鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜
4話 ただの狩人は楽観主義者
凛火が綾城家の屋敷に戻ると、爽がバタバタと羽織を羽織っていた。和枝は側で爽の準備を手伝っていた。
「それでは行ってくる。和枝、凛火さんが戻ってきたら…」
爽は玄関に立つ凛火を見て、目を丸くした。羽織を中途半端に羽織った状態で固まっている。
「えっと、ただいま戻りました。遅くなって申し訳ありません。何かご用事ですか?」
「いや…。怪我はないか」
「ありませんけど…」
爽は何の話をしているのだろう。
爽は眉を八の字に凹ませていたが、ブルリと頭を振った。羽織を羽織り直し、玄関に降りてきた。
「仕事が入ったので、今から出かけてくる。食事の用意は和枝がしているので、出してもらえ」
「行ってらっしゃいませ」
爽は扉を開けて、闇夜に飛び出して行った。それを見送り、凛火は首を傾げた。
爽の仕事?爽は細工師である。こんな夜更けに仕事とは、一体どんな呼び出しなのか。
爽の羽織と着物の下に一瞬見えた、あの衣装。闇夜に紛れる、濡羽色の詰襟だった。
嫌な予感がする。
「さあさあ、ご飯にしましょう。今日は焼き鮭ですよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
昼食を抜いたので、腹はペコペコだ。爽の仕事が気になるものの、凛火は和枝について行った。
**********
爽は屋敷の門を出ると、屋根に飛び移った。鳥が羽ばたくような、軽い身のこなしである。
屋根の上には、すでに先客がいた。濡羽色の詰襟の隊服を着ている。その腰には刀が下げられていた。
青年は爽に軽く手を上げた。
「よう、爽。新婚なのに悪いな」
「いや、構わない。それより、鬼が出たと聞いたが」
「ああ。でも、見失っちまってさ。商人の格好をした鬼だ。もう鬼の姿になっていたから、すぐ見つけられると思ったんだけどな」
「湊が見失うなんて珍しいな」
「急にどっかに飛んでいっちまったんだよ。とんでもない脚力だったぞ」
「何かに反応して飛んでいったのか?」
「さあ。それが分かったら苦労しねーよ」
「それもそうだな」
爽は羽織と着物を脱いだ。その下からは、湊という青年と同じ、詰襟の隊服が現れる。
「ほらよ」
「ありがとう」
湊から刀を投げて寄越される。余裕でそれを受け取り、爽は街を見下ろした。
平穏な街の景色が広がっている。寝静まっている人が多く、昼間の活気は息を潜めている。その中に、人に害なす鬼がいるかもしれない。
爽は清涼な瞳を鋭く尖らせた。湊がポンと爽の肩を叩く。
「まあ、というわけで、一緒に探してくれ。お前だって狩人なんだからさ、鬼を狩るのが仕事だろ?」
「探している。それより、隊長に報告はしたのか」
「んな余裕ない」
「後でしておけよ」
「討伐できたら問題なくね?」
「その間に人が襲われていたらどうするつもりだ、この楽観主義者」
湊の緊張感のない言葉にげんなりしながら、爽は駆け出した。屋根から屋根を飛び移る。
鬼は人を襲う。人が食い散らかされていることもある。最近は、人に完全に擬態する鬼もいるので厄介なのだ。見つけ次第討伐しなければ、人は鬼によって食い荒らされてしまう。
悲しい思いをする人が増えないために。鬼のせいで、人が命を脅かされない世の中にするために。
爽は、鬼を狩る『狩人』になったのだ。
街を一周したあたりで、爽は視界の端に違和感を感じて立ち止まった。屋根から飛び降りる。湊が驚いた声をあげて、爽の後に続いた。
爽は、違和感の正体を見下ろした。
商人の着物だ。それが、持ち主なく地面にひしゃげている。まるで、誰かが着ていたまま、身体だけなくなったようだ。
