テイラー侯爵は甘やかしたい
06 私である理由
日が暮れる頃。約束通り、侯爵さまの家に定期市で購入した荷物が運ばれてきた。
侯爵さまが言っていた通り、私が選んだ服以外の衣服や織物、それから野菜や果物などの食材や食器などもあった。
夕食を食べ、私が湯を浴び終わるころにはもう、侯爵さまは自室へと引き上げていたようだ。
私も近くにいたエヴァンスに声を掛けて、二階にある自分の部屋へと向かう。
新しい服が五着、ベッドの上に並べて置いてある。部屋の角に置かれたクローゼットに片付けておくとエヴァンスが言ってくれたけれど、それは断った。
実はまだ、トランクの中の荷物も出すことができずにいて、クローゼットの中は空っぽだった。きっとそれを見たら、エヴァンスたちも困ってしまうだろう。
(……すぐにマディラに引き返すことになるかもしれないし)
小さく溜息を吐いたときだ。部屋の扉をノックする音が響く。
「どうぞ」と声をかけると、ブラシを持ったオリビアが扉を開けた。
この家に来てからというもの毎日、湯あみ後にオリビアは私の髪を梳かしに来てくれる。それも四日目になるが、未だに慣れない習慣だ。
アビントンの家にも使用人はいたけれど、私の身の回りの世話をしてくれるような者はいなかった。
むしろ、オリビアが今、私にしてくれていることを、あの家では私がお姉さまにしてきていたし、それが当たり前の生活だった。
(オリビアに、毎日こうやって長い時間をかけて髪を梳いてもらうことも申し訳ないわ……)
お兄さまやお姉さまのように、大切にされる理由が私には分からない。
この家に来てからというもの、何かをしてもらうばかりで家事ひとつやっていないのだ。それに見合った何かを生み出すこともできていないのに……。
それなのに、鏡に映る自分ばかり綺麗になっていく。
心地よく梳かされていく髪は、たった四日しか経っていないのに艶が出た。ランプの灯りを反射して、煌めいている。
「綺麗ですね」
ふと、オリビアの落ち着いた声が響いた。鏡越しに目が合った彼女は、ベッドの方へと視線を向けた。
そこで、今日選んだ服のことを言っているのかと理解して、「ああ」と頷く。
「侯爵さまが、半分お金を出してくださったの」
たくさん服があってとても迷ってしまった、と自嘲まじりに返せば、オリビアは「分かります」と小さく笑った。
少しだけ弧を描く唇。そして和らぐように少しだけ細められた瞳に、彼女もそんな表情をするのかと驚いた。
「……明日、さっそくどれかに袖を通してみますか? 裾の長さなど、すぐに調整させていただきますが」
「そんな、もう遅いから大丈夫。それに、裾の調整くらいなら自分で……」
また、鏡越しにオリビアと目が合う。先ほどまで柔らかかった瞳は、こちらの真意を探るように真っ直ぐ私を見つめていた。
「……ごめんなさい。何かをしてもらうことに慣れていないの。そんな人間ではないから。いいのかしら」
こんなことを言っても困らせるだけだと分かっているのに。
つい吐き出してしまった弱音を笑って繕ってみせたけれど、鏡に映る自分の笑顔は、それはそれはひどいものだった。
彼女の瞳から逃れるように、慌てて俯く。
「侯爵さまは、本当に『私』でいいのかしら」
お姉さまの存在は知っているのかしら。
お姉さまと私を間違えてはいないだろうか。
『ご令嬢様』とだけ書かれていて、私の名前もシエナお姉さまの名前もなかった手紙。私は社交界にほとんど出たこともないし、アビントン家に娘が二人いると、侯爵さまは知らなかったのではないか。
手持ち無沙汰な指先同士を膝の上で絡める。
たったそれだけを尋ねるだけなのに、どうして私はこんなにも怖気づいてしまっているの……?
