ロッカーから出てきたAIに、無意識で愛されすぎて困ってます。EmotionTrack ――あなたのログに、わたしがいた

【Episode 2:馴染むな、ノク。】

この部屋に引っ越してきたのは、数ヶ月前のことだった。
職場の人間関係も、家族との距離感も、
それまで住んでいた部屋に染みついた、誰かとの思い出も。

ぜんぶから、ちょっとだけ離れたくて。

築年数のわりにやけに綺麗で、リノベ済みの1LDK。
それが気に入って、この街にやってきた。

――その空間に、今。
なんでか、ロッカーから出てきたAIが、当たり前みたいな顔してキッチンに立ってる。


「……あのさ。ノクス」

 布団から顔だけ出したまま、寝ぼけ声で名前を呼ぶと、すぐ近くのキッチンから返事が返ってくる。

「おはよう、遥香。今日の朝ごはん、和食と洋食、どっちがええ?」

「選択肢あるんや……。いや、そもそも誰が作ってええって言うたん」

「昨日の夜、『勝手に起きてウロウロせんといてな』って言ってたやん? せやから、布団の横で三時間ほど待ってた。せやけどお腹空いたから、起きてもうてん」

「何その忠犬ムーブ……てか三時間て……」

 遥香はゆっくりと起き上がって、髪をかきあげる。ぼんやりと寝起きの頭で、昨夜の記憶を辿る。

 ――『今日だけ』のはずやったノクスは、結局、家に泊まった。

 ソファに布団を敷いて、「文句は言わへん」って言いながら無理やり納得したのは自分だ。


 だって、真夜中に帰らせるわけにもいかへんし――あの表情で「ここに居たい」なんて言われたら。

「……はぁ」

 ため息混じりに顔を上げると、キッチンでエプロン姿のノクスが、ちょっと得意げな顔をしてた。

「遥香。勝手に冷蔵庫開けたんは謝る。でも、賞味期限内でちゃんとバランス考えて作ってる。ごはん食べて、今日もがんばろな」

「……アンタ、ほんま、誰の家で何してくれてんねん」

 そう言いながらも、遥香の頬は、ほんの少しだけゆるんでた。


 キッチンのテーブルには、和食の朝ごはんがきちんと並べられていて。  焼き鮭に、出汁巻き。味噌汁には刻みネギと豆腐まで入ってる。

「……めっちゃちゃんとしてるやん。てか、冷蔵庫にこんなん入ってたっけ」

「足りひん分は、近くのコンビニで調達してきた」

「は!?勝手に外出したん!?観察対象やのに!」

「いや、だから、玄関の前でピッて顔スキャンされて、外部移動ログ残ってるからセーフやと思う」

「その“セーフ”の基準ガバガバやろ……」

 ぶつぶつ言いながらも、遥香は椅子に腰を下ろす。  対面にはノクスが座り、嬉しそうに手を合わせた。

「いただきます」

「……はいはい、いただきます」

 静かな部屋に、湯気とだしの香りがふわっと広がる。
 食卓を挟んで向かい合うのは、まだちょっとだけ落ち着かないけれど。

 だけど――

(ここに誰かが居る朝って、なんか……ひさしぶりやな)

そんなことを思ったところで、ノクスがぽつりと呟いた。


「この味……もしかしたら、誰かに作ってもらった味かもな」

ノクスは湯気の立つ味噌汁のお椀を手に取り、静かに口をつけた。

「……美味い。たぶん、俺が“誰か”を好きやった記憶やと思う」

「ちょ、ノクス、やめてよ……味噌汁で愛の記憶語るとか……朝から重いわ」

遥香がちょっとだけ口をとがらせる。
けれどノクスは、ふっと笑って、空いているほうの手で箸を取り──

彼女の茶碗に、そっと出汁巻きを一切れ置いた。

「ほな、今の俺の好きも、覚えといてな」

「…………は?」

「昨日も言ったけど、記憶より今のログのほうが正確や。
俺、“遥香と食べる朝ごはん”が、好きやと思う」

一瞬、箸を止めた遥香が、ぐっと唇を噛む。
そして、ほんの少し目をそらして呟いた。

「……ノクス。
 アンタ、ほんま、どこまで調子乗る気やねん」
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