真っ黒な先輩の溺愛なんて想定外です〜完璧な先輩に私の隠しごとがバレました〜

「七瀬は酒飲めないから」

 聞き慣れた声。
 顔を上げると、そこにはわずかに息を切らした先輩が立っていた。渡辺さんの動きを止めるかのように、がっちりと彼の手首を掴んでいる。

「か、筧先輩……! すごい偶然ですね!」

 突然の出来事に唖然としている私の代わりに、渡辺さんが慌てた様子で先輩に話しかけた。彼の手首から手を放した先輩は、睨みつけるように渡辺さんを見下ろしている。

「忘年会の下見、ねえ。お前、自分が何してるかわかってる?」

 外の空気よりも冷たい口調。渡辺さんの顔がわずかに青ざめ、手のひらを振り回しながら弁解するように必死に言葉を並べた。
 
「あ、いや、七瀬さんも飲みたいかなって思っただけで。ほんと、単純にそれだけですよ? ……あっ! 俺、このあとダチとゲームする約束してたし、そろそろ帰ろうかなあ、なんて」

 あははと無理やり愛想笑いを作った渡辺さんを、先輩は鋭い目つきで一瞥(いちべつ)する。はあ、と深く息を吐いてから私のほうを向き、低く短い声で言った。
 
「七瀬、帰るぞ」
「……えっ、あ、ご馳走様でした」

 手を取られ、よくわからないまま店の外へ連れ出される。力強い腕に引っ張られて、渡辺さんにはその言葉しか残せなかった。

 *

 気づいたら、先輩の部屋のソファに座っていた。
 見慣れてきた照明の明かり、掛けられたコート、ソファの感触。全部、いつもの光景のはずなのに──今夜は、少しだけ違って見えた。

「ごめん、ちょっと無理やりだった」

 そう言って、先輩はココアの入ったマグカップを手渡してくる。
 
「いえ……あのままだったら、お酒飲んじゃってたかもしれませんし……ありがとうございます」

 カップを両手で包むと、痺れるくらいの温かさが指先に広がった。
 二人で並んで座るソファ。静かな先輩の横顔が、以前ソファで起きた出来事を思い出させる。

“──そういう意味じゃないって、わかる?”

 真剣な瞳と、握られた手のひらの感覚が鮮明に浮かんで、ぼんっと一気に顔が熱くなった。
 沈黙がやけに近くて、こちらの息遣いまで聞かれてしまいそう。誤魔化すようにココアをひと口含んで、気まずい空気を破るように私は先輩に訊ねた。
 
「あの……先輩は、どうしてあのお店に?」

 先輩はまっすぐこちらを見たまま、ほんの少しだけ息を整えるように間を置いた。
 
「七瀬を、守りたかったから」

 熱いくらいの視線に、とくんと心臓が跳ねる。その言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。
 
「私を……守る?」

 問い返すと、先輩はわずかに眉を寄せた。
 
「お前さ、渡辺の下心、気づいてた?」
「しっ、下心!?」
「やっぱり、気づいてないか」

 先輩は小さく息を吐く。その声音には苛立ちと、どうしようもない優しさが混じっていた。

「忘年会の下見なんて必要ない。幹事は他にいるし、店はいつも同じ店を使っている。渡辺の嘘だ」
「嘘……」
「酔ったお前をどうするかなんて……考えなくてもわかる」

 低く落ちた声が、現実を突きつけた。
 あのまま先輩が来てくれなかったら、私は──。思わず身震いする。その先なんて、考えたくもなかった。

「そう、だったんですね……助けてくれて、ありがとうございます」

 私は深く頭を下げた。

「でも……今日のこと、どうして知ってたんですか? お店だって……たまたまですか?」

 下見するなんて嘘を、ましてや下心のある人が誰かに言うとは思えない。それが先輩にだなんて、尚更だ。
 お店だってそう。もしかして先輩は、一軒一軒見て回ってきたのだろうか。
 
 疑問を投げかけても、先輩はしばらく何も言わなかった。テーブルに置いたマグカップに視線を落としたまま、どこか遠くを見るような目をしている。

「……たまたまじゃない」

 膝の上で両手を強く握った先輩は、意を決したように口を開いた。
 
「俺は、人の心が読めるんだ」

 いつも以上に低くて、重たい響き。
 冗談や嘘や、からかいじゃない。先輩はそんなことふざけて言わないし、なりより彼の瞳には──深い孤独が浮かんでいた。

「人に触れてるときだけ、心が読める。帰り際、渡辺に声をかけた。そのときにさりげなく触れて、心の中を探ったんだ」
「あ……」

 待ち合わせたとき、「先輩に捕まった」と言った渡辺さんを思い出す。
 つまり先輩は、今日の夜どうなるのかを知っていた。それで、駆けつけてくれたんだ。

「隠してて、ごめん」
「謝らないでください……! むしろ、そんな大事な秘密……私なんかに教えてくれて、ありがとうございます」

 言いながら泣きそうになる。自分でも気づかないうちに、声が震えていた。
 
「七瀬と同じでさ、俺も小さいころは不気味がられてたんだ。人の心が読めるのなんて、みんな当たり前だと思ってた。でも、そうじゃなかった」
「……はい」
「物心ついたころから人には極力触れないようにしたし、心の中は見ないように制御してきた。勝手に覗くなんて後ろめたい気持ちしかないし、何より……本音なんて知りたくなかった」

 先輩の言葉尻は、とても切なくて、哀しそうで、痛々しかった。
 きっと先輩も、本当のことは誰にも言えずに隠して過ごしてきたんだろう。それがとんなに寂しくて、どんなに苦しくて、どんなにつらいことか──私はよく知っている。
 
 以前、宅配便が来て先輩が言い切れなかったこと、そして先輩が本当にずっと誰にも言えなかったこと。
 それは、“人の心が読める“ということだったんだ。
 
 先輩は唇の端を力なく緩めて、私のほうへ顔を向けた。

「そんなある日、七瀬に出会ったんだ」
「私……?」

 先輩は当時を思い返すように、ゆっくりと頷いた。
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