再び縁結び

2ー桜庭という苗字


[結斗視点]

 "東雲先生は、僕のママみたいに優しい人は好きですか"

 まさか彼女の息子であり、俺の息子でもある彼からそんな質問をされるとは思ってもいなかった。答える方法はいくらでもあった。まだちょっとわからないとか、好きじゃないって。だが、そんなのは俺の本心じゃない事くらい知っている。そんな答え方したら、小春が傷付いてしまう。好きとだけ答えたら、他の保護者に変な誤解をされ、小春が傷付いてしまうかもしれない。

 だがまだ、俺の中には小春に対しての感情が残っている。だが、そんなのは駄目だ。元恋人は過去の話で、今は、保護者と教師として。越えてはいけない一線がある。



***

 入学式の2週間前まで遡る。その日、校長先生から、俺が担当するクラスの名簿が渡された。1年1組だった。そして、生徒達の名前を上から指で辿りながら、確認していた。すると、ある名前が目に飛び込んできた。

"桜庭(さくらば) 春斗"

 その苗字には心当たりがありすぎた。まさかとは思った。彼女とは、喧嘩別れではなく自然消滅という形だった。春斗と言う名も別れる前に小春の妊娠が発覚した際に2人で考えた名前だった。

「春斗...」

 同姓同名の別人の場合もありえる。それに、もし本当に自然消滅してしまった彼女の息子だったのなら。教師という立場だ。息子だからとか昔恋人だったからという理由で特別な扱いはしてはいけない。名簿の紙を握る手に力が入り、震える。わかっている。春斗の担任として、小春に接すれば良いだけの話だ。

「東雲先生、どうしたんですか。そんな顔をして」

 誰かに声をかけられる。名簿を机の上に置いて、横を向く。話しかけてきたのは、1年2組の担任の秋海棠(しゅうかいどう)詩織(しおり)先生だ。去年3年生の担任だった秋海棠先生は、教育熱心で、生徒達から好かれている。この先生なら1年生を任せても大丈夫と判断した校長先生により今年は1年2組の担任となった。秋海棠先生は、両手で持っていた書類を机の上にドサッと置く。

「あ、いえ...どんな子がいるのか頭の中で想像してしまって」

「へえ、見せてくださいよ、東雲先生」

「...どうぞ」

 俺が言うと、彼女は、興味津々で名簿を覗き込む。ある生徒の名前のところに人差し指を指した。

「この桜庭春斗君の名前って、なんか全体的に春みたいですよね」

「春...みたいですか」

 秋海棠先生の言葉に過去へ引き戻された気がした。今思えば、彼女と出会ったのも桜が満開な季節だった。彼女とは一緒に教員を目指し一緒に過ごしていた。次第に彼女に惹かれ付き合うことになった。だが全ては崩れた。

「東雲先生、ぼーっとしてどうしましたか」

 秋海棠先生の言葉で、現実に引き戻される。そうだ。俺は、教師としてここにいる。過去を引きずっていては駄目だ。小春は俺にとって過去の人だ。それに、この名簿に載っている"桜庭 春斗"が彼女の息子だとも限らない。心の中で彼女の息子であって欲しい気持ちと、彼女の息子であって欲しくない気持ちがぶつかり合っている。俺は、笑顔を無理やり作り秋海棠先生に返事をする。

「いや、どんな1年になるのか楽しみでしてね」

「そうですね、良い学年にしていきましょうね」

 秋海棠先生は、椅子に座り、書類に目を通し始める。俺も、名簿に記載された春斗の名前をまた見る。もし、本当に俺の息子だったら小春が1人で育ててきた事に胸が痛む。どうして一緒にいてやれなかったのか。教師という夢を捨てていればと後悔する日もあった。

「...秋海棠先生は、大恋愛したことありますか」

 何気に聞いた。秋海棠先生は、手に持っていた書類をポンと机に上に置いて。俺をみた。秋海棠先生の顔は、少し驚いたような、でもどこか嬉しそうな表情を浮かべる。彼女は、俺の鼻に人差し指をつんと触る。

「...今、していますよ、東雲先生」

「...つまりは、現在、大恋愛中と言うことですね」

 これ以上は深掘りしないほうがいいだろうと思い、視線を名簿に向け、また名簿を見始める。だが、秋海棠先生は、こっちを向いたまま書類を見ようとはしない。彼女の様子をチラチラと見る。彼女は、足を組み、机に肘をつく。

「へえ、東雲先生って、そこまで聞いておいて、私のタイプ聞いてくれないんですか」

 彼女は少し目を細め、口角を上げる。

「...好きなタイプってなんですか」

俺は、名簿を見つめながら秋海棠先生に聞く。別に興味はない。彼女が聞いて欲しかったみたいだから、聞き返しだけ。俺の心にあるのは...。

「やっぱ東雲先生も私のこと気になってくれちゃったりするんですね」

 俺は慌てて名簿から顔をあげ、秋海棠先生の方を見る。彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべていて、俺の反応を楽しみにしているようだった。俺は、猫背だった姿勢を正し、背もたれに身体を預けた。

「ただ気になっただけです。気にしないでください」

 秋海棠先生は、机の上の書類を軽く叩く。そしてクスッと笑う。彼女は、椅子を少しこちらに寄せて近付いて来る。彼女とは、ただの同僚だ。恋愛対象ではない。それなのに、どうして大恋愛してますかなんて聞いてしまったんだろう。彼女は少し顔を近づけて来る。

