だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~
26 気がついてしまった
ディアナが勇気を出してライオネルに送った手紙の返事が届いた。そこには、短く「喜んで」とだけ書かれている。
ディアナはホッと胸をなで下ろした。
(ドレスを一緒に選んでくださるなんて、やっぱりライオネル殿下はお優しいわ)
この関係が契約婚約だからこそ、協力してくれているのかもしれない。それでも、優しくしてもらえると嬉しくなってしまう。
ライオネルがドレスを選ぶためにバデリー伯爵家に来る日、ディアナは朝からソワソワしていた。
何度も鏡を見ては、おかしなところがないか確認する。それを見た母に「少し落ち着きなさいよ」と笑われてしまう。
「ですが、ライオネル殿下に失礼があってはいけないので……」
ロバートと婚約しているときは、嫌われないように気をつけていても、嫌われてしまっていた。
目の前の母は、年を重ねてもなお美しい。ディアナは思わずため息をついた。
「私もお母様のような、金髪だったらよかったのに」
ライトブラウンの髪が嫌いなわけではない。でも、やはり金髪は華やかだ。
母はそんなディアナを見つめながら微笑んだ。
「あなたは私の自慢の娘よ。もし殿下がロバート様のような態度をとったら、もう結婚なんてしなくていいわ。ずっと一緒に暮らしましょう」
「お母様……」
母の気持ちがありがたい。
(そうよね。これはあくまで契約婚約で、本当に結婚するわけではないのだから、心配しても仕方ないわよね)
ライオネルと交わした契約では、「お互いの目的のために婚約し協力すること。そして、目的が達成されたあと、ディアナは自由にしていい」となっている。
(殿下は、私のことを好意的に思ってくださっているようだけど、本当の妻に求められているわけではないから)
貴族の結婚に、愛だの恋だのという感情はあまり関係ない。王族にもなれば、さらに利害関係が優先されるだろう。
(契約婚約が終わった後、私がバデリー家を継いでお母様と暮らす未来も普通にあるのよね。そのときは、婿入りしてくれる人を探さないといけないけど)
そんなことを考えていると、メイドがライオネルの訪問を告げた。本来なら当主である父が王族を出迎えるが、父は相変わらず不在だった。
なので、当主代理のディアナがライオネルを出迎えた。周囲にいる使用人達は、仮面をつけたライオネルを見たとたんに、『怖い』『恐ろしい』などの黒い蝶を飛ばしている。
(殿下は、怖がられるような方ではないのに)
なんだかモヤモヤしてしまう。せめてディアナだけは、心の底から歓迎しようと思い、満面の笑みを浮かべた。
「ライオネル殿下にご挨拶を申し上げます。ようこそお越しくださいました」
淑女の礼をとるディアナに、ライオネルは淡々と告げる。
「出迎えご苦労。だが、形式張る必要はない」
ライオネルから出てきた白い蝶が『可愛い。可愛い』と繰り返している。それまで気にしていなかったが、花びらの意味を知ってしまった今となっては、知らないふりはできない。
(殿下は私のことを、女性として可愛いと思ってくださっていたのね)
そして、ディアナはそう思われていることを『嬉しい』と思っている自分に気がついてしまった。
赤くなる頬を手で隠しながら、ディアナはライオネルを客室へと案内した。
そこには、パーティーに参加するために準備したドレスが並んでいる。
(三着準備したけど、殿下の婚約者として相応しいドレスはあるかしら? なかったらどうしましょう)
チラッとライオネルを見ると、しっかりと目が合った。人払いをしているので、ライオネルは仮面を外している。
「ディアナ嬢。先に謝罪を」
そう言いながら、ライオネルはディアナの手をとった。
「婚約者にドレスを贈るというマナーをすっかり忘れていて、兄嫁に叱られた」
「兄嫁って、王太子妃殿下にですか?」
「ああ、戦場が長かったからなんて言い訳にはならないな。すまない。次回からは必ずドレスを贈ろう」
「あ、いえ……」
戸惑うディアナを見て、ライオネルは首をかしげている。
「俺は、何かおかしなことを言っただろうか?」
ディアナは必死に首を振った。
「そうではありません。ただ、元婚約者にはドレスを贈ってもらったことがなかったので、驚いてしまって……」
「確か、二年間婚約していたそうだな。その間に、一度もなかったのか?」
「はい」
「ということは、あなたにドレスを初めて送る男は、俺ということか」
「そうなりますね」
「そうか……」
それ以上、ライオネルは何も言わなかったが、彼の蝶は『嬉しい』と囁いた。
また頬が赤くなってしまいそうだったので、ディアナは慌ててドレスを指差した。
