『青い春の迷い星(ステラ)』 ~10歳年上の幼馴染は、一番遠い婚約者~
第十六章:孤独な御曹司の背中と、初めての献身
蓮の執務室での、不完全ながらも切実な告白以来、二人の婚約者の関係は質的に変化した。
柚月は、蓮に対する憎悪の仮面を捨てた。代わりに彼女が身に纏ったのは、蓮の孤独を理解した上での、静かな従順さだった。
蓮の指示は以前と変わらない。生活の全ては管理され、行動は監視される。しかし、柚月はもう反発しない。
ある日、蓮は柚月が反発しないことに戸惑い、珍しく問いかけた。
「柚月。君は、私に屈したということか」
柚月は、正面から蓮を見つめた。その瞳には、以前のような冷たい反抗の色はなかった。
「違います、蓮さま。わたくしは、蓮さまが冷酷な支配者ではないと知りました。あなたの支配は、わたくしを守るための、不器用な愛の形だったのですね」
蓮は、その言葉に再び硬直した。柚月が真実を理解している。それは、蓮にとって最大の安堵であると同時に、最大の恐怖でもあった。柚月の純粋な理解に触れることが、彼の感情の弱点を晒すことになるからだ。
「……私の言葉を、感傷的に解釈するのは止めろ」
蓮は、いつもの冷たい仮面を張り直した。
「わたくしは、蓮さまを憎むことを止めました。これからは、あなたの守る世界の中で生きます」
柚月は、結城先輩との嘘の愛を突きつけた罪滅ぼしとして、蓮の孤独を癒すこと、そして、彼が作った不自由な安全な世界を、愛のある居場所に変えることを、心の中で強く誓った。
柚月は、自ら蓮のビジネスの世界に飛び込むことを選んだ。
彼女は、蓮が提案した海外研修に向けて、猛勉強を開始した。蓮は、柚月の突然の真剣さに戸惑いながらも、彼女の努力を冷徹な視線で評価した。
「経営学の基礎は、神崎に教わるといい。君の理解力は、令嬢の役割としては合格点だ」
それは、蓮にとって最大限の褒め言葉だったが、柚月はもう反発しなかった。彼女は、蓮の不器用な愛情を理解している。
柚月は、神崎を介して、蓮の多忙さと孤独な日常を知るようになった。蓮の食事は、ほとんどが執務室での簡単なもの。睡眠時間は短く、常に二階堂グループという重責を一人で背負っていた。
(蓮さまは、誰も頼れない。誰にも弱みを見せない人生を、ずっと一人で送ってきたのね)
ある日の深夜。二階堂邸の書斎は、まだ煌々と明かりが灯っていた。柚月は、そっとキッチンに立ち、温かいハーブティーを淹れた。
柚月は、カップを乗せたトレイを手に、蓮の執務室の扉をノックした。
「蓮さま。夜分に失礼いたします」
蓮は、山積みの書類から顔を上げ、驚きの色を浮かべた。彼の目元には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。
「柚月か。何か用か。もう寝ろ」蓮の声は、疲弊している。
「少し、お休みになってください。温かいハーブティーを淹れました」
柚月は、デスクの脇にカップを置いた。それは、これまで柚月が蓮に対して行ってきた反抗や皮肉とは全く違う、純粋な献身の行動だった。
蓮は、カップを見つめたまま、微動だにしない。柚月は、さらに一歩踏み込んだ。
「蓮さま。少し、お疲れのようです。わたくしにできることがあれば、なんでも……」
柚月は、蓮の背後の椅子に回り込み、彼の硬く凝り固まった肩に、そっと手を伸ばした。
蓮の体が、激しく硬直した。
柚月からの物理的な接触は、あの慈善パーティ以来だ。そして、今回、それは敵意や挑発ではなく、純粋な気遣いから来るものだった。
柚月は、優しく、しかし確実に、彼の筋肉の緊張をほぐしていく。彼女の指先から伝わる温もりは、蓮が長年閉ざしてきた感情の扉を、少しずつ溶かしていくようだった。
「……何を、している」蓮の声は、低く、掠れていた。
「肩が、ずいぶん凝っていらっしゃいます。これでは、お休みになっても疲れが取れません」
柚月の手の動きは止めない。その献身的な優しさが、蓮の冷徹な仮面を維持する力を奪っていった。
蓮は、目を閉じ、無防備にその温もりを受け入れた。彼は、生まれてこの方、誰からも疲れているから休めと、純粋な優しさを向けられたことがなかった。常に、「二階堂の顔として休むな」という期待だけだった。
「柚月……」
蓮は、柚月の手首を掴み、その手を肩から引き離した。
彼は、椅子を回し、柚月を真正面から見つめた。その瞳は、感謝、戸惑い、そして深い愛に満ちていた。
「君は……私を哀れんでいるのか」
蓮は、柚月の優しさが、自分の孤独への同情から来ているのではないか、と恐れた。
柚月は、蓮の切実な問いに、強く首を横に振った。
「違います。わたくしは、蓮さまの孤独を知り、あなたを一人にしないと決めたのです。これは、わたくしの意志です」
柚月の澄んだ瞳と、嘘偽りのない言葉が、蓮の心の奥底に響いた。
蓮は、柚月の頬にそっと手を伸ばした。その指先は、もう支配の熱ではなく、戸惑うほどの優しさを帯びていた。
「ありがとう、柚月」
蓮は、初めて、自分の心の弱さを柚月に受け入れさせた。そして、柚月は、初めて、愛を隠さない蓮の素顔に触れた。
