ホテル・ラ・ソルーナ

第二夜:叶えられなかった夢の続き⑤

懇願する前に、ひとまず土下座をしてしまおうと思った俺は、フローリングに額を叩きつける勢いで頭を下げた。

「ちいと、なにしとるんよ、千隼」

 頭上から、母さんの素頓狂な声が降って来た。でも、俺はただただこうして頭を下げるしかないのだ。そして、分かっている。今、これから俺が懇願することに対して、母さんは猛反対するのは承知の上だ。でも、高校生で財力もなく無力な俺にできることと言えば、こうして頼み込むことだけだ。

「母さん、頼む」

 僅かに頭を上げてちらりと様子を窺おうとした視界の片隅に入ったのは、藤色の着物の裾と白い足袋だった。母さんは今日も仕事を抜けて、夕飯の支度をしに来てくれたのだ。このチャンスを逃したら後はないと思う。

 俺は夕食のカレーライスの匂いが充満するリビングで土下座したまま、ごくっと唾を呑み込み覚悟を決めた。そして、ぎゅっと目をつむり息を吸い込んだ。

「明日、何も聞かずに、俺を東京へ行かせて欲しいんじゃ」

 それまでテレビからわんわん響いていたバラエティー番組の賑やかな音声がふつりと途絶え、空間がしんと静かになった。母さんがリモコンでテレビをオフにしたのだ。

 全身が心臓になってしまったみたいにばっくんばっくん暴れ回る。ふううう、と細く長く息を慎重に吐き出しながら、目を開くのと同じタイミングで母さんの声も裏返った。

「東京?」

 どうして? なんで? と、まさに予想通りの反応が返って来た。

「いや、じゃから、何も聞かずにって……とにかく」

 お願いします、とフローリングに額をのめりこませる勢いで懇願した。

「午前はちゃんと授業に出るから、じゃから、頼む。早退させてほしい。協力してくれんか?」

「いや、協力言われてもなぁ……母さん、何が何なのか、さっぱり意味が分からんのじゃけど。部活は? あんた、練習はどうするんよ?」

 俺も母さんくらいおっとりした性格に生まれて来れたら良かったのに、と本気で思う時がある。俺はどうやら顔は母親似らしい。母さんとは判子みたいによく似ているらしい。大粒のひとえまぶたで、右目の下の涙黒子の位置まで一緒。なのに、性格も、ぶっきらぼうな口調も、父親にそっくりだと言われる。

「休む」

「えぇぇ? 一度も休んだことのないあんたがぁ? そもそも、東京って、なんでなん?」

 これだから、調子が狂う。天然というか、おっちょこちょいというか、能天気というか。母さんはおっとりし過ぎていて、時々心配になる。まあ、こういう感じの人だから男女隔たりなく、常連さんたちに人気があるんだろうけど。

「いや、だから」

 孝太に会いに行くからに決まってるじゃろうが。

 なんて。言えるわけがなかった。亡くなった親友に会いに行く為に東京へ行かせて欲しい。そんな寝ぼけたような事を言う俺に、誰が「そうだな、行って来い」と言って送り出してくれるだろうか。

 孝太に会えるんだ、本当なんだ、と必死に訴えたところで誰も信じてはくれないことくらい分かっている。幼馴染みを失った悲しみのあまり、とうとうそんな妄想するようになってしまったかと同情されるのがオチだ。

 それに。あの嘘か誠か分からない胡散くさい招待状に書いてあった。招待状に書いてある内容を他人に漏らしたら、面会はできなくなってしまうのだと。

 それが俺の元へ届いたのは、孝太の葬儀が終わり、間もなく一ヶ月が過ぎようとしていた五月一日。明日からゴールデンウイークの連休を控えた金曜日のことだった。

 あの日は、朝からずっと雨が降り止まなくて、気分までどんよりとしてしまうような、とにかく憂鬱な日だった。

 孝太が居なくなったあの日から、世界は天と地がひっくり返されたように、まるで違って見えるようになってしまった。何をしていてもつまらないし、ただイライラして、毎日が苦痛で仕方なくなってしまった。