「三着ドレスを準備したのですが、どれが殿下の婚約者として相応しいでしょうか?」
一着は、ライオネルがいつも身にまとっている黒に合わせて、黒いドレスを作った。もう一着は、ライオネルの瞳に合わせた青いドレス。そして、最後の一着は、最近王都で流行っているという赤色のドレスだ。
これまでの幼いデザインのドレスとは違い、どれも大人っぽいデザインになっている。
ライオネルは、ドレスをしばらく眺めた後、ディアナを見た。
「全部あなたに似合うと思う。ディアナ嬢はどれが気に入っているんだ?」
「わ、私ですか?」
「ああ、正直、ドレスのことはよく分からない。あなたが着たいものが一番いいと思う」
「私が着たいドレス……」
言われてみれば、ロバートと婚約する前は、着たいドレスを気軽に選んでいた。悪意を持った元専属メイドの口車に乗せられて、子どもっぽいドレスを着ていたが、それでも自分で選んで着ていたので、それほど後悔はない。
(私、いつのまにか、婚約者の顔色を窺うクセがついていたのね……)
自分の考えや意見を言うより、ロバートがどう思うかを優先して、機嫌取りばかりしていた。
(殿下は、私に機嫌取りを求めていないんだわ)
契約を結んだ者同士、対等に扱ってくれているのが分かる。ディアナは、そっと青いドレスに触れた。
「では、この青いドレスを着ていきます。その、殿下の瞳の色なので……」
「ああ」
頷いたライオネルの蝶が、同時にいろんな言葉を話すので聞き取れない。
しかし、ディアナは、視線をそらしたライオネルの耳が真っ赤に染まっていることに気がついた。
(もしかして、殿下は照れているの?)
これまでも、ライオネルの蝶が何を言っているのか聞き取れないことがあった。それは、ディアナがうっかりライオネルを「可愛い」と言ってしまったときや、勘違いしたディアナが、あせってライオネルの顔を仮面で隠さなければと、その逞しい胸に寄りかかってしまったときなど。
(あのときも殿下の耳は、赤くなっていたのかしら?)
そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。
(前は殿下の蝶が可愛いと思ったけど、今は本当に殿下が可愛く見えてきたわ。ああ、そうか、私……)
今ならどうして自分があんなに繰り返し鏡を見ていたのか分かる。
(私、殿下に嫌われたくないんじゃない。殿下に……好かれたいと思ってしまっているんだわ)
ディアナはホッと胸をなで下ろした。
(ドレスを一緒に選んでくださるなんて、やっぱりライオネル殿下はお優しいわ)
この関係が契約婚約だからこそ、協力してくれているのかもしれない。それでも、優しくしてもらえると嬉しくなってしまう。
ライオネルがドレスを選ぶためにバデリー伯爵家に来る日、ディアナは朝からソワソワしていた。
何度も鏡を見ては、おかしなところがないか確認する。それを見た母に「少し落ち着きなさいよ」と笑われてしまう。
「ですが、ライオネル殿下に失礼があってはいけないので……」
ロバートと婚約しているときは、嫌われないように気をつけていても、嫌われてしまっていた。
目の前の母は、年を重ねてもなお美しい。ディアナは思わずため息をついた。
「私もお母様のような、金髪だったらよかったのに」
ライトブラウンの髪が嫌いなわけではない。でも、やはり金髪は華やかだ。
母はそんなディアナを見つめながら微笑んだ。
「あなたは私の自慢の娘よ。もし殿下がロバート様のような態度をとったら、もう結婚なんてしなくていいわ。ずっと一緒に暮らしましょう」
「お母様……」
母の気持ちがありがたい。
(そうよね。これはあくまで契約婚約で、本当に結婚するわけではないのだから、心配しても仕方ないわよね)
ライオネルと交わした契約では、「お互いの目的のために婚約し協力すること。そして、目的が達成されたあと、ディアナは自由にしていい」となっている。
(殿下は、私のことを好意的に思ってくださっているようだけど、本当の妻に求められているわけではないから)
貴族の結婚に、愛だの恋だのという感情はあまり関係ない。王族にもなれば、さらに利害関係が優先されるだろう。
(契約婚約が終わった後、私がバデリー家を継いでお母様と暮らす未来も普通にあるのよね。そのときは、婿入りしてくれる人を探さないといけないけど)
そんなことを考えていると、メイドがライオネルの訪問を告げた。本来なら当主である父が王族を出迎えるが、父は相変わらず不在だった。
なので、当主代理のディアナがライオネルを出迎えた。周囲にいる使用人達は、仮面をつけたライオネルを見たとたんに、『怖い』『恐ろしい』などの黒い蝶を飛ばしている。
