花の浄化執行人 血のリコリス 水晶の魔都編
16話
◆◆ ◇◇ ◆◆
ギュッと鍵を掴み、それから落とさないよう懐に仕舞う。さぁ、次へ、そう思って顔を上げたフレイリスの目の前に、スッと細い明かりが真上から差して人の姿が浮かび上がった。
「だから、それがくだらないっての」
美しい女だ。実際の年齢はわからないが、見た目には三十前後に思える。
体にピタリとフィットした白いドレス姿、床を這うほどの長いレースのヴェールが垂れている。また、ヴェールからは覗く黄金の髪はキラキラと輝いている。そして同じく金色に輝く瞳がまっすぐフレイリスを捉えていた。
「あたしはどこまでもあなたの僕だ、主上。どんなことがあっても裏切らない。あなたが死ねと命じるなら、いつでもこの首掻っ切り、血と命を献上する。安心いただきたい」
――フレイリス、わたくしのかわいい剣士。
女――暗殺組織カイオスを束ねる斎主が手を伸ばした。そしてフレイリスを掴もうとする。
「ええ、主上。そのかわいい剣士は、あなたのために地の果てまでも望みをかなえるべく旅をしているのです。ですが、今、この案件はあなたには関係のないこと。消えていただきたい。いや、案じてくださるなら、四本の鍵の場所を教えてください」
パンと斎主の手を払う。その瞬間、フレイリスの体は落下した。
「ちっ」
舌打ちし、目を閉じてカイオスのペンダントトップを握りしめる。
(これは幻覚だ。惑わされるな。あたしは地に足をつけ、踏ん張っている)
落下の感覚が消えた。自分に言い聞かせた通り、両足はしっかり床を踏んでいる。
フレイリスは目を開けた。
部屋には膨大な数の人間がいた。いや、人間が映っていた。それほど広くもない部屋であるが、壁一面に等身大の鏡が張られている。一枚の幅は人一人くらい。そして一枚に一人人間が映っている。こちらを見ているわけではないものの、動いていた。
フレイリスはゆっくりと鏡に映っている人物を見て回った。眉間に深いしわが寄る。
「クソがっ」
口汚く吐き捨てる。フレイリスの前に居並ぶのは、カイオスの本部にて高位の座にいる長老たちと、その贔屓を受けている各部署の出世頭たちだ。
(主上がお望みだと言えば誰もが従うと勘違いしている輩ども。前線で戦うのはあたしら執行人だってのに。座っているだけのくせに偉そうにしやがって)
――フレイリス・カティリアよ、お前は乱暴だ。〝浄化執行人〟の仕事は、心の在り様が悪域に傾いた者を浄化すること。その浄化によって死亡したり、認知力が失ったりしても、それは致し方がないが、お前は丸ごと殲滅してしまう。
(そうだよ。あたしは乱暴だよ。なんたって〝血のリコリス〟って揶揄られてるんだから。でも、手加減できないくらいの案件ばっかり回してんのはあんたたちだろうが)
――斎主様がかばってくださることに胡坐をかいて、好き放題しおって。許し難い。
(許し難い? ははっ、笑わせてくれる。あたしを始末して主上に叱られるほうがマシって言いたいのか。主上はすべてお見通しだ。あんたたちが、主上を卓越した能力を持つただの魔導士だと思っていることをね。だから主上は、あんたたちを信用していない)
フレイリスの片側の口角がわずかにつり上がった。だが、刹那にキリリと引き結ばれる。鏡に映る者たちの顔が急に若返った。もうすでにこの世にいなく連中だ。
――この恐るべき者よ。忌まわしき。
――半妖のほうがマシというもの。
――まっとうな人間だというのに、なんという呪われた体なのだ。
――なぜこの者は魔力に守られているのか。
(黙れ! そんなこと、あたしにわかるはずがないだろう)
フレイリスは右手に拳を作り、左の胸、鎖骨の少し下あたりをガンガンと叩いた。自分の中に焦れが生じ、それが冷静さ呑み込もうとしている。痛みと衝撃がその焦れを抑えて冷静さを取り戻そうとする。
――忌み子め、お前の親は間違いなく、化け物じみた力を持っていたはずだ。
――斎主様にお前が見込まれているのは、お前があるまじき力に守られているからだ。それを忘れるな。
――自惚れるな、おぞましき者め。
(ならどうしてあたしを忌み子と言う。それはお前たち、驕れる者どもが半妖に向かって言う言葉じゃないか)
鏡の中での男たちがわめいている。彼らの口から煙のようなものが発生し、渦巻き、やがてその中から小瓶が出現した。見覚えのある小瓶だ。
フレイリスの右手が再び左胸をガンガンと叩く。
記憶が息苦しさを呼び起こす。あの小瓶の中身を無理やり飲まされ、一晩中苦しんだ記憶。
吐いても吐いても、苦しさは消えず、熱で全身が焼けつき、七転八倒した。もう死なせてほしいとさえ思った。そして意識が遠のいた気がして、ふと消えかけた意識のピントが合った時、目の前に斎主が立っていた。
(主上)
穏やかなまなざしで見下ろしている。口元には笑みも。
(主上、助けてくださった?)
