溺れるほど甘い、でも狂った溺愛
「……わたしが、ですか?」
「そう。無理はしなくていい。でも、あのマドレーヌを食べて思ったんだ。きっともう一度、ちゃんと“作れる”って」
旦那さんの声は、穏やかで、まっすぐだった。
オーブンの音が、どこか遠くで鳴っている。
その響きが、心の奥を静かに揺らした。
「……やってみたいです」
口にしてから、自分でも驚いた。
けれど、その言葉は不思議とすんなり出た。
旦那さんが笑う。
「よし。じゃあ、今日から少しずつ練習だな」
そう言って、彼は真白に小さなレシピノートを差し出した。
角がすり切れて、ところどころに粉の跡が残っている。
「これは、うちでずっと使ってきたレシピ帳。基本は全部ここにある。まずは、手を慣らそう」
ページをめくると、文字と一緒に、
ところどころに温かい笑顔の落書きが描かれていた。
(……懐かしい)
この感覚。
厨房の空気の匂い、混ぜる音、粉の舞う光。
ずっと閉じ込めていたものが、少しずつ息を吹き返す。