「……ちゃんと、お嬢様で間違いありませんよ」
どれくらいの沈黙が続いていたのだろう。静かに、呟くように紡がれたオリビアの言葉に、私は顔を上げた。
さらりと毛先を整えてくれた彼女の方を振り向く。また、彼女は優しくそのグリーンの瞳を細めた。
「少なくとも。私が仕える相手は、ヴィオレッタ様で間違いありません。……坊ちゃまは、全て知っておられます」
どういう意味? と聞き返す間もないまま。
オリビアはメイド服のスカートを軽く摘まみ上げ、「おやすみなさいませ」と一礼した。
そしてそれ以上は何も告げず、静かに扉を閉めた。
侯爵さまが言っていた通り、私が選んだ服以外の衣服や織物、それから野菜や果物などの食材や食器などもあった。
夕食を食べ、私が湯を浴び終わるころにはもう、侯爵さまは自室へと引き上げていたようだ。
私も近くにいたエヴァンスに声を掛けて、二階にある自分の部屋へと向かう。
新しい服が五着、ベッドの上に並べて置いてある。部屋の角に置かれたクローゼットに片付けておくとエヴァンスが言ってくれたけれど、それは断った。
実はまだ、トランクの中の荷物も出すことができずにいて、クローゼットの中は空っぽだった。きっとそれを見たら、エヴァンスたちも困ってしまうだろう。
(……すぐにマディラに引き返すことになるかもしれないし)
小さく溜息を吐いたときだ。部屋の扉をノックする音が響く。
「どうぞ」と声をかけると、ブラシを持ったオリビアが扉を開けた。
この家に来てからというもの毎日、湯あみ後にオリビアは私の髪を梳かしに来てくれる。それも四日目になるが、未だに慣れない習慣だ。
アビントンの家にも使用人はいたけれど、私の身の回りの世話をしてくれるような者はいなかった。
むしろ、オリビアが今、私にしてくれていることを、あの家では私がお姉さまにしてきていたし、それが当たり前の生活だった。
(オリビアに、毎日こうやって長い時間をかけて髪を梳いてもらうことも申し訳ないわ……)
お兄さまやお姉さまのように、大切にされる理由が私には分からない。
この家に来てからというもの、何かをしてもらうばかりで家事ひとつやっていないのだ。それに見合った何かを生み出すこともできていないのに……。
それなのに、鏡に映る自分ばかり綺麗になっていく。
心地よく梳かされていく髪は、たった四日しか経っていないのに艶が出た。ランプの灯りを反射して、煌めいている。
「綺麗ですね」
ふと、オリビアの落ち着いた声が響いた。鏡越しに目が合った彼女は、ベッドの方へと視線を向けた。
そこで、今日選んだ服のことを言っているのかと理解して、「ああ」と頷く。
「侯爵さまが、半分お金を出してくださったの」
たくさん服があってとても迷ってしまった、と自嘲まじりに返せば、オリビアは「分かります」と小さく笑った。
少しだけ弧を描く唇。そして和らぐように少しだけ細められた瞳に、彼女もそんな表情をするのかと驚いた。
「……明日、さっそくどれかに袖を通してみますか? 裾の長さなど、すぐに調整させていただきますが」
「そんな、もう遅いから大丈夫。それに、裾の調整くらいなら自分で……」
また、鏡越しにオリビアと目が合う。先ほどまで柔らかかった瞳は、こちらの真意を探るように真っ直ぐ私を見つめていた。
「……ごめんなさい。何かをしてもらうことに慣れていないの。そんな人間ではないから。いいのかしら」
こんなことを言っても困らせるだけだと分かっているのに。
つい吐き出してしまった弱音を笑って繕ってみせたけれど、鏡に映る自分の笑顔は、それはそれはひどいものだった。
彼女の瞳から逃れるように、慌てて俯く。
「侯爵さまは、本当に『私』でいいのかしら」
お姉さまの存在は知っているのかしら。
お姉さまと私を間違えてはいないだろうか。
『ご令嬢様』とだけ書かれていて、私の名前もシエナお姉さまの名前もなかった手紙。私は社交界にほとんど出たこともないし、アビントン家に娘が二人いると、侯爵さまは知らなかったのではないか。
手持ち無沙汰な指先同士を膝の上で絡める。
たったそれだけを尋ねるだけなのに、どうして私はこんなにも怖気づいてしまっているの……?
「……ちゃんと、お嬢様で間違いありませんよ」
どれくらいの沈黙が続いていたのだろう。静かに、呟くように紡がれたオリビアの言葉に、私は顔を上げた。
さらりと毛先を整えてくれた彼女の方を振り向く。また、彼女は優しくそのグリーンの瞳を細めた。
「少なくとも。私が仕える相手は、ヴィオレッタ様で間違いありません。……坊ちゃまは、全て知っておられます」
どういう意味? と聞き返す間もないまま。
オリビアはメイド服のスカートを軽く摘まみ上げ、「おやすみなさいませ」と一礼した。
そしてそれ以上は何も告げず、静かに扉を閉めた。