完璧な嘘、本当の愛

疑惑と揺らぐアイデンティティ

その夜。春菜は一人、アパートで考える。
完璧だと思っていた人が、実は何かを隠しているという事実。そして、その事実が自分自身を揺さぶる理由。
なぜなら、春菜自身も隠れた偽りの人生を歩んでいるから。
親の期待の下で、本当の自分を隠してきた。その隠れた自分が、遠島の秘密と共鳴する。
ベッドに横たわる春菜。天井を見つめる。その同じ天井。毎日、同じ天井。
遠島は何を隠しているのか。S.M.F児童養護施設への月25万円の寄付。その理由は何か。隠し子の存在か。それとも、別の秘密か。
春菜の心は揺れ続ける。付き合うべきか。別れるべきか。真実を知るべきか。知らないふりをすべきか。
その問いの答えを、春菜は持っていない。
翌日。会社。
春菜は、デスクの前で書類を見つめているが、内容が頭に入らない。遠島との出会いがあった時計ブランド「ロイジェン」との企画についての資料。その企画で、彼と出会った。完璧な外見。完璧な知識。そして、隠された秘密。
その隠された秘密が、春菜を揺さぶり続ける。
昼休み。春菜は同僚と一緒に食堂へ向かう。会話は業務の進捗や企画の方向性といった仕事中心の話題に限られている。同僚たちとは友好的だが、プライベートなことまで踏み込む関係ではない。職場での立場を保ちながら、適切な距離を保っている。
でも、その完璧さが、ほぼ自動的に出ている自分に気づく。親が望む完璧さ。会社が望む完璧さ。そして、遠島に見せるための完璧さ。
本当の自分は、どこにいるのだろう。
帰宅後。親に電話をする。父が電話に出た。
「今日の仕事は?」という定型的な質問。「順調です」という定型的な返答。父の機嫌を伺いながら、春菜は返事をしている。
その会話の中で、春菜は気づく。この会話も、これまで何千回と繰り返されてきた。同じ言葉。同じトーン。同じ距離感。
「遠島さんのこと、どう思いますか?」と春菜は聞きたくなる。だが、声に出さない。親には言えない。親に知られれば、期待の枠が変わる。親の支配が新たな形で始まる。
電話を切った後、春菜は鏡を見つめた。そこに映るのは、誰なのか。
完璧に整えられた髪。完璧な化粧。完璧なスーツ。その全てが、自分ではなく、親が望む「娘」という役割ではないか。
遠島も、また何か自分ではない何かを演じているのではないか。
その思いが、春菜の心に深く根付く。
スマートフォンが鳴る。遠島からのメール。「明日、会えますか?」
春菜は返信を迷う。会うべきか。会わないべきか。
結局、春菜は返信する。「はい」。
その一文を送信した後、春菜は自分の手を見つめた。
自分の意志で選んでいるのか。それとも、また親が望む選択をしているのか。
その区別が、もう、春菜にはわからなくなっていた。
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