だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~
37 愛の証明
ディアナの父がバデリー伯爵家に押しかけてきたのは、それから三日後だった。
(お父様は、今まで何をしていたのかしら?)
ライオネルがディアナの父を王宮に招いたのは一日だけ。その後は、愛人宅で過ごしていたはずなのに、アレスがいなくなったことに気がつかないまま二日過ごしたことになる。
(我が父ながら、不思議な人だわ)
ディアナは大切な客人に「少し席を外します」と伝えてから、父が喚いているエントランスホールへと向かった。
父は娘の姿を見つけるなり、止めようとしている使用人達の手を振り払い、ディアナに詰め寄る。
「アレスはどこだ!?」
「お父様、落ち着いてください。今は大切なお客様がいらして――」
「黙れ! おまえがアレスを連れていったのは分かっているんだぞ!」
ディアナの言葉は、父には届かない。
「お父様。ここで騒がれては困ります。どうぞ、こちらへ」
「うるさい! 今すぐアレスをここに連れてくるんだ! アレスは私の愛するベラが産んでくれた大切な子どもなんだぞ!」
興奮している父は自分が愛人や愛人の子どもの存在を隠していることすら忘れているらしい。
「アレスはな、完璧なんだ! 美しい金髪に、紫色の瞳! 地味なおまえなんかとは存在価値が違う! それをディアナ、おまえごときが嫉妬から害しようなどと!」
怒りに我を忘れて、父がディアナに向かって腕を振り上げた。しかし、その腕は振り下ろされることはなく、代わりに父のうめき声が聞こえてくる。
自分の腕を掴んでいる仮面の男が誰なのか気がつき、父の顔から血の気が引いた。
「だ、第二王子殿下……。いらしてたのですか?」
「ああ、愛しい婚約者殿に会いに来ていたところだ」
ディアナとしては「だから、大切なお客様が来ていると言ったのに」という気持ちでいっぱいだ。
ライオネルは、『殺す』と囁く蝶を飛ばしながら、掴んでいる父の腕にギリギリと力を込めていく。
「……それで? 誰が地味だって? まさか俺の愛するディーのことではあるまいな?」
父のうめき声が悲鳴へと変わっていく。
ディアナが「殿下、その辺で」と止める前に、カッカッカッとヒールの音を立てて、母が近づいてきた。
そして、ライオネルに拘束されている父に向って思いっきり腕を振り上げた。すぐにパンッと乾いた音が、エントランスホールに響く。
母は恐ろしい形相で、父を睨みつけていた。
「誰が地味ですって!?」
そう叫んだ母は、もう一度父の頬を打つ。
「私の可愛い娘を侮辱するなんて許せないわ! この最低男! 殺してやる!」
父の襟首を掴んでガクガクと揺らす母を見たライオネルは、「ディアナの母君とは気が合いそうだ」と満足そうだ。
ディアナが「あの、その辺で」と遠慮がちに止めると、ライオネルは「ディーが言うなら仕方ない」と言い、父をパッと離した。そのせいで、体勢を崩した父は床に倒れ込む。
解放された父の顔は、そうとう痛かったのか涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「く、くそっ、バデリー家の当主にこんなことをして許されると思うなよ!?」
父はビシッと母を指差す。
「おまえとは離婚だ! 実家の援助も打ち切ってやる! 今すぐこの家から出て行け」
腕を組んで父を見下ろす母は、フッと鼻で笑った。
「あなた、自分がいつから当主の仕事をしていないか分かっているの? その間、誰がやっていたと思っているのよ」
母がチラッとディアナを見たので、さすがの父も察したようだ。
「まさか、ディアナが? だ、だとしても、当主は私だ!」
ディアナは「ちょうど、その件でライオネル殿下に来ていただいていたのです」と説明を始めた。
「お父様が長い間まともに仕事をしていないことは、執事や事務担当者達が証明してくれました。なので、当主にはまだ幼いですがアレスを迎えて、彼が成人するまで私が当主代理として支えることが決まったところです」