そう、まるで、蒸発したように。
「これ…!オレが探してた鬼の服だ」
湊の言葉に、爽は眉を顰めた。
「どういうことだ…?なぜ、こんなところに鬼の服があるんだ」
「しかもこれさ、オレたちが鬼を討ったのと、同じ感じじゃないか?」
確かにその通りだ。狩人が鬼を討つと、鬼は黒い煙を上げて消える。血も骨も消え、残るのは鬼が着ていた着物のみ。この状況は、まさしくそれだ。
「それなら、狩人の誰かが鬼を討伐したのではないか」
「でもそれなら、鬼討伐したぜーって連絡来るだろ。何のために連絡手段の笛があると思ってるんだ」
「それもそうだ」
嫌な予感がする。
狩人が鬼討伐したのでないなら、誰が討伐したというのだ。鬼は、一般人には殺せない。鬼は並外れた身体能力を持ち、訓練されていない並の人間は太刀打ちできないのだ。
それなら、誰が鬼を倒したのか。
「もし一般人が倒したなら、狩人に勧誘したいぜ」
「そうだな…」
湊がそう思ってくれるなら、それでいい。爽だって、凄腕の一般人がいたのだと思いたい。
だが、そうでないとしたら。
手が震えて、思わず爽は刀を握りしめた。
「にしても、最近何なんだろうな?鬼たちの動きが活発化してるだろ?」
「ああ」
「しかも、揃って全員『鬼火姫を探さなければ』とか言いやがって。鬼火姫なんて、英雄の手にかかればイチコロなのにさ」
「……」
「そういや、鬼火姫の方はどうだ?羅針は反応してるか?」
「いや、全く。僕がここから動いてないんだから、見つけてないに決まってるだろ」
「早く見つかるといいよな、鬼火姫。一体どこに隠れてるんだか。世界がいつ滅ぶか分からないんだからさ。にしても、鬼火姫が生まれたのって百年ぶりなんだろ?なんで生まれたんだろうな」
「さあな」
さっさとこの話題を終わらせたくて、爽はそっけない返事をする。
爽は狩人だ。しかし、ただの狩人ではない。
天帝の命を受けた、鬼火姫討伐の『英雄』だ。
「それでは行ってくる。和枝、凛火さんが戻ってきたら…」
爽は玄関に立つ凛火を見て、目を丸くした。羽織を中途半端に羽織った状態で固まっている。
「えっと、ただいま戻りました。遅くなって申し訳ありません。何かご用事ですか?」
「いや…。怪我はないか」
「ありませんけど…」
爽は何の話をしているのだろう。
爽は眉を八の字に凹ませていたが、ブルリと頭を振った。羽織を羽織り直し、玄関に降りてきた。
「仕事が入ったので、今から出かけてくる。食事の用意は和枝がしているので、出してもらえ」
「行ってらっしゃいませ」
爽は扉を開けて、闇夜に飛び出して行った。それを見送り、凛火は首を傾げた。
爽の仕事?爽は細工師である。こんな夜更けに仕事とは、一体どんな呼び出しなのか。
爽の羽織と着物の下に一瞬見えた、あの衣装。闇夜に紛れる、濡羽色の詰襟だった。
嫌な予感がする。
「さあさあ、ご飯にしましょう。今日は焼き鮭ですよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
昼食を抜いたので、腹はペコペコだ。爽の仕事が気になるものの、凛火は和枝について行った。
**********
爽は屋敷の門を出ると、屋根に飛び移った。鳥が羽ばたくような、軽い身のこなしである。
屋根の上には、すでに先客がいた。濡羽色の詰襟の隊服を着ている。その腰には刀が下げられていた。
青年は爽に軽く手を上げた。
「よう、爽。新婚なのに悪いな」
「いや、構わない。それより、鬼が出たと聞いたが」
「ああ。でも、見失っちまってさ。商人の格好をした鬼だ。もう鬼の姿になっていたから、すぐ見つけられると思ったんだけどな」
