鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜

3話 鬼の娯楽

 凛火は爽の後ろをついて歩いていた。爽が、綾城家の所有する細工工房を案内してくれると言うのだ。
 綾城家は大きな屋敷を構えている。首が痛くなるほど見上げなければならない門構えは、細工師として大成したにしては、ずいぶん立派なものだ。
 凛火は街並みをキョロキョロと見渡した。
 全体的に、活気のある街だ。木造建築の店が立ち並び、売り子が声を張り上げて客を入れている。張りのある声があちこちから聞こえていた。ふわりと花の香りも漂ってきた。目を向けると、香水瓶の店がある。他にもいくつか見られたので、花の生産が盛んなのかもしれない。
 道も綺麗に整備されていて、石畳が敷かれていて歩きやすい。山育ちの凛火には、歩きやすすぎて物足りないくらいだ。
 
 角をいくつか曲がったところに、綾城家の工房はあった。綾城家の屋敷に比べると質素だが、それでも大きく、格別の存在感だ。

「ここで、好きに細工作りをしていたらいい」
「素敵です!ありがとうございます、爽さま!」

 工房の中は、凛火の理想が詰まっていた。何もかもの備品が置かれている。至れり尽くせりだ。
 これなら、自分の考えた細工をすぐにでも作ることができる。凛火は目を輝かせた。最近は婚姻のために奔走していて、細工作りができていなかったのだ。細工不足で脳が悲鳴を上げていた。まさにここは、今の凛火にとって極楽である。
 頬を紅潮させる凛火を見て、爽は頑なだった表情をふっと緩めた。

「喜んでもらえたようで、良かった」

 その呟きを拾った凛火は、はっと顔を上げた。しかし爽は元の動かない顔に戻っていた。

「では、僕は用事があるので失礼する」
「あ、はい。行ってらっしゃいませ」

 あっという間にその場からいなくなった爽を見送り、凛火は首を傾げた。爽が微笑んだように見えたが、あれは気のせいだったのだろうか。
 気のせいだったのだろう。
 興味のない妻相手に、微笑む必要はないのだ。凛火が喜んだことが嬉しいなんて、爽が思うはずがない。
 それよりも、細工作りだ。今日は何を作ろう。久しぶりだから、腕が鳴る。

 細工作りに夢中になり過ぎて、気付けば夜になっていた。凛火は細工作りに没頭すると、周りの声が聞こえなくなる。工房の細工師たちは、代わる代わる声をかけてくれていたようだが、しまいには諦めたようだ。
 昼食も抜いてしまったので、ひどくお腹が空いている。ご飯は無いが、代わりにキラキラ輝く細工が机の上に所狭しと並んでいた。花の吊るし飾りや金箔を散りばめた櫛、組紐で編んだ飾り帯など、凛火が丹精込めて作ったものたちだ。出来栄えに満足して、凛火は片付けを始めた。

 工房を出ると、空はすっかり暗い。昼間の活気が、嘘のように静まり返っている。
 爽が帰っているかもしれない。新妻が夜遅くに帰るというのは、外聞が悪い気がする。
 早足で歩き始めた凛火は、背後に足音を聞いた。凛火の歩く速度に合わせて、それはついてくる。忍足だが、それでも聞こえる。
 凛火は背後に意識をやりながら、懐に手を伸ばした。

「私に何かご用ですか」

 背後の足音が止まった。凛火が振り返ると、驚いた様子で固まっている鬼がいた。額から角を生やし、口からは鋭い牙がのぞいている。

「な…なぜ、逃げない?」
 
 男の鬼だ。商人のような着物を着ている。日中は、普通の人間のように商人として生活しているのかもしれない。

「私を食べますか?」

 鬼は目を彷徨かせている。ただの小娘と思っていたのに、思いがけず噛みつかれたような顔をしている。

「ああ、鬼はもう人を食べないんでしたっけ。それでも、人を襲わずにはいられない。鬼の性ですよね。どこまでも、修羅の道から逃れられない」

 太古、鬼は人を襲って喰らっていた。しかし人は、ただの食料にはならなかった。武器を持ち、鬼を蹴散らしていったのだ。
 人によって鬼は住処を追われ、やがてひっそりと、息を潜めて暮らすようになった。
 バレたら殺される。淘汰する側だった鬼が、淘汰される側に堕ちたのだ。
 鬼は人を喰らわなくなった。
 しかし、基本的に鬼は修羅の道を進むものだ。争いを好み、殺戮を是とする生き物だ。ただ息を潜めているだけでは生活できない。人が娯楽を求めるように、鬼は修羅を求めるのだ。

「私はただ、細工作りをして静かに暮らしたいだけなのに。どうしても、血みどろがつきまとうみたい。鬱陶しいなぁ」

 凛火は懐から小さな硝子細工を取り出した。それは小さな蜂の形をしている。透き通った黄色と黒が調和して、神秘的な雰囲気だ。つぶらな黒い瞳も硝子でできていて、ちょこんとした愛らしさもある。
 凛火は蜂の硝子細工を手のひらに乗せた。
 鬼はシャアっと牙を剥き出しにして、鋭い鉤爪を剥き出しに凛火に飛びかかった。

「蜂織硝子の舞」

 凛火の手のひらで、硝子が割れた。凛火が硝子片にふっと息を吹きかける。粉々に砕けた硝子は、鋭さを保ったまま鬼の周囲を囲む。

「な、なんだこれは⁉︎」
「あら、初めて見ますか?」

 硝子は鬼の全身に突き刺さった。大きな硝子片から小さなものまで、バラバラに鬼に刃を立てる。
 グッと肌に食い込んだ硝子を、鬼は引き抜こうとした。
 
「残念」

 凛火はパチンと指を鳴らした。瞬間、硝子だらけの鬼から血が吹き出した。硝子が鬼の身体を微塵に切り裂く。パタパタと血を垂らしながら、鬼は粉々に崩れた。
 木っ端微塵に砕かれた鬼の身体は、黒い煙を上げて蒸発した。
 それをじっと見つめる凛火の瞳には、一筋の縦線が入っていた。まるで猫のようなそれには、何の感情も宿っていない。静かで凪いだ瞳が、ただ地面を見下ろしていた。

「私に目をつけるのがそもそもの間違いだよ。並の鬼では、私を倒せないんだから。ていうか、いつまでもそんなだから、狩人に狙われ続けるんだよ」

 凛火はどんな鬼よりも強い。
 桁外れの力を持って生まれ、しかしそれを全力で行使することはできない。だから、作った細工の力を頼るしかないのだ。
 凛火は額を擦った。力を使ったせいで、少しぽっこりしている。綾城家に着く頃には落ち着いているだろうか。
 
 凛火は鬼だ。
 それも、この暁国では「厄災」と恐れられている、『鬼火姫』だ。
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