ポカンと父の口が開いた。
「は? え?」という情けない呟きが聞こえてくる。
「お父様には、引き続き愛する方と過ごしていただきたいのですが、実はそちらも問題がありまして……」
ライオネルが片手を上げると、カーラとグレッグが若い男を引き立ててきた。
「この方は、お父様が愛するベラさんの一番お気に入りの男性です」
父は愛人が自分を裏切っているとは、夢にも思っていなかったようで固まってしまっている。
ライオネルは、拘束されている男に「命が惜しければ、ベラとどういう話をしていたか言ってみろ」と命令した。
「へ、へい」
男は震えながらなんとか話す。
「べ、ベラは、このジジィのことを毛嫌いしていました。気持ちが悪いと。でも、いい金づるだから我慢してやっていると……」
「嘘だ!」と叫んだ父は、暴れようとしたのでグレッグに取り押さえられた。
母が「バデリー家も舐められたものね」と父を見下ろしている。
「言っておきますけど、あなたが大切にしているアレスって子。あなたがいない間、ベラが男と遊ぶために家から追い出していたのよ? ディアナはアレスを保護してあげたの」
「なっ!?」
「なっ、じゃないわよ。そんなに大切なら、どうしてアレスがいなくなったことにすぐに気がつかなかったのよ!」
母の言葉に父は俯いた。
「そ、それは、ベラが私と二人きりになりたくて、アレスを近所のおばさんに預けたと言っていたから……」
どうやら愛人は、アレスがいなくなった責任を取りたくなくて、父にとっさに嘘をついたようだ。
「でも、迎えに行ったらアレスがいなくて、そこで私に似ている貴族の若い女がアレスを連れていったと聞いたんだ。だから、ディアナが誘拐犯だと」
母は、父の手の甲を思いっきりヒールで踏みつけた。
「ぎゃあ!?」と叫ぶ父。
「ディアナがあなたに似ているですって……? ふざけないで! 似ているのは髪と目の色だけよ! この可愛らしい顔が見えていないの!?」
「痛い痛い! この女をどうにかしろ!」
そう叫んだが、ここには父の味方が一人もいないので、誰も動こうとしない。
父の浮気のせいで、母が長年苦しんでいることは使用人達も知っていたし、父が仕事をしないせいで、多少なりとも困ることがあった。そのせいか使用人達は、それぞれ『ざまぁみろ』とか『もっとやれ』と囁く蝶を飛ばしている。
ディアナは母の愛に胸が温かくなりながら、父に伝えた。
「お父様の愛人は、バデリー伯爵家を侮辱する言動を繰り返していました。残念ながらこのままにはしておけません。平民に侮られたまま放置するわけにはいきませんから」
「ベラをどうしたんだ!?」
父の問いに答えたのは、ディアナではなくライオネルだ。
「ベラは、貴族の血が流れているアレスを虐待し、さらに、バデリー伯爵家夫人を不当に追い出そうとしていた。今頃、俺の部下たちが拘束しているだろう」
「こ、拘束?」
「本来なら死罪だが、おまえに唆された結果なので懲役刑で強制労働くらいが妥当だろうな」
「そんな……。じゃ、じゃあ、私はどうなるんですか?」
拘束された愛人ではなく、自分の心配をし始めた父に、その場の誰もが呆れた。
ライオネルの淡々とした声が響く。
「おまえは、バデリー伯爵家の名誉を著しく低下させた」
そのとたんに父は、何を思ったか母に縋った。
「今まですまなかった! 本当に愛しているのはおまえだよ。お願いだ、私を助けてくれ!」
そのとき母が浮かべた表情は、なんとも表現しづらかった。まるで、おぞましいものでも見てしまった、そんな顔だ。
ディアナは、こっそりとため息をついた。
(これだから、愛は嫌なのよ。使い勝手が良すぎて、何にでも使えてしまう)
父の血迷った言葉は黙殺された。ライオネルは言葉を続ける。
「おまえの罪は、それだけではない。王族の婚約者に暴力を振るおうとした。それは、王家を侮る行動だ。最終決定は、王太子殿下がされるが、死罪が妥当だろう」
そのとたんに、父は気を失った。そのまま引きずられるように、ライオネルの部下たちに運ばれていく。
その様子を母は涙を流しながら見つめていた。
「やっと終わったわね……。本当に、本当にありがとう、ディアナ。すべてあなたのおかげだわ」
ディアナは首を振る。
「いいえ、お母様が今まで耐えてくださったから、こうして反撃に出ることができたのです。そして、ライオネル殿下やカーラ、グレッグやこの家の使用人達、皆のおかげで勝ち取れた勝利です」
ディアナは改めて、ライオネルに頭を下げた。
「いろいろとありがとうございました。殿下」
ライオネルは、ディアナを抱き寄せた。辺りには真っ赤なバラの花びらが舞い散っている。
「ディー。だから、俺のことはレオと」
不服そうなライオネルの唇に、ディアナはそっと人差し指を当てた。
「そういうのは、二人きりのときだけ呼び合うのです」
ディアナの真っ赤な顔を見たライオネルは、満足そうに「そうか」と微笑んだ。
*
その後、ほどなくして国王が息を引き取った。戦争を長く続けた王の死を悲しむ声は少なく、むしろ、新しい国王の誕生に国中が沸いた。
ライオネルは公爵位を賜ったときに、長年つけていた仮面を手放した。
残虐王子だと恐れられていた彼は、今は美貌の公爵様だ。
そして、今日、ディアナとライオネルは、盛大な結婚式を挙げる。
新郎新婦の控室では、白いタキシードに身を包んだ美しいライオネルが、真っ白なウエディングドレスを身にまとったディアナを優しく見つめている。
彼の周りを飛ぶ蝶は、『美しい』やら『幸せだ』やらと、感極まっていて騒がしい。
ディアナの手の甲に優しくキスをしてから、ライオネルは「愛している」と微笑んだ。
そんな彼は、本当に「ディアナを裏切ったら死ぬ。そして、全財産をディアナに譲る」という契約を正式に王家に提出してしまっている。
(ここまでされたら、『愛なんて信じられない』なんて言えないわ)
ディアナは、命がけで愛を証明してくれた人を見つめた。
「私は愛が分からないけど、あなたの愛だけは信じられる。愛しているわ」
そう言いながら、ディアナとライオネルは、神に誓う前に、二人だけの誓いのキスを交わすのだった。
おわり
(お父様は、今まで何をしていたのかしら?)
ライオネルがディアナの父を王宮に招いたのは一日だけ。その後は、愛人宅で過ごしていたはずなのに、アレスがいなくなったことに気がつかないまま二日過ごしたことになる。
(我が父ながら、不思議な人だわ)
ディアナは大切な客人に「少し席を外します」と伝えてから、父が喚いているエントランスホールへと向かった。
父は娘の姿を見つけるなり、止めようとしている使用人達の手を振り払い、ディアナに詰め寄る。
「アレスはどこだ!?」
「お父様、落ち着いてください。今は大切なお客様がいらして――」
「黙れ! おまえがアレスを連れていったのは分かっているんだぞ!」
ディアナの言葉は、父には届かない。
「お父様。ここで騒がれては困ります。どうぞ、こちらへ」
「うるさい! 今すぐアレスをここに連れてくるんだ! アレスは私の愛するベラが産んでくれた大切な子どもなんだぞ!」
興奮している父は自分が愛人や愛人の子どもの存在を隠していることすら忘れているらしい。
「アレスはな、完璧なんだ! 美しい金髪に、紫色の瞳! 地味なおまえなんかとは存在価値が違う! それをディアナ、おまえごときが嫉妬から害しようなどと!」
怒りに我を忘れて、父がディアナに向かって腕を振り上げた。しかし、その腕は振り下ろされることはなく、代わりに父のうめき声が聞こえてくる。
自分の腕を掴んでいる仮面の男が誰なのか気がつき、父の顔から血の気が引いた。
「だ、第二王子殿下……。いらしてたのですか?」
「ああ、愛しい婚約者殿に会いに来ていたところだ」
ディアナとしては「だから、大切なお客様が来ていると言ったのに」という気持ちでいっぱいだ。
ライオネルは、『殺す』と囁く蝶を飛ばしながら、掴んでいる父の腕にギリギリと力を込めていく。
「……それで? 誰が地味だって? まさか俺の愛するディーのことではあるまいな?」