だが、斎主は首を左右に振った。
――お前はなんらかの力によって強く守られている。
斎主はフレイリスの頭を撫でると、身を翻して去っていった。背を見送るフレイリスには疑問が残り、今なお心の片隅に居続けている。斎主は助けたのではなく――
(あたしを試したのか?)
鏡の中、フレイリスの目の高さに小瓶がある。まるで嘲笑っているように見えて不快だ。消えてしまえと思うのだが。
(あたしを試しているんだろう? 毒を飲ませたのが主上の命令だったんじゃないかって疑っていると。舐めるな、まがい物が)
さっきまで左胸を打っていた拳は、今度は鏡の中の小瓶に向けてさく裂した。
ガシャン! と音を立てて砕ける。破片を全身に浴びながらもフレイリスは微動だにせず、しかしながら鏡の奥にあるものに目を見開いた。
「……二本目か」
そこに鍵があった。ボディは一本目同様に金色をしているが、先端には雫型のアメジストがついている。フレイリスは鍵を掴んだ。
「剣で戦うほうがよほど楽だな。人の心を削ろうなんて、歪んでやがる」
吐き捨てながら大きく深呼吸をした。
◇◇ ◆◆ ◇◇
フレイリスが主の姿に苛立ちを抱いていた頃、セラは長い廊下をひたすら歩いていた。
目に見える宮殿の廊下は、ただ見るだけならごく普通だ。装飾が城だけあって豪華だが、それが壁や窓枠に凝らされた意匠であったり、置かれている絵画彫刻であったり。
しかしながら歩いているセラには、けっして普通ではなかった。セラの額にはうっすら汗が浮いているし、息も乱れている。セラはずっとこの廊下を歩き続けている。前方に見える小さな明かりに、まったく近づく様子がない。
どれだけ進んでも、ゴールにたどり着けない。等間隔に置かれている絵画彫刻も、間違いなく次々と流れているのに、距離が縮まらないのだ。
(まったく)
セラは唇を噛んだ。
(どこかにこの魔法を解除する手掛かりがあるはず。それを見つけて破壊しないと、死ぬまで歩き続けさせられる。いったいどこで罠にかかったのか。いや、最初からすでに罠の中か)
気取られないよう目だけ動かして魔法解除の手掛かりを探すが、それらしいものはない。なにかが襲ってくる様子もない。
(閉じ込めて終わり……と思っているのかどうなのか。いや、その可能性もある。いくら大魔導士であっても無限に魔力があるわけでもないから、温存するためにも閉じ込めてしまったほうがいいと考えているのかもしれない。であるなら、攻撃されないと安堵している場合じゃない。こちらから攻めないと)
脳裏にフレイリスの顔が浮かぶ。セラはふっと笑った。
(カイオスの剣士、〝花の浄化執行人〟の助けをあてにするなど、焼きが回ったと揶揄されることだろう。これでも一級魔導士なのだから、こんな魔法、いかようにでも破壊しなければ名がすたるというもの)
杖をギュッと握り込む。そして気を集中させ全身に巡らせる。
なにも感じない程度の間隔だが、足元にわずかな空気の振動があることに気づいた。セラの足に絡みつくような感覚だ。
(風なわけがないので、私を惑わせている魔法の正体はこれだということか。さて、どの手を使うか。悩むな。いや、悩むことはないな。なるべく戦わず、力の消耗を抑える。つまり、最少の力で臨むべきこと。戦いは始まったばかりなのだから。ならば)
セラは胸中で言うと、ふうと息を吐いてから立ち止まった。右手に持つ杖を高く持ち上げる。
『我が友よ、来たりて我を導け』
天井からキラキラと煌くものが降ってくる。床に落ちるとポッポッポッと小さくて黒い無数の炎が生まれた。それが密集して塊を成し、うねりながら道を作っていく。足元が黒く光る。セラは黒く揺らめく炎の上に乗り、再び歩き始めたのだった。
ギュッと鍵を掴み、それから落とさないよう懐に仕舞う。さぁ、次へ、そう思って顔を上げたフレイリスの目の前に、スッと細い明かりが真上から差して人の姿が浮かび上がった。
「だから、それがくだらないっての」
美しい女だ。実際の年齢はわからないが、見た目には三十前後に思える。
体にピタリとフィットした白いドレス姿、床を這うほどの長いレースのヴェールが垂れている。また、ヴェールからは覗く黄金の髪はキラキラと輝いている。そして同じく金色に輝く瞳がまっすぐフレイリスを捉えていた。