 ああ、だるいな。部活行きたくないな。野球……したくないな。

 窓際最前列の席でひとりで弁当を食べ終えて、右腕を枕にしてぼんやりと窓に打ち付ける雨を眺めていると、

「のう、死んだ人に会えるホテルがあるんじゃと。知っとる?」

 ひとつ後ろの席できゃっきゃと会話を弾ませている女子ふたりの、とある都市伝説と思わしき情報を俺の耳が捉えた。

「え、なになになに? 知らん知らん、新ネタ?」

「うちも昨日知ったんよ。ホテル・ラ・ソルーナゆうらしいんじゃけどな」

 ぎょっと瞳孔が開いた。

 今……死んだ人に会えるって、言ったよな。

 たまらず飛び跳ねる勢いで上半身を起こして、「その話、詳しく」と振り向きたい衝動をどうにかこうにか抑え込んだ。 

 いや、まさか。あり得ない。ばかばかしい。そんなバカげた話があるものか。たかが噂話だろう。

「ええー、なんじゃ初めて聞くなぁ。どこの情報なんよ」

「どこって、いつものとこじゃ。パンドラちゃんねる」
 
「ほんまぁ? そんな情報上がっとったっけ? うち、見落としとったのかも」

 小野風香(おのふうか)橋本安奈(はしもとあんな)は新聞部で、昼休みになるといつもこんなふうに俺の後ろの席で、こういう都市伝説やオカルトの話ばかりしている。

 月一で各階の廊下掲示板に貼り出される校内新聞の一角に、そういう都市伝説や噂話のコーナーが掲載されていて、その記事をふたりで担当しているらしい。そして、その嘘か誠か定かではない怪しげな記事が、意外と全校生徒から人気を集めている。

「エックスにドライフラワーゆうアカウント名の人がおって、そのホテルのことポストしとるんよ。そのホテルに行って来たことがあるらしいんじゃ。そのポストがきっかけで今話題になっとるらしい」

「へえ。前にさ、きさらぎ駅というのが流行ったじゃろう。タイムリープ系の。あんな感じなんかのう」

「いや、そういうのとはまた少し違う気がするんよ。そのドライフラワーって人のアカウント教えるから見てみぃ。ちいとな、かわいそうに思えてくるんじゃけど。ドライフラワーさんが言うには……」 

 そのホテルは新月の夜にだけ大都会の街中に出現し、ツキアカリと名乗る支配人から招待状が届いた者だけが辿り着くことができるらしい。そして、ホテルに依頼し予約を取ることが出来るのは、自ら命を絶った死者だけ。面会後、死者は姿を消し、残された者は面会した記憶を残すか消去するか選択することが出来る、そうだ。

「えぇぇ……ややこしいホテルじゃなぁ」

「じゃけど、うち、もっと調べてみようか思うとるんよ。来月の記事にしようか悩んどるんじゃけど」

「うーん。もうひとつの方はどんなんじゃったっけ?」

「キューピーの館」

 別に聞き耳を立てているわけじゃない。でも、どうしてなのか寝たふりをしてまで耳を傾けずにはいられない内容だった。

 亡くなった人と面会できる。なんて、そんな馬鹿げた話が現実にあるわけがない。だから都市伝説だとか、噂話と言われるのだろうけど。しかし、だ。火のない所に煙は立たぬということわざがあるくらいだし。いやいや、それにしても胡散臭すぎる。鼻でフンと笑いながらも心のどこかで、本当にそんなことが出来たら
どんなに良いだろうとも思った。

「キューピーの館はもう知名度高すぎて逆につまらんよ」

「じゃけど、地元ネタはやっぱ食い付くよ、みんな」

「えー、そうかなぁ」

 ふたりの会話に耳を傾け続けている俺の前に、ふわっと人影が現れて、それは彩世だった。彩世は俺が寝ていると思ったのか、体をかがめて覗き込んできた。

「何か用か?」

 俺と目が合うと、彩世は「わ」と声を洩らし切れ長の目をぱちくりさせ、驚いた様子で一歩後ずさった。

「起きとる!」

 そして、頬をほんの少し桜色に染めて、クスクスと肩をすくめて笑った。

「寝とるのかと思ったわ。驚かせたろう思うたのに、逆に驚いてしもうた」

「ばかじゃな。で、昼休みにわざわざ何の用じゃ」

 彩世は勉強が出来る。特別進学クラスだ。通称、特進クラスは、俺たち普通科がある東棟から長い廊下を渡った西棟にある。西棟からこうして貴重な昼休みにわざわざ来るなんて珍しい。滅多にないことだ。どうせまた最近の俺の様子がおかしいとかなんとか言って、お節介を焼きに来たのだろう。

