引きこもり令嬢の契約婚約
 しかしやはり慌てていたのだろう。川べりを走るときに、草で足を滑らせ転んでしまった。

「あっ……」

 そのまま土手を転がり落ちそうになったが、セアラは咄嗟に伸びている草を掴んだ。
 おかげで、川に落ちはしなかったが、捕まっているのが精いっぱいで、立ち上がることも土手を上ることもできない。

「た、助けて! 助けて!」

 だけど、周囲には誰もいない。セアラの背中を冷や汗が伝った。

(誰にも言づけずに出てきちゃった。川に落ちてしまったら、きっともう二度と見つけてもらえない!)

 急に恐怖が全身を貫く。涙があふれてきて、必死に助けを呼んだ。

「ご、ごめんなさい。勝手に出てきてごめんなさい。もうしないから。お願いだから助けて!」

 セアラの人生で、これほど大声を出したときはなかったと思う。けれども人の姿は見えず、手も痛くなってきた。
 ポケットには咳に効く薬草がある。母を助けられると思ったのに、川に落ちたらこれを届けることもできなくなる。

「嫌だぁ……お母様、マイルズ、お父様……!」
「ホウ」

 声がした、と思った次の瞬間には、首の後ろを引っ張られて体が浮いた。
 振り向くこともできないまま、地面の上に落とされる。

「あ、ありが……」

 お礼を言おうとして振り向いて、セアラは言葉を失くした。
 そこにいたのは、大きなシロフクロウだったのだ。

「とり……フクロウ……?」
「ホー、ホー、ホー」

 フクロウは、畑の方に翼を広げて一生懸命話している。しかしセアラには、フクロウ語はわからない。

「ごめんなさい。よくわからない。……助けてくれてありがとう。お礼をするわ。なんでも言って」
「ホー!」

 フクロウは元気よく叫ぶと、薬草畑から薬草をついばみ、飛び立ってしまった。
 残されたセアラは呆然とする。あんな大きなフクロウは初めて見たし、人間を助けてくれるなんてあり得ない。もしかしたら、こうして生きていること自体、夢なのかもしれない。

「……夢でもいいわ。家に帰れるなら」

 ポケットに入れた薬草は無事だ。セアラは涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭いて、屋敷まで駆け出した。
< 35 / 233 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop