朝から月まで
神社に着くと、朝陽が言ったように人でごった返していた。月は身長が高いので遠くまで見渡せたのだが、隙間が見当たらないほどの人ごみが見えた。ここまで人が密集しているのを見たことがない。ただただ圧倒されていた。
「ね、すごいでしょ?」
「うん」
前の人の頭を見ながら呆れつつ朝陽が話しかけてくる。月も遠くの参拝所を見ながら頷く。いつになったら辿り着けるのだろうか――。
「これは時間がかかりそうだね」
同意を求めるように朝陽の方を向くが、返答がない。ついさっきまで普通に話していたのに、こんな短時間に何があったんだろう――。
「朝陽ちゃん?」
顔を覗き込むと、真っ青になっている。目も泳いでいた。
「どうしたの? 体調悪い?」
やっぱり返答がない。その代わり、アウターをぎゅっと握られた。朝陽の視線が、後ろを振り向こうとしてやめた。背後には男性が立っている。中肉中背のどこにでもいる中年男性。知り合いと来ているのか同世代の男性と談笑していた。だが、何か違和感がある。朝陽と距離が近いような気がした。もちろん、おしくらまんじゅう状態だ。月だって条件は一緒。でも、距離が近いだけじゃない――手が朝陽の下半身を触っていた。
「――おい」
それに気づいた瞬間、迷わずその男性の手を取って、睨みながら見下ろした。その男性は、青い顔をしながら月を見上げている。何をしているのかと問うと、友達と談笑しているだけだと言う。月は朝陽の下半身を触っていたのを見ている。それを言及してみるが、誤解だと言い訳を始めた。月の怒りがさらに増す。男性の手を掴んでいる手に力がこもる。だが、その手を朝陽が取った。
「いいよ。帰ろう」
月の手首を掴む。その手は震えていた。月は男性を殴りたい衝動を抑え――きれず、ファニーボーンを軽く殴った。
男性は地味に痛がっていたが、自分が悪いことを分かっているのか咎められることはなかった。男性の友達らしき人物はずっと怪訝な顔で見ていたが、知ったこっちゃない。
朝陽を見下ろすと、まだ真っ青だった。いつまでもここにいるのは嫌だろうと、前方を見てから後方を見る。後方はまだ人が少ない。列にしたら五列。強行突破しようと思えば出来そうだった。
「俺に掴って」
「え?」
聞こえてきた意外な言葉に何が何だか分からないでいると、体が宙に浮いた。
「え、え、え」
言っている間にお姫様だっこをされて、慌てて月にしがみつく。
「な、何してんの!?」
「すみませーん。通りまーす」
朝陽の言葉は聞こえているのかいないのか。言いながら人ごみをかき分けてなんとか境内から出た。横断歩道を渡って神社と反対側まで来ると人の数は一気に減った。
「やっと解放されたね」
そう言いながら朝陽を見下ろすが目は合わなかった。
「いいから。早く下ろしてよ」
「あ、ごめん」
慌てて謝り、ゆっくり下ろす。朝陽は月に背を向ける。
「お姫様だっこ、嫌だった?」
「――急にされたらビックリするじゃん」
「ごめん」
「謝らなくてもいいけど」
それでも朝陽は背を向けたまま月を見ようとしない。恐る恐る朝陽の正面へ回り込むと、その顔は真っ赤だった。
「ふっ」
「――何?」
月は思わず吹き出してしまう。朝陽は怒気の含んだ声で睨んでくるが、真っ赤な顔がそれを緩和する。
「そんな顔するんだなって」
「何? そんな顔って」
「真っ赤だから」
さっきの真っ青な顔よりずっといい。
朝陽は「ふん」と言いながら顔を背ける。
辺りを見回す。
「あ、コンビニがある」
「え?」
朝陽の腕を取って、遠くに小さく見えたコンビニへ向かった。コンビニで月は缶コーヒー、朝陽はコーンスープを選んだ。月のおごりだ。朝陽に案内されて近くの公園までやって来ると、当たり前だが誰もいなかった。屋根のあるベンチに座ってみるが寒くて凍えそうだ。月は缶コーヒーを開けて一口飲んだ。温かさが身に染みる。朝陽はコーンスープで暖を取りながらも寒そうに震えている――本当に寒さなのか、さっきのことを引きずっているのかは分からないが。
「大丈夫?」
「大丈夫、全然」
自分に言い聞かせているように聞こえた。少し冷めたコーンスープを一気飲みし、大きく息を吐く。まるで自分を落ち着かせるように――。
「――え?」
月は空になった缶を椅子の端に置いて、アウターの前を開け、朝陽を包み込んだ。二人の体が密着する。
「な、何してんの?」
「寒いかと思って」
「それはそうだけど……」
思考が上手く働かない。聞こえてくる心音は自分のものなのか、それとも――。
「もう帰ろう。もうすぐ受験なのに風邪引いたら大変だよ」
そう言って月から離れ、缶を捨てにゴミ箱へ移動した。
月はそんな朝陽の背中を見ながらアウターのチャックを閉め、同じようにゴミ箱に缶を捨てる。
朝陽は一瞬だけ月を見上げだが、すぐに目を逸らした。そんな朝陽の手を取る。
「嫌なら離していいよ」
返答はなかった。月は黙って歩き出す――手を繋いだまま。
快晴の寒空の下を二人並んで家まで歩いた。家に着くと、朝陽の手の震えは止まっていた。月は一安心する。
ただ、お守りを買っていなかったので愛子にちょっと怒られた。