「ええか。俺は元気じゃ。風邪も引いとらんし、どこもおかしくねえ」

 彩世のことは恋愛対象として好きだ。慕っている。でも、今はうざいなと思う時がある。まだ孝太の死を受け入れることが出来ていない今の俺は、恋だの愛だの抜かしていられる余裕なんてない。

「またお節介か? 間に合うとるから大丈夫じゃ。教室に戻れ」

 と追い返そうとする俺に、彩世は難しい表情を浮かべて、大きなため息を落とした。

「大丈夫じゃないから、こうして来とるんじゃ」

「はあ?」

 首をかしげる俺の右肩を小さな拳でどすんと小突いて、彩世は都合悪そうにうつむき加減で言った。

「千隼、今日から投球練習は翔太(しょうた)とバッテリー組むようにって。さっき、学食前の廊下でコーチとばったり会うてな……千隼に伝えとけって」

「翔太? なんで?」

 二年生右腕投手、石原翔太(いしはらしょうた)は確かに最近著しく成長し実力を伸ばしている期待の投手のひとりではあるけど。でも、翔太は一年の時からずっと同学年の捕手、川上伊吹(かわかみいぶき)とバッテリーを組んでいて、息ぴったりなのに。なんだってこんな中途半端な時期に。

「それじゃったら俊介は? 誰と組む言うんじゃ」

「伊吹じゃ」

「あぁ? なんでじゃ。意味が分からん。どういうことなんか説明せえ」

 鏡を見なくても、いま自分がどんな表情をしているのかはっきり分かる。あからさまに不機嫌な顔をしているのだと思う。触らずとも分かる。眉間に深いシワが入ったことも。

「どいういことなんか聞いとるだろうが!」

 大きな声を出して、机の上をドンと右手で叩くと、昼休みの賑やかな教室が一瞬しんと静まり返った。

「そういうとこじゃ! 千隼のそういうとこがおえんのじゃ」

 そう言うと、彩世は一度唇をきゅっと結んでわなわなさせたあと、意を決したように俺をキッと睨み付けた。

「俊介がな、千隼とバッテリー組むのがしんどいんじゃと。うまく投げれんのじゃと。萎縮してしまうのじゃと」

「……は」

 もう、怒りをぽーんと飛び越えて落胆した。同時に、自分に失望した。

「そうか。なら、仕方ねえなぁ。分かった」

 プロ野球選手が戦力外通告を受ける時って、きっと、こんな気分なんだろうなと思った。俺は俊介から戦力外通告を出されたようなものだ。しかも、甲子園予選まで二カ月半しかないこの時期にだ。お前は捕手、失格。そう言われた気がした。大袈裟だと笑われるかもしれないけど、本当にそれくらい大きな衝撃だった。

 その後、彩世が他にもなんやかんやとお節介発言していた気がするけど、あまり覚えていない。気付けば5時限目が始まっていて、6時限目が終わり、でもちゃんと部活には出ていて、そんな自分がちょっと可笑しかった。どんなに絶望しようが、どんなに失望しようが、俺は野球をするんだなと笑えて仕方なかった。

 そして、孝太が入院してからは右投げの俊介の球しか受けていなかったから、左投げの翔太の球はとても新鮮だった。でも、やっぱり翔太の球の精度はまだまだで、俊介とは天と地ほどの差があって色々と文句をつけたいところだったけど、やめておいた。翔太の未完成で遮二無二な投球を受けながら、俺はない物ねだりばかりだということに気付いた。