「湊が見失うなんて珍しいな」
「急にどっかに飛んでいっちまったんだよ。とんでもない脚力だったぞ」
「何かに反応して飛んでいったのか?」
「さあ。それが分かったら苦労しねーよ」
「それもそうだな」
爽は羽織と着物を脱いだ。その下からは、湊という青年と同じ、詰襟の隊服が現れる。
「ほらよ」
「ありがとう」
湊から刀を投げて寄越される。余裕でそれを受け取り、爽は街を見下ろした。
平穏な街の景色が広がっている。寝静まっている人が多く、昼間の活気は息を潜めている。その中に、人に害なす鬼がいるかもしれない。
爽は清涼な瞳を鋭く尖らせた。湊がポンと爽の肩を叩く。
「まあ、というわけで、一緒に探してくれ。お前だって狩人なんだからさ、鬼を狩るのが仕事だろ?」
「探している。それより、隊長に報告はしたのか」
「んな余裕ない」
「後でしておけよ」
「討伐できたら問題なくね?」
「その間に人が襲われていたらどうするつもりだ、この楽観主義者」
湊の緊張感のない言葉にげんなりしながら、爽は駆け出した。屋根から屋根を飛び移る。
鬼は人を襲う。人が食い散らかされていることもある。最近は、人に完全に擬態する鬼もいるので厄介なのだ。見つけ次第討伐しなければ、人は鬼によって食い荒らされてしまう。
悲しい思いをする人が増えないために。鬼のせいで、人が命を脅かされない世の中にするために。
爽は、鬼を狩る『狩人』になったのだ。
街を一周したあたりで、爽は視界の端に違和感を感じて立ち止まった。屋根から飛び降りる。湊が驚いた声をあげて、爽の後に続いた。
爽は、違和感の正体を見下ろした。
商人の着物だ。それが、持ち主なく地面にひしゃげている。まるで、誰かが着ていたまま、身体だけなくなったようだ。
そう、まるで、蒸発したように。
「これ…!オレが探してた鬼の服だ」
湊の言葉に、爽は眉を顰めた。
「どういうことだ…?なぜ、こんなところに鬼の服があるんだ」
「しかもこれさ、オレたちが鬼を討ったのと、同じ感じじゃないか?」
確かにその通りだ。狩人が鬼を討つと、鬼は黒い煙を上げて消える。血も骨も消え、残るのは鬼が着ていた着物のみ。この状況は、まさしくそれだ。
「それなら、狩人の誰かが鬼を討伐したのではないか」
「でもそれなら、鬼討伐したぜーって連絡来るだろ。何のために連絡手段の笛があると思ってるんだ」
「それもそうだ」
嫌な予感がする。
狩人が鬼討伐したのでないなら、誰が討伐したというのだ。鬼は、一般人には殺せない。鬼は並外れた身体能力を持ち、訓練されていない並の人間は太刀打ちできないのだ。
それなら、誰が鬼を倒したのか。
「もし一般人が倒したなら、狩人に勧誘したいぜ」
「そうだな…」
湊がそう思ってくれるなら、それでいい。爽だって、凄腕の一般人がいたのだと思いたい。
だが、そうでないとしたら。
手が震えて、思わず爽は刀を握りしめた。
「にしても、最近何なんだろうな?鬼たちの動きが活発化してるだろ?」
「ああ」
「しかも、揃って全員『鬼火姫を探さなければ』とか言いやがって。鬼火姫なんて、英雄の手にかかればイチコロなのにさ」
「……」
「そういや、鬼火姫の方はどうだ?羅針は反応してるか?」
「いや、全く。僕がここから動いてないんだから、見つけてないに決まってるだろ」
「早く見つかるといいよな、鬼火姫。一体どこに隠れてるんだか。世界がいつ滅ぶか分からないんだからさ。にしても、鬼火姫が生まれたのって百年ぶりなんだろ?なんで生まれたんだろうな」
「さあな」
さっさとこの話題を終わらせたくて、爽はそっけない返事をする。
爽は狩人だ。しかし、ただの狩人ではない。
天帝の命を受けた、鬼火姫討伐の『英雄』だ。