『青い春の迷い星(ステラ)』 ~10歳年上の幼馴染は、一番遠い婚約者~

第十五章:壊れる仮面と、蓮の不完全な告白

神崎からの真実を聞いて以来、柚月の中で蓮に対する感情は、憎悪から深い後悔と切ない理解へと変化していた。彼女は、これまでの蓮の行動を全て愛のない支配だと決めつけ、彼の孤独な愛を拒絶し続けていた自分を責めた。
(蓮さまは、私を守ろうとしていたのに。私が、一番傷つけていた……)

柚月は、自分の嘘の愛を突きつけ、「愛のない夫はいらない」と断言した時の、蓮の苦痛に歪んだ一瞬の表情を思い出した。それは、柚月の心に突き刺さる、蓮の報われない愛の証拠だった。

翌日。柚月は、意を決して、蓮に会うために二階堂グループの本社ビルを訪れた。秘書である神崎に、「アポイントメントなしで構わない」とだけ伝え、柚月は蓮の執務室の前に立った。

扉を開けると、蓮はデスクに背を向け、窓の外の景色を静かに見つめていた。彼の背中は、いつも通り完璧な御曹司のそれだったが、柚月には、その背中に重い孤独が張り付いているのが見えた。

「蓮さま」
柚月は、静かに、しかし、決意の滲んだ声で名を呼んだ。

蓮は、ゆっくりと振り返った。柚月が、アポイントなしで、しかも自らの意志で訪れるのは初めてのことだ。彼の冷徹な瞳に、わずかな動揺が走った。
「柚月。どうした。何か急用か」

蓮の声は、すぐに冷たい仮面に戻った。彼は、柚月の従順な態度が、「結城への愛の終わり」によるものだと信じている。だからこそ、彼は、柚月の前で「完璧な支配者」を演じ続けなければならないのだ。

「蓮さま。わたくし、お話ししたいことがございます」
柚月は、一歩、蓮に近づいた。
「わたくしは、蓮さまのことを誤解していました。あなたの説教や支配は、わたくしへの愛情の裏返しだったのですね」

柚月の言葉に、蓮の冷たい仮面が、初めて音を立てて崩壊した。
彼の瞳は大きく開き、一瞬、呼吸を忘れたように固まった。蓮は、自分が最も隠し続けたかった真実が、柚月に届いていたことに、動揺と同時に、深い恐怖を感じた。

(なぜ、それを知っている?神崎が……余計なことを!)
蓮は、すぐに感情を否定しようと、冷静さを装った。
「何を馬鹿なことを言っている。私は、君に私情など抱いていない。全ては、二階堂グループと一条家の提携というビジネスの論理だ。君が勝手に感傷的な解釈をするのは、止めてくれ」

蓮の否定の言葉は、彼の揺れる瞳とわずかに震える声とは、全く相反していた。彼は、愛を語るのが怖いのだ。
柚月は、蓮の不器用な自己否定を見て、胸が締め付けられるのを感じた。

「違います。わたくしは、もう騙されません。蓮さまは、わたくしを孤独や失敗から守ろうとして、ご自身の愛を歪ませてしまったのですね」

柚月は、勇気を振り絞り、蓮の硬く握られた拳に、そっと自分の手を重ねた。
「わたくし、嘘をついていました。わたくしが『愛する人』として蓮さまに突きつけた結城先輩は、既に別のフィアンセがいました。わたくしは、ただ、縁談を断るための理由が欲しかっただけです」

柚月の「嘘の告白」は、蓮にとって二重の衝撃だった。
柚月の愛が本物ではなかったこと。
柚月が、自分との婚約を拒否するために、そこまで必死な嘘をついていたという事実。

蓮は、柚月の手から手を引き抜き、一歩後ずさりした。彼の顔は、羞恥と苦痛に満ちている。
「君は……私との婚約を破棄するために、そこまで卑劣な手段を使ったのか」

蓮の言葉は、柚月の行動への失望ではなく、**「私といることが、君にとってそこまで苦痛だったのか」**という、深い悲しみを含んでいた。

柚月は、その悲しみを理解し、涙を浮かべた。
「ごめんなさい、蓮さま。わたくしは、愛のない冷たい男だと決めつけ、あなたを深く傷つけました。わたくしが、一番愛のない人間でした」

柚月は、蓮の真の孤独を悟ったからこそ、心から謝罪した。
蓮は、柚月の懺悔の涙を見て、心が激しく揺さぶられた。彼が恐れていたのは、柚月に愛のない男だと断罪され、孤独な自分をさらけ出すことだった。

しかし、柚月は、真実を知った上で、蓮を許し、理解しようとしてくれた。
蓮は、胸に込み上げる衝動を抑えきれなかった。彼は、冷徹な仮面を完全に脱ぎ捨て、柚月に不完全な告白をした。
「柚月」

蓮は、柚月の両肩を掴んだ。その瞳は、涙を堪えるように、切実な光を帯びていた。
「君が私を憎んでも、支配しても、構わなかった。君があの男を愛していても、構わなかった」

蓮は、深い息を吐き、言葉を選びながら、震える声で続けた。
「私は、君を誰にも渡したくなかった。君が私の隣にいて、安全でさえあれば、それでよかった」
彼は、愛しているという言葉を、最後まで口にできなかった。それは、彼にとって弱点を認めることと同じだったからだ。

「君の幸せは、私が全て作り出す。君が私を愛さなくても、君の居場所は、この先、永遠に私のもとにある」
蓮の言葉は、愛と支配欲、そして孤独な決意が入り混じった、歪んだ告白だった。

(君を愛しているから、私を愛さなくてもいい。ただ、私の守る範囲にいてくれ)
柚月は、その言葉の中に、蓮の不器用で切ない愛の全てを聞き取った。
「蓮さま……」
柚月の瞳には、もう憎しみも絶望もない。あるのは、蓮の孤独への切ない同情と、彼に真の愛を与えたいという新しい感情だった。

二人の間の誤解の氷は、完全に解けた。だが、蓮の歪んだ愛の告白は、二人の関係を愛し合う恋人ではなく、「孤独な守護者」と報いたい従順な婚約者という、新たな形へと導いたのだった。
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