 俊介の球を受ければ孝太ほどの精度を求め、翔太の球を受けてみれば俊介の安定した投球が恋しくなる。

 そしてまた、鳴瀬孝太の亡霊をマウンドに見て、泣きそうになった。孝太に会いたい。たまらなく、会いたい。そう思った。

 野球はひとりで出来るスポーツじゃないのに、グラウンドにはいつも通り部員たちがいるのに、俺はグラウンドでひとり野球をしているような、そんな気分だった。

 練習を終えて自宅に着くともう20時を過ぎていた。築15年の4階建て2LDKのアパート。物心ついた時にはもうここで母さんと暮らしていた。母さんと俺のふたりで暮らすには広すぎず狭くもなく、ちょうどいい空間だ。

「ただいま」

 玄関を開ければ、今日もパワフルな母さんの声と大好物の生姜焼きの甘辛い匂いが俺を迎えた。

「お帰り! ご飯作っといたけぇ、チンして食べなさいよ」

「ああ、うん。サンキュー」

 今日は藤色の着物だ。藤色に白い小花柄のデザインは母さんのお気に入りの着物だ。長い黒髪はひとつにまとめ上げて、藤色の和服に白い割烹着。母さんは俺が3歳の時から近所で和食の小料理屋「和佳(わか)」を営んでいる。和佳は母さんの名前だ。

 小料理屋は17時に開店するのだが、俺が帰って来る頃になると母さんはたったひとりのバイトの田中(たなか)さんに店番を頼んで中抜けし、俺の晩飯を準備してからまた店に戻る。帰って来るのは日付が変わってからだ。

 父さんは俺がまだ3歳の時に亡くなったらしい。ケミカルタンカー船の機関士だった父さんは、航海中に不慮の事故で亡くなったと聞かされている。父さんの記憶はほぼ無い。でも、ひとつだけ、なんとなくぼんやりとだけど、覚えていることがある。俺の3歳の誕生日にミットとバットを買ってくれたことだ。

『千隼、野球やってみんか? 父さん、キャッチャーじゃったんよ』

 その一週間後に、乗っていたタンカー船が座礁し、その事故に巻き込まれた父さんは帰らぬ人となった。だから、初めてのキャッチャーミットが、父さんからの最後のプレゼントになった。それがきっかけで俺は野球を始めた。

 日中は練習試合だの大会だのと俺の為に時間を使えるようにと、調理師免許を生かし夜に小料理屋を営みながら、母さんは女手ひとつで俺を育ててくれた。

「うあー腹減ったあー」

 脱衣場でカバンを広げ、汚れた練習着を引っ張り出していると、母さんがひょいと顔を覗かせた。

「千隼、ソックスはウタマロ石鹸でこすり洗いしてから、洗濯機に入れるんじゃよ、ええね」

「ああ」

「明日の練習着は、ベッドの上に置いといたからな」

 毎日、毎日、同じ会話だ。

「分かってるって」

「じゃあ、ええな。母さん、店に戻るから。戸締りしっかりするんよ」 

「ああ」

 毎晩、デジャヴじゃないかと思ってしまうほど同じセリフの同じ会話だ。母さんが出て行ったらドアの鍵を閉めてチェーンロックをする。それからウタマロ石鹸でソックスを手洗いしてから洗濯機を回して、風呂に入る。

 風呂から上がったら弁当箱を出して水に漬ける。ご飯とおかずをレンチンして食べたら、弁当箱と食器を洗って、すると洗濯が終わるからリビングに干す。でも、時には干すのをすっかり忘れて寝てしまい、朝、母さんがブーブー小言をこぼしながら洗濯機を回し直すこともある。……しょっちゅうある。

 全部が終わってひと息つくともう23時を過ぎていたりして、勉強をする暇なんて俺にはないからと言い聞かせ、スマホを見ながら寝落ち。気付くと朝というのが毎日の流れだ。

「まじで腹減ったあー」

 独り言を言いながらウタマロ石鹸でソックスをこすっていると、

「千隼ぁー!」

 と母さんの声が聞こえてきた。

「なんじゃあ、忘れ物かぁ? 今、死ぬほど忙しいんじゃあ」

 泡だらけの手のまま早足で玄関へ行ってみると、チェーンロックが掛かったままの数センチ開いたドアの隙間から半顔を覗かせて「そりゃぁすまんねえ」と母さんが笑って言った。

