シュガーレス・マリアージュ 〜君の嘘と、甘い毒〜

第6章:過去の約束の欠片

シンフォニア・ホールディングスとの共同プロジェクトは、驚くべき速さで進んでいた。怜央は、咲との私的な感情を完全に排除し、氷のような効率でプロジェクトを牽引していく。咲もまた、婚約という重圧から逃れるように、仕事に没頭した。

ある日の夕方。咲はプロジェクトに必要なデパートの過去の広報資料を探すため、本社ビル地下にある古い倉庫にいた。埃っぽく、湿った空気が漂う薄暗い空間。咲は懐中電灯の光を頼りに、積み上げられた段ボールの山を辿った。

咲が、デパートの創業90周年記念イベントの資料が入った段ボール箱を調べていたとき、その奥に、古びた革の小さなポーチを見つけた。何気なく開けてみると、中には色褪せた小さなキーホルダーが入っていた。それは、咲が十歳の誕生日に、デパートの特設コーナーで作った、マカロン型のフェルトのお守りだった。

キーホルダーの金具は錆びつき、フェルトの表面は毛羽立っている。しかし、そこには確かに、咲が刺繍したイニシャル「R」の文字が確認できた。怜央のイニシャルだ。

そのお守りを見た瞬間、咲の脳裏に、幼い頃の切ない記憶が鮮明に蘇った。
それは、二人きりの秘密基地で交わした、子どもながらの誓い。

「これ、怜央にあげる。私が作った、最強のお守りだよ」
「いらない。ガキっぽい」
「いいから!…これをね、**『タイムカプセル』**と一緒に埋めるの。大人になったら、二人で掘り出そうね。そしたら、私たちは…」

その時、怜央は咲の言葉を遮った。彼はそのお守りを乱暴に奪い取り、自分のカバンにねじ込んだ。そして、ただ一言、「…埋めるのは、また今度だ」と言った。
あの時、二人は、デパートの裏の桜の木の下に、小さな箱を埋める約束をしていた。しかし、約束は果たされないまま、互いのプライドと家の壁が二人の間に立ちふさがり、その話題は二度と出なかった。

しかし、このお守りは、なぜここに?
そのお守りは、デパートの『忘れ物』の段ボールに、他の安価なガラクタに混じって無造作に放り込まれていた。老舗デパート特有の、警察へ届けられる前のずさんな一時保管の箱だ。

咲の脳裏に、あの夜、冷たい言葉を投げつけられた怜央の横顔が浮かんだ。彼が、あの夜あるいは別の日に、感情を乱してこのデパートの敷地内で、無意識に、この大切なものを落としてしまったのではないか。過去を断ち切ろうともがいた末に、愛する人からもらったものさえも守りきれなかった、彼の切ないほどの未練が、この小さなポーチから伝わってくるようだった。

その革ポーチを手に、咲が倉庫の扉を閉めようとした時、扉の向こうに怜央が立っていた。プロジェクトの進捗を確認しに来たようだ。
「こんなところで何をしてる」
低い声が響く。咲は慌ててポーチを隠した。
「いえ、古い資料を…探しに」

「ふざけるな。そんなもの、秘書に任せろ。お前の時間はもっと貴重だ」
いつものように冷たい叱責だ。しかし、咲はポーチを隠そうとした自分の手元を、怜央が一瞬、鋭く見つめたことを見逃さなかった。
「…その手にあるのは、なんだ」
「仕事の資料です!」

咲が反射的に答えると、怜央の瞳が一瞬、激しく揺らいだ。その瞳の奥に、何かを懐かしむような、切なさと優しさが混ざったような光が宿るのを、咲は確かに見た。まるで、氷の仮面の下の本当の怜央が、ちらりと顔を出したように。

「…そうか」
怜央はすぐに視線を逸らし、冷たい表情に戻る。
「…無駄なことに時間を使うな。企画書を早く仕上げろ」
そう言い残し、怜央は、咲の存在を否定するかのように、冷酷に立ち去っていった。

咲は、彼の背中を見送りながら、胸の奥で熱いものが込み上げるのを感じた。彼がまだ、二人の過去を完全に捨て去ってはいなかったという事実は、咲の心に、この拗れた関係を解きほぐすための、微かな希望の光を与えたのだった。それは、彼の言葉の冷たさとは裏腹の、甘い毒のようなものだった。
< 6 / 14 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop