾有の国難に至り、ひとつの結論を出しました」
シャンテとエスカリーナの貴族の全員がラーゼへと膝をついた。
「エスカリーナ王国はリンゼット帝国の領邦となります。国内の立て直しにどうか貴国の御力をお借りできないでしょうか?」
バネッサはその言葉に耳を疑った。
それは……つまり、どういうことだ? エスカリーナがどうなると言ったのか。
まさか、そんな決断が……。
「シャンテ姫よ。エスカリーナ王家は国を捨てると言うのか」
「国内が乱れたままのほうが、よほど国を捨てることになります。戦争で荒廃させるのもこれまでの王に面目が立ちません。それに、我が兄も内心はその心積もりだったかと」
馬鹿な、馬鹿な。そんなことバネッサは聞いていない。
あり得ない。シャンテは全てをベルモンドに押し付けて物事を進めようとしていた。
「一戦も交えず国を差し出すとはな……大胆な女だ」
ラーゼの口角がわずかに吊り上がる。
バネッサは初めて、ラーゼの怒り以外の感情を見た気がした。
「良かろう。貴国の申し出、受けよう」
「ありがたき幸せ」
「我がほうからは顧問団を出す。まずは貴国の申し出が真か……確かめよう。真なら同胞の苦境は救わねばならん。資金を援助しよう」
そこでラーゼは少しの間、考えてから言葉を発した。
「当面の間、エスカリーナの王家と貴族の領地などはそのままとする。この場にいない貴族や領民の心を落ち着かせ、反乱を起こさせるな」
「寛大な処置に感謝いたします」
シャンテとラーゼのやり取りをラバラルは呆然と聞いていた。
「馬鹿な……そんな選択を取るのなら、我が国にどうして下らなかった?」
「あなたが我々を追い詰めなければ、このような選択は取りません」
シャンテがぴしゃりと言って、ラバラルが黙った。
「さて、そうなると後はこやつらの処遇か」
ラーゼの瞳が再び危険な赤色を帯びた。