花の浄化執行人 血のリコリス 水晶の魔都編
6話
翌朝早く、二人は宿屋を出発した。馬を飛ばして数時間。背の高い草と巨大な樹木がひしめく森に到着する。この先に忘れられた魔都ラシャリーヤがあったとされる。フレイリスはなんとなく冷たい空気を感じてぶるりと震えた。
「頂上まで行きましょう」
セラの言葉にうなずき、馬を進ませる。途中から急に勾配がきつくなり、突然前が開けた。
眼下に広がるのは深く広大な樹海だった。だが、なんだかおかしな感じがする。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな嫌な気配だ。
「歴代の王は、単純に言い伝えを守っているわけではないってことか」
フレイリスがぼそりと呟いた。セラがチラリと流し見る。
しばらく一面を眺め、さぁ行こうとした時だった。
「セラ」
フレイリスがセラに向けて振り返った時には、彼はすでに両手を合わせて呪文に入っていた。そして静かに一喝する。
『退け!』
足元から白い霧のようなものが立ち込め、次第に体を這うように上ってくる。白い霧が顔にかかると思った瞬間、突然赤く変色し、パッと弾けて消えてしまった。
「少し遅れました。目が食い抜かれなかったようで、よかったです」
「目?」
「邪眼魔霧。生きたものの目を好んで食べる霧状の妖魔です」
「げげげーー」
口元を歪ませて反応するフレイリスに、セラはふと目を瞬かせて首を傾げた。
「カイオスの浄化執行人がただの剣士ではないことは承知していますが、それでも魔道に関わるものではありません。目で見て取れるものならいざ知らず、今のような実態を持たない妖魔は人間には感じられないはずです。よく気づきましたね」
「いや、わかるだろ、あの気持ちの悪い気配は」
「……やはりあなた方は、尋常ではない感覚の持ち主だということですね。まぁ、でなければ、これほど恐れられる存在にはならないでしょうから」
「恐れられる存在ってのはお互い様だろ」
片側の肩をすくめるフレイリスに、セラは表情を緩めた。
「確かに」
二人は崖を少し下ったところで馬を降り、手綱を外して自由にした。
「賢い子たち、ここらはしばらく危ないから、巻き込まれないようどこかに潜んでいな。終わったら呼ぶからね」
フレイリスは馬の顔を優しく撫で、軽くキスをすると立ち去るように促した。
「行こう、セラ」
「ええ」
二人連れ立って樹海へと進む。小一時間ほど歩いた時、フレイリスが立ち止まり、大きく右手を挙げてマントを払ったかと思えば、腰の長剣を抜いた。
「フレイリス?」
「囲まれたね」
「え? 本当に?」
「ああ。セラが気づかないってことは、人間ってことかな」
フレイリスは胸元で揺れているペンダントをセラによく見えるように持ち上げた。カイオスのシンボルである三本の槍と蛇のペンダントトップの上についている透明の水晶玉が黒く変色している。人の心の善悪の傾斜を測る〝カイオスの天秤珠〟だ。
「黒いですね」
「闇、ね。悪意に満ちている」
黒い影は水晶玉の中でうねっているように見える。
「人の心の傾斜を測る天秤珠が悪意を示している。あたしたちを囲んでいる連中の心が〝悪域〟に傾いていて、ここら一体に充満してるってことだ。故意かどうかは別として。さて、そろそろしびれを切らして飛びかかってくる頃だろう。防御を張って。数が数だ。あんたまで手が回らないと思う」
「私は人間に手を上げられないので」
「だから言ってる。あんたは自分の身だけを守ればいいんだ」
フレイリスが反転した。
「そら、来たよ!」
頭上から無数のなにかが降ってきた。四方八方囲まれる。
「人間……?」
呟いたのはセラだった。
確かに肢体は人間、しかも女である。しかし頭髪はなく、全身の肌がオパール石のように無数の色で鋭く輝いていた。さらに目と口がない。
「人間だろ」
妖魔ならセラが気づき、フレイリスは気づかない。そして〝カイオスの天秤珠〟は妖魔には反応しない。
「人間を加工したのでしょう。ですが、完全に魔力の気配を消している」
「それでもかかっている魔法を解呪したら?」
「死にます」
「あたしが斬って殺せば一緒ってことだね。わかった。すぐに片づける」
フレイリスはタンと地面を蹴ると飛び上がり、向かってくるオパールの女をかわすと、体を捻って一振りした。
胸元を一閃されたオパールの女はその場に倒れ、動かなくなった瞬間、人間の姿に変わった。死ぬことで魔法が解呪され、元の姿に戻ったのだ。だが、変化はそこで終わらず、ガサリと音を立て、砂が崩れるように形を失って消え去った。残ったのは骨だけだ。
