メリーでハッピーなトゥルーエンドを

「ああ、ごめん……。ぼーっとしちゃって」

「まったく、寝ぼけてるの? ほら、今日は忘れないでね」

 苦笑をたたえて誤魔化しながら、差し出されたランチバッグを受け取ろうと手を伸ばす。

 その瞬間、つきん、と胸に鋭い痛みが走った。

「……っ」

 心臓なのか肺なのかよく分からないけれど、身体の内側を突き刺してきた痛みは、次第に鈍く重くのしかかってくるそれに変わった。
 何もしていないのに息が切れる。

 胸のあたりを押さえたまま、たまらず顔を歪めると、ぽたりと床に赤い点が落ちた。
 つ、と鼻から垂れて点々が増える。

「ちょっと……どうしたの? 鼻血?」

「いや……本当、どうしたんだろう。急に」

 強がる余裕もなく、一緒になって困惑してしまう。
 苦く笑いながら鼻を押さえてとっさに上向くと、慌ててティッシュを取りに行った玲が戻ってきた。

「上向いちゃだめ。ほら、これで押さえて下向いて」

 頼れる玲に言われるがままそうすると、いつの間にか胸の痛みがおさまっていることに気がつく。

 床の血を拭いてくれる玲を眺めていたら、何となく“昨日”のことが蘇ってきた。
 広がる血溜まりがフラッシュバックする。

 そのすべての光景を、眩しい光が焼き尽くしていった。

 ────ただ……忘れないで。わたしはあなたの味方じゃない。

 ふいに耳の奥で真白さんの声が響く。

 ────薔薇を失うほど、あなたの身体は(むしば)まれていく。

 はっとしてポケットに手を入れた。
 いつの間にか戻ってきていた砂時計の青い薔薇は、5輪あったはずが4輪になっている。

 腑に落ちた。
 この唐突な痛みも鼻血も、巻き戻したことによる代償なんだ。

 砂時計をひっくり返せば、その都度、薔薇が1輪ずつ枯れていく。

 時間を巻き戻せるのは薔薇が咲いている限り。
 枯れるたび、俺自身の身体はこうして弱っていくわけだ。

(もし、ぜんぶ枯れたら……?)

 負荷に耐えきれなくなって死んでしまうのかもしれない。
 ぞっとしたけれど、それならそれで構わなかった。

 タイムリープの回数を使いきるということは、そこで待っているのは玲を失った世界。
 やり直しの効かないバッドエンドのその先を、ひとり生き永らえても仕方ない。

 これは、代償というより“罰”だ。

 俺が砂時計を使うのは、玲を失ったときだけ。
 だから、この苦痛は玲を救えなかった俺に課せられる(しか)るべき罰でしかない。

「……ごめん」
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