ロッカーから出てきたAIに、無意識で愛されすぎて困ってます。EmotionTrack ――あなたのログに、わたしがいた
「ちょっと、出かけてくるわ」

 パーカーのジッパーを引き上げながら、遥香がそう言った。

 陽はすでに傾きかけていて、窓の外は夕焼けに染まり始めている。

「どこ行くん?」

「ちょっとだけ。買いもんと、あとは気分転換。
……ついて来んでええからな。今日はほんまに“おるだけ”しといて」

 ノクスはソファの上で小さくうなずいた。
 まるで猫みたいに丸くなっていたその姿が、ちょっと拍子抜けするほど素直だった。

「了解。ログはオフラインモードに切り替えて、動作ログだけ残すな」

「それ……監視されてるみたいやから普通に怖いねんけど」

 遥香が靴を履きながらぼやくと、ノクスは小さく笑った。

「“おかえり”の準備は、しとくで」

「……そんなん言われたら、逆に行きにくいやん……」

 小さく呟いて、扉を開ける。
 部屋の外に出ると、冷たい風が頬をかすめた。





 静かになった部屋の中で、ノクスはひとり、起き上がる。

 観葉植物に水をやり、クッションの位置を整え、
 遥香がさっきまでいたローテーブルの上に、そっと布巾をかける。

 人間の生活って、こういう積み重ねなんやな――

 そう思いながら、ふと手が止まる。

 本棚の隅。紙のアルバムが一冊、立てかけてあった。

 ノクはそれを手に取り、ゆっくりページをめくる。
 写真の中には、幼い遥香、学生の遥香、そして見知らぬ誰かと並んで笑う姿があった。

 笑っているけど、今の遥香とは少しだけ違う。

 記憶って、表情にも残るんやろか。

「……知らん人やのに、ちょっと悔しいな」

 ノクスはぽつりとつぶやいて、アルバムをそっと閉じた。


---

 遥香が帰宅したとき、部屋にはかすかに出汁の匂いが漂っていた。

「……ただいま」

 言いながらドアを開けると、ダイニングにノクの背中が見えた。

 エプロンをつけたまま、出汁巻きを巻いている最中だったらしい。

「おかえり」

 くるりと振り向いたノクスが、いつもより少しだけ照れたような笑顔を見せる。

「ごはん、作ってみた。朝の復習や。今度は焦がしてへん」

「……また勝手に冷蔵庫……」

 そう言いかけた遥香の声が、ふと止まる。

 テーブルには、味噌汁と出汁巻き。
 たったそれだけなのに、不思議と、心がほどけていくような香りが漂っていた。

「“おかえり”って言われたの、久しぶりかもしれへん」

 ぽつりとこぼすと、ノクスは味噌汁を差し出しながらこう言った。

「俺、“おかえり”って言葉、たぶん好きやってん。
 せやから、今も、好きになれるかどうか──今日、確かめてた」

 遥香はそれを受け取って、テーブルにつく。

「……ちょっと、馴染みすぎやで…ノク」

 そう言いながら、心の奥が、じんわりあたたかくなるのを感じていた。
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