そのことに気を取られている場合ではない。うじゃうじゃと発生するオパールの女たちが一斉にフレイリスに飛びかかってきた。いったいどこからこれだけの数の女が集められたのか。ここから一番近い村でも数十キロは先にあるというのに。
「頂上まで行きましょう」
セラの言葉にうなずき、馬を進ませる。途中から急に勾配がきつくなり、突然前が開けた。
眼下に広がるのは深く広大な樹海だった。だが、なんだかおかしな感じがする。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな嫌な気配だ。
「歴代の王は、単純に言い伝えを守っているわけではないってことか」
フレイリスがぼそりと呟いた。セラがチラリと流し見る。
しばらく一面を眺め、さぁ行こうとした時だった。
「セラ」
フレイリスがセラに向けて振り返った時には、彼はすでに両手を合わせて呪文に入っていた。そして静かに一喝する。
『退け!』
足元から白い霧のようなものが立ち込め、次第に体を這うように上ってくる。白い霧が顔にかかると思った瞬間、突然赤く変色し、パッと弾けて消えてしまった。
「少し遅れました。目が食い抜かれなかったようで、よかったです」
「目?」
「邪眼魔霧。生きたものの目を好んで食べる霧状の妖魔です」
「げげげーー」
口元を歪ませて反応するフレイリスに、セラはふと目を瞬かせて首を傾げた。
「カイオスの浄化執行人がただの剣士ではないことは承知していますが、それでも魔道に関わるものではありません。目で見て取れるものならいざ知らず、今のような実態を持たない妖魔は人間には感じられないはずです。よく気づきましたね」
「いや、わかるだろ、あの気持ちの悪い気配は」
「……やはりあなた方は、尋常ではない感覚の持ち主だということですね。まぁ、でなければ、これほど恐れられる存在にはならないでしょうから」
「恐れられる存在ってのはお互い様だろ」
片側の肩をすくめるフレイリスに、セラは表情を緩めた。
「確かに」
二人は崖を少し下ったところで馬を降り、手綱を外して自由にした。
「賢い子たち、ここらはしばらく危ないから、巻き込まれないようどこかに潜んでいな。終わったら呼ぶからね」
フレイリスは馬の顔を優しく撫で、軽くキスをすると立ち去るように促した。
「行こう、セラ」
「ええ」
二人連れ立って樹海へと進む。小一時間ほど歩いた時、フレイリスが立ち止まり、大きく右手を挙げてマントを払ったかと思えば、腰の長剣を抜いた。
「フレイリス?」
「囲まれたね」
「え? 本当に?」
「ああ。セラが気づかないってことは、人間ってことかな」
フレイリスは胸元で揺れているペンダントをセラによく見えるように持ち上げた。カイオスのシンボルである三本の槍と蛇のペンダントトップの上についている透明の水晶玉が黒く変色している。人の心の善悪の傾斜を測る〝カイオスの天秤珠〟だ。
「黒いですね」
「闇、ね。悪意に満ちている」
黒い影は水晶玉の中でうねっているように見える。
「人の心の傾斜を測る天秤珠が悪意を示している。あたしたちを囲んでいる連中の心が〝悪域〟に傾いていて、ここら一体に充満してるってことだ。故意かどうかは別として。さて、そろそろしびれを切らして飛びかかってくる頃だろう。防御を張って。数が数だ。あんたまで手が回らないと思う」
「私は人間に手を上げられないので」
「だから言ってる。あんたは自分の身だけを守ればいいんだ」
フレイリスが反転した。
「そら、来たよ!」
頭上から無数のなにかが降ってきた。四方八方囲まれる。
「人間……?」
呟いたのはセラだった。
確かに肢体は人間、しかも女である。しかし頭髪はなく、全身の肌がオパール石のように無数の色で鋭く輝いていた。さらに目と口がない。
「人間だろ」
妖魔ならセラが気づき、フレイリスは気づかない。そして〝カイオスの天秤珠〟は妖魔には反応しない。
「人間を加工したのでしょう。ですが、完全に魔力の気配を消している」
「それでもかかっている魔法を解呪したら?」
「死にます」
「あたしが斬って殺せば一緒ってことだね。わかった。すぐに片づける」
フレイリスはタンと地面を蹴ると飛び上がり、向かってくるオパールの女をかわすと、体を捻って一振りした。
胸元を一閃されたオパールの女はその場に倒れ、動かなくなった瞬間、人間の姿に変わった。死ぬことで魔法が解呪され、元の姿に戻ったのだ。だが、変化はそこで終わらず、ガサリと音を立て、砂が崩れるように形を失って消え去った。残ったのは骨だけだ。
そのことに気を取られている場合ではない。うじゃうじゃと発生するオパールの女たちが一斉にフレイリスに飛びかかってきた。いったいどこからこれだけの数の女が集められたのか。ここから一番近い村でも数十キロは先にあるというのに。