顔も知らない結婚相手に、ずっと溺愛されていました。
「(私、いつ眠ってしまったんだろう)」
これまでほとんどお酒を口にしてこなかったせいか、まさか閉店時間まで酔い潰れてしまうとは思ってもいなかった。
頭がガンガンと痛んで、胃が持ち上がるような気分の悪さに今にも吐いてしまいそうになるのをどうにか堪えた。
「すみません……出ます」
「本当に大丈夫ですか?かなり酔っていらっしゃいますけどちゃんと帰宅できますか?」
家には帰らない。
あんな家、二度と帰ってたまるものか。
見栄っぱりな父が建てた無駄に大きな三階建ての家。
お母さんが出て行ってからあの家は途端にあたたかさを失って、寄り付きにくい場所と化した。
料理上手だったお母さんが集めていた家具や料理グッズはすべて処分され、今では週に三日のペースでやってくる家事代行業者が使うためだけの無機質なキッチンに成り下がっている。
どれだけ広くて部屋数があったとしても、豪邸と言われる家だとしても、秋森家のあの家には家族団欒のスペースなどというものは存在しない。
父が家に招いた人達に『豪華な家ですね』と言われるためだけの囲いに過ぎないのだ。
「とにかく出ます。お手数をおかけしました……って、きゃっ!」
心配そうに声をかけてくれたバーテンダーにお辞儀をして、背の高い椅子から降りた瞬間、アルコールのせいで体がいうことを聞かず、足が縺れて床に手をついて転んでしまった。
「大丈夫ですか、お客さん!?」
……みっともないでしょ?
外に出てこんなふうに恥を晒したことなんて今まで一度もなかった。
幼いころから徹底的に父の思い通りの娘でいることを強要されてきた私には、人前で転ぶことすら許されなかった。
小学生のとき、運動会でリレーの走者だった私はみんなの応援に答えられずに転倒したことがあった。
当時の私は後ろから次々と他の走者に追い抜かされて最下位になってしまったことよりも、この姿を観客席から見ていた父に怒られることを一番に恐れていた。
そういう環境下で育ってきた私が、今、一人でバーに来て酔っ払って床に手をついている。