「あたしはどこまでもあなたの僕だ、主上。どんなことがあっても裏切らない。あなたが死ねと命じるなら、いつでもこの首掻っ切り、血と命を献上する。安心いただきたい」
――フレイリス、わたくしのかわいい剣士。
女――暗殺組織カイオスを束ねる斎主が手を伸ばした。そしてフレイリスを掴もうとする。
「ええ、主上。そのかわいい剣士は、あなたのために地の果てまでも望みをかなえるべく旅をしているのです。ですが、今、この案件はあなたには関係のないこと。消えていただきたい。いや、案じてくださるなら、四本の鍵の場所を教えてください」
パンと斎主の手を払う。その瞬間、フレイリスの体は落下した。
「ちっ」
舌打ちし、目を閉じてカイオスのペンダントトップを握りしめる。
(これは幻覚だ。惑わされるな。あたしは地に足をつけ、踏ん張っている)
落下の感覚が消えた。自分に言い聞かせた通り、両足はしっかり床を踏んでいる。
フレイリスは目を開けた。
部屋には膨大な数の人間がいた。いや、人間が映っていた。それほど広くもない部屋であるが、壁一面に等身大の鏡が張られている。一枚の幅は人一人くらい。そして一枚に一人人間が映っている。こちらを見ているわけではないものの、動いていた。
フレイリスはゆっくりと鏡に映っている人物を見て回った。眉間に深いしわが寄る。
「クソがっ」
口汚く吐き捨てる。フレイリスの前に居並ぶのは、カイオスの本部にて高位の座にいる長老たちと、その贔屓を受けている各部署の出世頭たちだ。
(主上がお望みだと言えば誰もが従うと勘違いしている輩ども。前線で戦うのはあたしら執行人だってのに。座っているだけのくせに偉そうにしやがって)
――フレイリス・カティリアよ、お前は乱暴だ。〝浄化執行人〟の仕事は、心の在り様が悪域に傾いた者を浄化すること。その浄化によって死亡したり、認知力が失ったりしても、それは致し方がないが、お前は丸ごと殲滅してしまう。
(そうだよ。あたしは乱暴だよ。なんたって〝血のリコリス〟って揶揄られてるんだから。でも、手加減できないくらいの案件ばっかり回してんのはあんたたちだろうが)
――斎主様がかばってくださることに胡坐をかいて、好き放題しおって。許し難い。
(許し難い? ははっ、笑わせてくれる。あたしを始末して主上に叱られるほうがマシって言いたいのか。主上はすべてお見通しだ。あんたたちが、主上を卓越した能力を持つただの魔導士だと思っていることをね。だから主上は、あんたたちを信用していない)
フレイリスの片側の口角がわずかにつり上がった。だが、刹那にキリリと引き結ばれる。鏡に映る者たちの顔が急に若返った。もうすでにこの世にいなく連中だ。
――この恐るべき者よ。忌まわしき。
――半妖のほうがマシというもの。
――まっとうな人間だというのに、なんという呪われた体なのだ。
――なぜこの者は魔力に守られているのか。
(黙れ! そんなこと、あたしにわかるはずがないだろう)
フレイリスは右手に拳を作り、左の胸、鎖骨の少し下あたりをガンガンと叩いた。自分の中に焦れが生じ、それが冷静さ呑み込もうとしている。痛みと衝撃がその焦れを抑えて冷静さを取り戻そうとする。
――忌み子め、お前の親は間違いなく、化け物じみた力を持っていたはずだ。
――斎主様にお前が見込まれているのは、お前があるまじき力に守られているからだ。それを忘れるな。
――自惚れるな、おぞましき者め。
(ならどうしてあたしを忌み子と言う。それはお前たち、驕れる者どもが半妖に向かって言う言葉じゃないか)
鏡の中での男たちがわめいている。彼らの口から煙のようなものが発生し、渦巻き、やがてその中から小瓶が出現した。見覚えのある小瓶だ。
フレイリスの右手が再び左胸をガンガンと叩く。
記憶が息苦しさを呼び起こす。あの小瓶の中身を無理やり飲まされ、一晩中苦しんだ記憶。
吐いても吐いても、苦しさは消えず、熱で全身が焼けつき、七転八倒した。もう死なせてほしいとさえ思った。そして意識が遠のいた気がして、ふと消えかけた意識のピントが合った時、目の前に斎主が立っていた。
(主上)
穏やかなまなざしで見下ろしている。口元には笑みも。
(主上、助けてくださった?)