父のうめき声が悲鳴へと変わっていく。
ディアナが「殿下、その辺で」と止める前に、カッカッカッとヒールの音を立てて、母が近づいてきた。
そして、ライオネルに拘束されている父に向って思いっきり腕を振り上げた。すぐにパンッと乾いた音が、エントランスホールに響く。
母は恐ろしい形相で、父を睨みつけていた。
「誰が地味ですって!?」
そう叫んだ母は、もう一度父の頬を打つ。
「私の可愛い娘を侮辱するなんて許せないわ! この最低男! 殺してやる!」
父の襟首を掴んでガクガクと揺らす母を見たライオネルは、「ディアナの母君とは気が合いそうだ」と満足そうだ。
ディアナが「あの、その辺で」と遠慮がちに止めると、ライオネルは「ディーが言うなら仕方ない」と言い、父をパッと離した。そのせいで、体勢を崩した父は床に倒れ込む。
解放された父の顔は、そうとう痛かったのか涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「く、くそっ、バデリー家の当主にこんなことをして許されると思うなよ!?」
父はビシッと母を指差す。
「おまえとは離婚だ! 実家の援助も打ち切ってやる! 今すぐこの家から出て行け」
腕を組んで父を見下ろす母は、フッと鼻で笑った。
「あなた、自分がいつから当主の仕事をしていないか分かっているの? その間、誰がやっていたと思っているのよ」
母がチラッとディアナを見たので、さすがの父も察したようだ。
「まさか、ディアナが? だ、だとしても、当主は私だ!」
ディアナは「ちょうど、その件でライオネル殿下に来ていただいていたのです」と説明を始めた。
「お父様が長い間まともに仕事をしていないことは、執事や事務担当者達が証明してくれました。なので、当主にはまだ幼いですがアレスを迎えて、彼が成人するまで私が当主代理として支えることが決まったところです」
ポカンと父の口が開いた。
「は? え?」という情けない呟きが聞こえてくる。
「お父様には、引き続き愛する方と過ごしていただきたいのですが、実はそちらも問題がありまして……」
ライオネルが片手を上げると、カーラとグレッグが若い男を引き立ててきた。
「この方は、お父様が愛するベラさんの一番お気に入りの男性です」
父は愛人が自分を裏切っているとは、夢にも思っていなかったようで固まってしまっている。
ライオネルは、拘束されている男に「命が惜しければ、ベラとどういう話をしていたか言ってみろ」と命令した。
「へ、へい」
男は震えながらなんとか話す。
「べ、ベラは、このジジィのことを毛嫌いしていました。気持ちが悪いと。でも、いい金づるだから我慢してやっていると……」
「嘘だ!」と叫んだ父は、暴れようとしたのでグレッグに取り押さえられた。
母が「バデリー家も舐められたものね」と父を見下ろしている。
「言っておきますけど、あなたが大切にしているアレスって子。あなたがいない間、ベラが男と遊ぶために家から追い出していたのよ? ディアナはアレスを保護してあげたの」
「なっ!?」
「なっ、じゃないわよ。そんなに大切なら、どうしてアレスがいなくなったことにすぐに気がつかなかったのよ!」
母の言葉に父は俯いた。
「そ、それは、ベラが私と二人きりになりたくて、アレスを近所のおばさんに預けたと言っていたから……」
どうやら愛人は、アレスがいなくなった責任を取りたくなくて、父にとっさに嘘をついたようだ。
「でも、迎えに行ったらアレスがいなくて、そこで私に似ている貴族の若い女がアレスを連れていったと聞いたんだ。だから、ディアナが誘拐犯だと」
母は、父の手の甲を思いっきりヒールで踏みつけた。
「ぎゃあ!?」と叫ぶ父。
「ディアナがあなたに似ているですって……? ふざけないで! 似ているのは髪と目の色だけよ! この可愛らしい顔が見えていないの!?」
「痛い痛い! この女をどうにかしろ!」
そう叫んだが、ここには父の味方が一人もいないので、誰も動こうとしない。