「あんたに言い忘れたことがあるんよ」

「なんじゃ、早う」

「あんた宛に手紙が届いとったよ」

「手紙ぃ?」

 誰から? と聞いても母さんはこっちが聞きたいわとでも言いたげにきょとんとした目で「知らんよ」と即答だった。

「知らんて……」

「じゃって、封筒にここの住所とあんたの名前しか書かれとらんかったよ。テーブルの上に置いといたけえね」

 俺の肩越しにリビングの方をシャープな顎でくいっと指して、母さんは大粒の目を細めてにんまりした。

「ラブレターと違う?」

「はあ? そういうのまじでうぜえ」

「ええぇ。彼女できたらなぁ、照れんでええからちゃんと紹介するんよ」

 そう言って、藤色の和服に身を包んだ小料理屋の女将は、その小ぎれいな見た目にはあまりにも似合わない「ケケケ」と冷やかすような笑いを残して、今度は本当に店に戻って行った。

 泡だらけの指先で鍵を閉め直し、上半身だけのけぞってリビングを覗いてみると、確かにテーブルの上に白い少し大きめの封筒が見えた。手紙? と首をかしげてしまった。SNSが通信手段のこのデジタルな時代に手紙を送ってくるなんて、誰だ? どんなに考えてみても心当たりがない。俺に手紙を送ってくるような人物なんて見当もつかない。

 ジャアアー、と流水の音にハッと我に返る。水道を流しっぱなしだったことを思い出して慌てて脱衣場に駆け戻った。ソックスを手洗いし洗濯機を回して、ひとまず風呂に入る事にした。風呂上がりは一目散に冷蔵庫へ向かう。そして、キンキンに冷えたサイダーを飲む為だ。

 ペットボトルのキャップをひねるとプシュッと爽快な音と共に爽やかに甘い香りが鼻先をかすめる。風呂上がりの火照った体にぐーっとあおるように流し込みながらテーブルに向かう。皿のラップを半分だけ開けて生姜焼きの肉を一枚つまみ食い。

「う、めええー」

 感動。ガツンとくる生姜とにんにくの香りに、甘辛い味付け。母さんの生姜焼きは最強だ。さすが小料理屋の女将だ。もう一度ラップをかけ直してくわえ箸のまま生姜焼きをレンジへイン。500ワットで1分少々。ブーンと稼働音をうならせる電子レンジのガラスに映り込む自分越しに、飛び込んできた白い封筒。振り向いて手を伸ばした。

 その封筒を手にした瞬間に首をかしげたのは、手紙にしては不自然な厚みがあったからだ。首をかしげたままの体勢でそのまま蛍光灯の明かりにかざしてみる。確かに俺宛だ。栗原千隼様と明朝体で印刷されている。一体誰からなのか気になり始めた俺は、レンジのカウントダウンがあと52秒も残っているのを確認して、開封し中を確かめることにした。

「は」

 思わず声が突いて出た。口を開いたせいで銜えていた箸が床にコン、コロン、と落ちてカラララと転がった。

「なんじゃぁ……これ」

 濃いというよりは深い色だった。

 月も星も眠った明かりのない夜空のような、暗く、しかし厳かな青色のそれは、まるでベロア生地のような上質な肌触りの二つ折りのカードだった。

「うほおぉぉ」

 高貴な肌触りの良さにたまらず変な声が洩れる。初めてお年玉で貰った一万円札に触れたあの瞬間のように、妙に緊張して指先が震えた。肌触りの良い表紙のロゴは金色に特殊加工された印字かと思いきや、指先で触れてみれば刺繍だった。金色の糸で刺繍された右半分が太陽、左半分が月のロゴを蛍光灯にかざすと、糸一本一本がチカチカと細かく輝いた。

 頭が真っ白の状態でカードを開いたそのタイミングでレンジがチンと甲高く鳴ったけれど、その時の俺は生姜焼きどころではなくなってしまった。

「どういう……ことじゃぁ」

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