(殿下は、怖がられるような方ではないのに)
なんだかモヤモヤしてしまう。せめてディアナだけは、心の底から歓迎しようと思い、満面の笑みを浮かべた。
「ライオネル殿下にご挨拶を申し上げます。ようこそお越しくださいました」
淑女の礼をとるディアナに、ライオネルは淡々と告げる。
「出迎えご苦労。だが、形式張る必要はない」
ライオネルから出てきた白い蝶が『可愛い。可愛い』と繰り返している。それまで気にしていなかったが、花びらの意味を知ってしまった今となっては、知らないふりはできない。
(殿下は私のことを、女性として可愛いと思ってくださっていたのね)
そして、ディアナはそう思われていることを『嬉しい』と思っている自分に気がついてしまった。
赤くなる頬を手で隠しながら、ディアナはライオネルを客室へと案内した。
そこには、パーティーに参加するために準備したドレスが並んでいる。
(三着準備したけど、殿下の婚約者として相応しいドレスはあるかしら? なかったらどうしましょう)
チラッとライオネルを見ると、しっかりと目が合った。人払いをしているので、ライオネルは仮面を外している。
「ディアナ嬢。先に謝罪を」
そう言いながら、ライオネルはディアナの手をとった。
「婚約者にドレスを贈るというマナーをすっかり忘れていて、兄嫁に叱られた」
「兄嫁って、王太子妃殿下にですか?」
「ああ、戦場が長かったからなんて言い訳にはならないな。すまない。次回からは必ずドレスを贈ろう」
「あ、いえ……」
戸惑うディアナを見て、ライオネルは首をかしげている。
「俺は、何かおかしなことを言っただろうか?」
ディアナは必死に首を振った。
「そうではありません。ただ、元婚約者にはドレスを贈ってもらったことがなかったので、驚いてしまって……」
「確か、二年間婚約していたそうだな。その間に、一度もなかったのか?」
「はい」
「ということは、あなたにドレスを初めて送る男は、俺ということか」
「そうなりますね」
「そうか……」
それ以上、ライオネルは何も言わなかったが、彼の蝶は『嬉しい』と囁いた。
また頬が赤くなってしまいそうだったので、ディアナは慌ててドレスを指差した。
「三着ドレスを準備したのですが、どれが殿下の婚約者として相応しいでしょうか?」
一着は、ライオネルがいつも身にまとっている黒に合わせて、黒いドレスを作った。もう一着は、ライオネルの瞳に合わせた青いドレス。そして、最後の一着は、最近王都で流行っているという赤色のドレスだ。
これまでの幼いデザインのドレスとは違い、どれも大人っぽいデザインになっている。
ライオネルは、ドレスをしばらく眺めた後、ディアナを見た。
「全部あなたに似合うと思う。ディアナ嬢はどれが気に入っているんだ?」
「わ、私ですか?」
「ああ、正直、ドレスのことはよく分からない。あなたが着たいものが一番いいと思う」
「私が着たいドレス……」
言われてみれば、ロバートと婚約する前は、着たいドレスを気軽に選んでいた。悪意を持った元専属メイドの口車に乗せられて、子どもっぽいドレスを着ていたが、それでも自分で選んで着ていたので、それほど後悔はない。
(私、いつのまにか、婚約者の顔色を窺うクセがついていたのね……)
自分の考えや意見を言うより、ロバートがどう思うかを優先して、機嫌取りばかりしていた。
(殿下は、私に機嫌取りを求めていないんだわ)
契約を結んだ者同士、対等に扱ってくれているのが分かる。ディアナは、そっと青いドレスに触れた。
「では、この青いドレスを着ていきます。その、殿下の瞳の色なので……」
「ああ」
頷いたライオネルの蝶が、同時にいろんな言葉を話すので聞き取れない。
しかし、ディアナは、視線をそらしたライオネルの耳が真っ赤に染まっていることに気がついた。
(もしかして、殿下は照れているの?)
これまでも、ライオネルの蝶が何を言っているのか聞き取れないことがあった。それは、ディアナがうっかりライオネルを「可愛い」と言ってしまったときや、勘違いしたディアナが、あせってライオネルの顔を仮面で隠さなければと、その逞しい胸に寄りかかってしまったときなど。
(あのときも殿下の耳は、赤くなっていたのかしら?)
そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。
(前は殿下の蝶が可愛いと思ったけど、今は本当に殿下が可愛く見えてきたわ。ああ、そうか、私……)
今ならどうして自分があんなに繰り返し鏡を見ていたのか分かる。
(私、殿下に嫌われたくないんじゃない。殿下に……好かれたいと思ってしまっているんだわ)