「もしかして、東雲先生は、私の事」

「...っ」


 一瞬、時間が止まった気がした。秋海棠先生の事は、恋愛対象だとして見た事がなかった。心の奥底、本当は...。彼女は、意地悪な表情から、悪戯が成功した少女のような無邪気な笑顔になる。

「なーんちゃってー、冗談でしたー」

 彼女の明るい声が静かな職員室の空気を破る。秋海棠先生にドキッとさせられたのは事実だった。彼女は、椅子から立ち上がり、職員室の扉の方に歩いて行く。すると、俺の右後ろに来た時に、立ち止まった。俺は、首をかしげる。


「...どうかされましたか、秋海棠先生」

 彼女は振り返らずに、俺の背を向けたまま言う。

「...しっかり最後には答え出してくださいね」

 そう言い残し、職員室から去っていってしまった。彼女の声は、いつもの元気な彼女とは思えないような落ち着いた声だった。確かに、俺は優柔不断なところがある。決めなければならない時が来たら決めるしかない。俺はもう一度視線を名簿に戻す。桜庭春斗。やはり、彼女の子で俺の...。



***

 桜庭春斗。本当に俺の子なのか確かめたい。。そして、その母親が小春なのかも確かめたい。教室前の窓の外は、ピンク色の絨毯が一面に広がっている。可愛らしいピンクの花が咲き乱れる木の下で俺達はよく語り合った事を思い出す。

「あの、すみません」

 廊下の窓から外に広がる世界をを見ていたら、保護者から声をかけられた。懐かしい声だと思い振り返ると、元恋人だった桜庭小春がそこにはいた。最後に会った時よりも、少し大人びていたが、やはり彼女なんだと胸が高鳴った。

「小春...」

 名前を呼んでしまった。だが、すぐに現実に戻される。教師と保護者という立場なのだと。

「いや、なんでしょうか、春斗君のお母さん」

 一瞬、彼女が悲しい顔になった気がした。やはり、彼女も俺に未練があるのか。あれば嬉しいんだ。今後はどうなるかはわからないが。

「ママぁ、おトイレー」

 元気な子供の声で俺は、教師として仕事しなければならないことを思い出した。過去のことや恋愛の事は、二の次だ。今一番大切な事は、1年1組の担任としての東雲結斗だ。桜庭さんの息子は、元気にお母さんの服を引っ張っている。

「そ、そうだったね。結斗...、東雲先生、春斗がお手洗いに行きたいと言ってまして、どこにありますか」

 彼女は一瞬、俺の事を東雲としてではなく、結斗と呼んだ。やはり、俺の事を忘れていなかった。少し安堵した。

「お手洗いは、この廊下をまっすぐ行って突き当たりを右に行けば、お手洗いのマークが見えてきますので、そこにあります」

「あ、ありがとう...ございます。いくよ、春斗」

 桜庭さんは、息子の手を引っ張って急いでお手洗いへと向かって行った。元気に成長してくれたあの子の笑顔を見て、少し心が痛んだ。もし、あの時俺が教員という夢を諦めて、小春と一緒にいたら、3人で手を繋ぐ未来があったのかと。2人が廊下の角を曲がり、姿が見えなくなるとまた視線を窓の外に戻す。俺たちはまだ終わっていないのか。考えるだけ虚しい。

「東雲先生」

「うわわ、うぉ...秋海棠先生でしたか」

 いつの間にか秋海棠先生が目の前にいる事に気が付かず、驚いてしまった。秋海棠先生は、悪戯が成功したようで嬉しそうな顔だった。すると、秋海棠先生は、俺のネクタイに手を差し伸べてきた。

「少し、ネクタイが曲がってます。入学式なんですから」

「だ、大丈夫です。自分で直しますから」

「気にしないでください」

 俺の言葉に耳を傾けずに、彼女の指は俺のネクタイに触れ、軽く整える。俺はちょっと緊張してしまう。女性にネクタイを直してもらうのなんて何年振りなのだろうか。

「おいおい、東雲先生と、詩織先生ってそんな関係なんすか」

「揶揄わないでください、飛竜(ひりゅう)先生」

 俺達を揶揄ってきたのは、1年3組の担任となった脳筋教師。飛竜雄大(ゆうだい)先生だ。めちゃくちゃ熱すぎる教師と生徒達には言われている。飛竜先生は、ニヤニヤしながら人差し指で俺の左肩を突く。

「東雲先生には、やっぱ詩織先生がいねえとなぁ」

「静かにして、2人とも」

「はい」

 秋海棠先生に怒られてしまい。俺達の声は重なる。巻き添いを食らってしまった。秋海棠先生の手は、俺のネクタイから離れる。さっきよりも綺麗に整えられていた。

「よし、これで完璧ね。改めて今日から、1年の担任同士仲良くしましょうね」

 
 秋海棠先生の明るい声に合わせ、3人で拳を合わせる。すると、背後から声がした。

「待ってくださいよー、私の存在忘れないでくださいよ」

「あ、ごめんなさい。(あざみ)先生」

 秋海棠先生が謝ると、俺と秋海棠先生の間に入ってくる。福寿草(ふくじゅそう)薊先生。1年生の学年主任を任された先生だ。薊先生の左手の薬指には、指輪が輝いている。薊先生は、俺たち3人よりも何倍に勉強を教えるのが上手く、生徒達からも慕われている。俺達も悩み事があったら薊先生に相談をする。

「東雲先生、詩織先生、飛竜先生。今年1年を生徒達にとって素敵な1年にしますよ」

 薊先生の言葉に合わせ、4人で拳を合わせる。素敵な1年の始まりにふさわしい朝となった。
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