だが、斎主は首を左右に振った。
――お前はなんらかの力によって強く守られている。
斎主はフレイリスの頭を撫でると、身を翻して去っていった。背を見送るフレイリスには疑問が残り、今なお心の片隅に居続けている。斎主は助けたのではなく――
(あたしを試したのか?)
鏡の中、フレイリスの目の高さに小瓶がある。まるで嘲笑っているように見えて不快だ。消えてしまえと思うのだが。
(あたしを試しているんだろう? 毒を飲ませたのが主上の命令だったんじゃないかって疑っていると。舐めるな、まがい物が)
さっきまで左胸を打っていた拳は、今度は鏡の中の小瓶に向けてさく裂した。
ガシャン! と音を立てて砕ける。破片を全身に浴びながらもフレイリスは微動だにせず、しかしながら鏡の奥にあるものに目を見開いた。
「……二本目か」
そこに鍵があった。ボディは一本目同様に金色をしているが、先端には雫型のアメジストがついている。フレイリスは鍵を掴んだ。
「剣で戦うほうがよほど楽だな。人の心を削ろうなんて、歪んでやがる」
吐き捨てながら大きく深呼吸をした。
◇◇ ◆◆ ◇◇
フレイリスが主の姿に苛立ちを抱いていた頃、セラは長い廊下をひたすら歩いていた。
目に見える宮殿の廊下は、ただ見るだけならごく普通だ。装飾が城だけあって豪華だが、それが壁や窓枠に凝らされた意匠であったり、置かれている絵画彫刻であったり。
しかしながら歩いているセラには、けっして普通ではなかった。セラの額にはうっすら汗が浮いているし、息も乱れている。セラはずっとこの廊下を歩き続けている。前方に見える小さな明かりに、まったく近づく様子がない。
どれだけ進んでも、ゴールにたどり着けない。等間隔に置かれている絵画彫刻も、間違いなく次々と流れているのに、距離が縮まらないのだ。
(まったく)
セラは唇を噛んだ。
(どこかにこの魔法を解除する手掛かりがあるはず。それを見つけて破壊しないと、死ぬまで歩き続けさせられる。いったいどこで罠にかかったのか。いや、最初からすでに罠の中か)
気取られないよう目だけ動かして魔法解除の手掛かりを探すが、それらしいものはない。なにかが襲ってくる様子もない。
(閉じ込めて終わり……と思っているのかどうなのか。いや、その可能性もある。いくら大魔導士であっても無限に魔力があるわけでもないから、温存するためにも閉じ込めてしまったほうがいいと考えているのかもしれない。であるなら、攻撃されないと安堵している場合じゃない。こちらから攻めないと)
脳裏にフレイリスの顔が浮かぶ。セラはふっと笑った。
(カイオスの剣士、〝花の浄化執行人〟の助けをあてにするなど、焼きが回ったと揶揄されることだろう。これでも一級魔導士なのだから、こんな魔法、いかようにでも破壊しなければ名がすたるというもの)
杖をギュッと握り込む。そして気を集中させ全身に巡らせる。
なにも感じない程度の間隔だが、足元にわずかな空気の振動があることに気づいた。セラの足に絡みつくような感覚だ。
(風なわけがないので、私を惑わせている魔法の正体はこれだということか。さて、どの手を使うか。悩むな。いや、悩むことはないな。なるべく戦わず、力の消耗を抑える。つまり、最少の力で臨むべきこと。戦いは始まったばかりなのだから。ならば)
セラは胸中で言うと、ふうと息を吐いてから立ち止まった。右手に持つ杖を高く持ち上げる。
『我が友よ、来たりて我を導け』
天井からキラキラと煌くものが降ってくる。床に落ちるとポッポッポッと小さくて黒い無数の炎が生まれた。それが密集して塊を成し、うねりながら道を作っていく。足元が黒く光る。セラは黒く揺らめく炎の上に乗り、再び歩き始めたのだった。