真っ黒な先輩の溺愛なんて想定外です〜完璧な先輩に私の隠しごとがバレました〜

私たちだけの秘密


 季節は変わって、十二月になった。
 街は煌びやかなイルミネーションで彩られ、そこかしこでクリスマスソングが流れ始めている。息が白くなるたびに冬の訪れを感じた。

 今でも、先輩との不思議な関係も続いている。
 これまでに三度ほど、先輩の家でもやを祓った。最初は公園やオフィスの一角でもいいと思っていたけれど、祓ったあとは、いつも強い眠気に襲われてしまう。あの日の公園も、そうだった。それに気を使ってくれた先輩が「家でいい」と言ってくれたのだ。
 祓い終えたあとの、力が抜けたように微笑む先輩の顔を見るたびに胸が温かくなった。先輩の力になれているのが嬉しくて、ほんの少し誇らしい。
 
 それと──私は、先輩のことが好きになっていた。入社当時の遠くから見ているだけの“憧れ“とは違う。先輩の弱さをつらさを知って、優しさやふいに見せる無邪気な笑顔に触れて。気づいたときには、もう好きになっていた。
 言ったらこの関係も終わってしまいそうで、先輩にはとても言えないけれど。それでも、職場のみんなには秘密というこの関係は特別に思えた。

 そして今日、日曜日の昼下がり。
 四度目の先輩の家──。

「……ん」
「起きたか」
「はい……私、どのくらい寝てました?」
「三十分くらい」

 ソファからむくりと身体を起こす。いつもの力を使ったあとの眠気に襲われて、まだ少し頭がぼんやりしていた。
 さすがにベッドを使うのは申し訳なく、眠るときはいつもこのソファを借りている。

「今日はホットココアにしてみた」
「ありがとうございます、いただきます」

 手渡されたマグカップから立ち上る甘い香りに、少し気持ちが落ち着く。隣に座った先輩は、いつも通りブラックコーヒーを口に運んでいた。
 
「なんか、冬って感じですね」
「だな」
 
 厚手のセーターを着ている先輩と手に伝わるマグカップの温かさ、それとココアのやさしい甘さにほっとする。先輩の隣にいるだけで、少しだけ冬の穏やかな時間を感じられる気がした。
 
「これからクリスマスがきて、あっという間にお正月で……あ、その前に忘年会も。冬はイベントがいっぱいですよね」

 私は指折りながら、この先のイベントを思い描いた。
 特にクリスマス。今年は平日だし、夜の予定だってない。でも正直言えば、先輩と一緒に過ごせたら──なんて淡い期待を抱いたりしてしまった。
 イルミネーションに照らされた街を歩いたり、こうして隣で笑ったりする姿を思い浮かべるだけで、少しだけ頬がゆるむ。
 
 そんなふうに(うつつ)を抜かしていた私に、先輩は仕事モードの口調で「忘年会といえば……」と話を切り出した。

「お前、もう人前で酒は飲むなよ」
「……ですね」

 私はあははと苦笑いをこぼした。酔った勢いで、また突拍子もないことをしてしまわないようにと気を引き締める。
 社内での居場所を守るため、そして、誰からも気味悪がられないため──もう同じ失敗はできなかった。

「気をつけます」

 笑いながら誤魔化すように言ったけれど、先輩は私の言葉に笑い返すこともなく、じっとこちらを見つめていた。
 その視線に息を呑んだ瞬間、低い声が落ちる。

「お前のことは、俺だけが知ってればいい」

 真剣な眼差しに射抜かれて、鼓動が一拍遅れて全身に鳴り響いた。今まで見たことのない凛々しい表情に、息をするのも忘れてしまう。
 その瞳を見つめ返すことができなくて、何か言わなきゃと焦るように口を開いた。
 
「だっ、大丈夫ですっ。もう失態はしませんし、先輩にも迷惑かけませんからっ。それに社内で変な噂が立っても先輩が困るだけですし、私も先輩のことは……」

 勢いのままに手を振って言い訳を並べていたら、その手を先輩に掴まれた。大きくて、骨張ってて──男の人の手だと意識せずにはいられない。
 そう思ったのも束の間、先輩は握った私の手首をぐいっと引き寄せた。息が触れそうな距離に、心臓だけが大きく跳ねる。
 
「……そういう意味じゃないって、わかる?」

 さっきよりも低い声に、鋭いくらいまっすぐな瞳。
 距離が近いとか、先輩の顔が目の前にあるとか、そういうことを考える余裕なんてなくて。

 ──どっ……ど、どういう意味……!?

 とにかく顔中が熱くて、その熱に溶けるように思考も(とろ)けしまい、頭の中はもう真っ白。
 先輩は少し間を置いて、私の手を握ったまま息を整えるように深く吸い込む。そして、どこか思い詰めたような瞳で私を見つめて、おもむろに口を開いた。
 
「七瀬……俺さ……」

 そう呟いた声が途切れた瞬間──ピンポンと軽快な音が部屋に響いた。
 びくりと肩を震わせたのは私だけじゃなかったようだ。先輩もはっとしたように私から手を離した。

「……宅配便、指定してたの忘れてた」
「そっ、そうだったんですか! 無事に届いてよかったですねっ」

 自分でも変な返しただとは思う。でも、それ以外の言葉が瞬時に見つかりそうになかった。
 ソファから離れた先輩が玄関へ向かう足音を聞きながら、私は胸に手を当てる。心臓の音がうるさすぎて、落ち着かせようと何度も深呼吸をした。
 やがて、荷物を受け取った先輩が戻ってくる。目を合わせることもなく、気まずそうにしながらソファに座り直した。

「驚かせて、ごめん」
「とんでもない、です」

 そして、気まずい沈黙。何か言ったほうがいいとわかっていても、その“何か“が一文字も浮かばない。
 息を呑むような静けさの中、先に口を開いたのは先輩だった。

「今日も、ありがとな」
「え?」
「七瀬のおかけで、不眠症もだいぶ良くなった。感謝してる」
「そんな! 先輩のお役に立ててるなら、私も嬉しいです」

 先輩は少しだけ微笑んで、気まずさを紛らわすように立ち上がった。
 
「どっか甘いものでも食べに行くか」
「……はいっ」

 外は冷たい風が吹いていたけれど、不思議と寒さを感じない。先輩と肩を並べて歩くその距離が、少しだけ縮まったような気がした。
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