父の浮気のせいで、母が長年苦しんでいることは使用人達も知っていたし、父が仕事をしないせいで、多少なりとも困ることがあった。そのせいか使用人達は、それぞれ『ざまぁみろ』とか『もっとやれ』と囁く蝶を飛ばしている。
ディアナは母の愛に胸が温かくなりながら、父に伝えた。
「お父様の愛人は、バデリー伯爵家を侮辱する言動を繰り返していました。残念ながらこのままにはしておけません。平民に侮られたまま放置するわけにはいきませんから」
「ベラをどうしたんだ!?」
父の問いに答えたのは、ディアナではなくライオネルだ。
「ベラは、貴族の血が流れているアレスを虐待し、さらに、バデリー伯爵家夫人を不当に追い出そうとしていた。今頃、俺の部下たちが拘束しているだろう」
「こ、拘束?」
「本来なら死罪だが、おまえに唆された結果なので懲役刑で強制労働くらいが妥当だろうな」
「そんな……。じゃ、じゃあ、私はどうなるんですか?」
拘束された愛人ではなく、自分の心配をし始めた父に、その場の誰もが呆れた。
ライオネルの淡々とした声が響く。
「おまえは、バデリー伯爵家の名誉を著しく低下させた」
そのとたんに父は、何を思ったか母に縋った。
「今まですまなかった! 本当に愛しているのはおまえだよ。お願いだ、私を助けてくれ!」
そのとき母が浮かべた表情は、なんとも表現しづらかった。まるで、おぞましいものでも見てしまった、そんな顔だ。
ディアナは、こっそりとため息をついた。
(これだから、愛は嫌なのよ。使い勝手が良すぎて、何にでも使えてしまう)
父の血迷った言葉は黙殺された。ライオネルは言葉を続ける。
「おまえの罪は、それだけではない。王族の婚約者に暴力を振るおうとした。それは、王家を侮る行動だ。最終決定は、王太子殿下がされるが、死罪が妥当だろう」
そのとたんに、父は気を失った。そのまま引きずられるように、ライオネルの部下たちに運ばれていく。
その様子を母は涙を流しながら見つめていた。
「やっと終わったわね……。本当に、本当にありがとう、ディアナ。すべてあなたのおかげだわ」
ディアナは首を振る。
「いいえ、お母様が今まで耐えてくださったから、こうして反撃に出ることができたのです。そして、ライオネル殿下やカーラ、グレッグやこの家の使用人達、皆のおかげで勝ち取れた勝利です」
ディアナは改めて、ライオネルに頭を下げた。
「いろいろとありがとうございました。殿下」
ライオネルは、ディアナを抱き寄せた。辺りには真っ赤なバラの花びらが舞い散っている。
「ディー。だから、俺のことはレオと」
不服そうなライオネルの唇に、ディアナはそっと人差し指を当てた。
「そういうのは、二人きりのときだけ呼び合うのです」
ディアナの真っ赤な顔を見たライオネルは、満足そうに「そうか」と微笑んだ。
*
その後、ほどなくして国王が息を引き取った。戦争を長く続けた王の死を悲しむ声は少なく、むしろ、新しい国王の誕生に国中が沸いた。
ライオネルは公爵位を賜ったときに、長年つけていた仮面を手放した。
残虐王子だと恐れられていた彼は、今は美貌の公爵様だ。
そして、今日、ディアナとライオネルは、盛大な結婚式を挙げる。
新郎新婦の控室では、白いタキシードに身を包んだ美しいライオネルが、真っ白なウエディングドレスを身にまとったディアナを優しく見つめている。
彼の周りを飛ぶ蝶は、『美しい』やら『幸せだ』やらと、感極まっていて騒がしい。
ディアナの手の甲に優しくキスをしてから、ライオネルは「愛している」と微笑んだ。
そんな彼は、本当に「ディアナを裏切ったら死ぬ。そして、全財産をディアナに譲る」という契約を正式に王家に提出してしまっている。
(ここまでされたら、『愛なんて信じられない』なんて言えないわ)
ディアナは、命がけで愛を証明してくれた人を見つめた。
「私は愛が分からないけど、あなたの愛だけは信じられる。愛しているわ」
そう言いながら、ディアナとライオネルは、神に誓う前に、二人だけの誓いのキスを交わすのだった。
おわり