二人の間には、「支配」と「憎悪」に代わる、「理解」と「献身」という、新たな愛の形が、静かに、しかし、確実に根付き始めていた。
柚月は、蓮に対する憎悪の仮面を捨てた。代わりに彼女が身に纏ったのは、蓮の孤独を理解した上での、静かな従順さだった。
蓮の指示は以前と変わらない。生活の全ては管理され、行動は監視される。しかし、柚月はもう反発しない。
ある日、蓮は柚月が反発しないことに戸惑い、珍しく問いかけた。
「柚月。君は、私に屈したということか」
柚月は、正面から蓮を見つめた。その瞳には、以前のような冷たい反抗の色はなかった。
「違います、蓮さま。わたくしは、蓮さまが冷酷な支配者ではないと知りました。あなたの支配は、わたくしを守るための、不器用な愛の形だったのですね」
蓮は、その言葉に再び硬直した。柚月が真実を理解している。それは、蓮にとって最大の安堵であると同時に、最大の恐怖でもあった。柚月の純粋な理解に触れることが、彼の感情の弱点を晒すことになるからだ。
「……私の言葉を、感傷的に解釈するのは止めろ」
蓮は、いつもの冷たい仮面を張り直した。
「わたくしは、蓮さまを憎むことを止めました。これからは、あなたの守る世界の中で生きます」
柚月は、結城先輩との嘘の愛を突きつけた罪滅ぼしとして、蓮の孤独を癒すこと、そして、彼が作った不自由な安全な世界を、愛のある居場所に変えることを、心の中で強く誓った。
柚月は、自ら蓮のビジネスの世界に飛び込むことを選んだ。
彼女は、蓮が提案した海外研修に向けて、猛勉強を開始した。蓮は、柚月の突然の真剣さに戸惑いながらも、彼女の努力を冷徹な視線で評価した。
「経営学の基礎は、神崎に教わるといい。君の理解力は、令嬢の役割としては合格点だ」
それは、蓮にとって最大限の褒め言葉だったが、柚月はもう反発しなかった。彼女は、蓮の不器用な愛情を理解している。
柚月は、神崎を介して、蓮の多忙さと孤独な日常を知るようになった。蓮の食事は、ほとんどが執務室での簡単なもの。睡眠時間は短く、常に二階堂グループという重責を一人で背負っていた。
(蓮さまは、誰も頼れない。誰にも弱みを見せない人生を、ずっと一人で送ってきたのね)
ある日の深夜。二階堂邸の書斎は、まだ煌々と明かりが灯っていた。柚月は、そっとキッチンに立ち、温かいハーブティーを淹れた。
柚月は、カップを乗せたトレイを手に、蓮の執務室の扉をノックした。
「蓮さま。夜分に失礼いたします」
蓮は、山積みの書類から顔を上げ、驚きの色を浮かべた。彼の目元には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。
「柚月か。何か用か。もう寝ろ」蓮の声は、疲弊している。
「少し、お休みになってください。温かいハーブティーを淹れました」
柚月は、デスクの脇にカップを置いた。それは、これまで柚月が蓮に対して行ってきた反抗や皮肉とは全く違う、純粋な献身の行動だった。
蓮は、カップを見つめたまま、微動だにしない。柚月は、さらに一歩踏み込んだ。
「蓮さま。少し、お疲れのようです。わたくしにできることがあれば、なんでも……」
柚月は、蓮の背後の椅子に回り込み、彼の硬く凝り固まった肩に、そっと手を伸ばした。
蓮の体が、激しく硬直した。
柚月からの物理的な接触は、あの慈善パーティ以来だ。そして、今回、それは敵意や挑発ではなく、純粋な気遣いから来るものだった。
柚月は、優しく、しかし確実に、彼の筋肉の緊張をほぐしていく。彼女の指先から伝わる温もりは、蓮が長年閉ざしてきた感情の扉を、少しずつ溶かしていくようだった。
「……何を、している」蓮の声は、低く、掠れていた。
「肩が、ずいぶん凝っていらっしゃいます。これでは、お休みになっても疲れが取れません」
柚月の手の動きは止めない。その献身的な優しさが、蓮の冷徹な仮面を維持する力を奪っていった。
蓮は、目を閉じ、無防備にその温もりを受け入れた。彼は、生まれてこの方、誰からも疲れているから休めと、純粋な優しさを向けられたことがなかった。常に、「二階堂の顔として休むな」という期待だけだった。
「柚月……」
蓮は、柚月の手首を掴み、その手を肩から引き離した。
彼は、椅子を回し、柚月を真正面から見つめた。その瞳は、感謝、戸惑い、そして深い愛に満ちていた。
「君は……私を哀れんでいるのか」
蓮は、柚月の優しさが、自分の孤独への同情から来ているのではないか、と恐れた。
柚月は、蓮の切実な問いに、強く首を横に振った。
「違います。わたくしは、蓮さまの孤独を知り、あなたを一人にしないと決めたのです。これは、わたくしの意志です」
柚月の澄んだ瞳と、嘘偽りのない言葉が、蓮の心の奥底に響いた。
蓮は、柚月の頬にそっと手を伸ばした。その指先は、もう支配の熱ではなく、戸惑うほどの優しさを帯びていた。
「ありがとう、柚月」
蓮は、初めて、自分の心の弱さを柚月に受け入れさせた。そして、柚月は、初めて、愛を隠さない蓮の素顔に触れた。
二人の間には、「支配」と「憎悪」に代わる、「理解」と「献身」という、新たな愛の形が、静かに、しかし、確実に根付き始めていた。